【短編】悪魔を召還したら願いを断られたそのわけとは

金屋かつひさ

悪魔を召還したら願いを断られたそのわけとは

 悪魔は驚くほどあっさりと現れた。


 私は少しばかり拍子抜けした。悪魔召還なんてしろものが、現代の、この日本で、まさかこんなにすんなり実現してしまうなんて。正直、もっと何回も失敗すると思っていたし、悪魔ももっとおどろおどろしい現れ方をするものかと思っていた。


 いや、もちろん準備には相当の苦労がいった。悪魔召還の方法なんかがネットに転がっているはずはない。書物としてそこいらの本屋に並んでいるわけもない。並んでいたとしてもそんなのは全部でたらめ。だから古本屋をはしごし、時には海外からかなりの金額をはたいて貴重な資料を手に入れた。内容を読み解く苦労は簡単には言い表せられない。わからない言葉があっても他人に聞いたりネットで質問したりするわけにもいかない。どこのどんな奴が私の魂胆に気づくかわかったもんじゃない。万にひとつも悪魔召還をしようとしていることがバレたら、ある日目が覚めたら東京湾の底に沈んでいたなんてことが絶対にないと言い切れるだろうか。えっ、東京湾の底に沈んだら目は覚めないだろうって? まあ、いまはそんなことを議論している場合ではない。


 にもかかわらず悪魔は実に「あっさりと」としか言い表せない感じで現れた。魔法陣を描き、自らの血を供え、全身全霊を込めた呪文を唱えたら現れた。あの苦労がついに報われたなんて感動はこれっぽっちもなかった。「ええっ、こんなに簡単に」という感情しか湧いてこなかった。


「おまえがこのオレを呼び出したのだな」


 悪魔が言った。そいつはどこからどう見ても悪魔だった。屈強そうな肉体の背後にコウモリのような翼が見えた。先端が矢尻のようにとがった尻尾もあった。大きな目がぎょろつく頭からは、渦を巻いた二本の角が生えていた。自分で召還しておいて言うのもなんだが、「わあ、悪魔って本当にこんな姿をしてるんだ」と思ってしまった。それほどまでに奴は典型的な「悪魔」だった。


「このオレを呼び出したのには何か他人ひとに言えぬ願いがあるのであろう」


 悪魔はまだ一言も発せずにいる私に向かってそう言い放った。そのすべてを威圧するような迫力に、私はただうなずくことしかできなかった。悪魔は続けた。


「さあ言え。己の心の奥底に今日までしまい込んでいた、深く、暗くよどんだその願いを。己自身も認めたくなかったその願いを」


 私はカラカラに渇いた口の中から必死に言葉を絞り出した。


「人を殺したい」

「ほう」

「できるか」

「わけもない」

「ひとりじゃないのだが」

「おまえの中にそれにふさわしい闇があれば幾人でも」

「本当か」

「オレをだれだと思っている。本当かどうか、おまえはすぐに知ることになるだろう」


 悪魔は自信たっぷりに言い放った。せせら笑っているようにも見えた。


 その自信が後押しとなった。私はいくらか慌てた手つきで、急いで内ポケットから一枚の紙を取り出した。


「ここに書いてある連中を殺してもらいたい」

「ほう、そいつらに親でも殺されたか」

「違う」

「なら、かわいい我が子か、さもなくば恋人を殺されでもしたか」

「違う。そんなんじゃない」


 私の声は次第に大きくなった。


「個人的な恨みとか、そういったもんじゃない。そうしたちっぽけなもののためにわざわざ悪魔を呼び出したりなんかしない」


 悪魔の目がぎょろりと動いた。


「ほう。ではなんのために」

「決まってるじゃないか」


 私は自分でもびっくりするくらいに声を張り上げていた。ほんの少し前までは声を絞り出すのもやっとだったなんて、今の私を見たらだれも信じないだろう。


「社会正義のためだ」


 悪魔の鼻がふふんと鳴ったような気がした。


「社会正義、だと」

「馬鹿にするのか」

「とんでもない。むしろ興味深い。詳しく話せ」

「よし。このリストに載った連中はあくどい手段でのし上がっただけでなく、今も世の中に害悪をき散らし続けている。私はそういった連中が許せないんだ」


 私は一息に言い切った。これまで胸のうちにたまりにたまっていた思いを一度にぶちまけた。


「わかった。そのリストとやらを見せてもらおうか」


 悪魔がゆっくりと手を伸ばしてきた。私はいそいそとリストを渡した。


「これがそうか」


 悪魔がリストを無言で読み始めた。私の胸は期待で高鳴った。ついにあの連中が始末されるんだ。法で懲らしめることのできないあの連中が。これで世の中がいくらかでも良くなるだろう。そのためなら自分の魂を差し出してもなんの悔いもない。あろうはずがない。


 ところが読み始めてすぐに、私でもわかる程度に悪魔の顔色がさっと変わるのが見て取れた。


「どうかしたのか」

「い、いや、たいしたことではない」


 先ほどまでの自信たっぷりの口調はどこへやら。悪魔の声はかすかに震えていた。


「声が震えてないか」

「そ、そうか? 人間の名前というやつはたいそう出来が悪くてな。ほら同姓同名といったことがあるだろう。このオレとあろうものが間違えて無関係の他人の命を奪ったとあっては悪魔の沽券こけんに関わる。だから慎重になっているだけだ」

「同姓同名だって」

「そうだ。人間にはよくあることだろう」

「でもそのリストには殺してほしい奴の名前だけじゃなく、どこのどういった奴かの説明も書いてあるはずだが」


 突然に私の中に不安が頭をもたげた。悪魔の様子は明らかに尋常じゃない。もちろん私が実物の悪魔を見るのはこれが初めて。なので悪魔のこの反応が本当に普通と違うのかはわからない。でも私にはわかった。何かとんでもない問題が悪魔の中に巻き起こっているのだということが。


「か、確認だが」


 今や悪魔の声の方がかすれていた。


「おまえは本当にこのリストの連中を殺したいのか」

「そうだ」

「なぜ」

「言ったじゃないか。社会正義のためだって」

「それを悪魔に頼むのか? そういった良い願いは神や仏にするものだろう」

「もちろん願ったさ。でもいくら願っても何も応えてくれない。悪魔なら応えてくれるだろ」

「ま、まあ、普通はそうなんだが」


 気のせいか、悪魔が最初より小さくなったように見える。


「ものは相談だが……」


 おずおずといった感じで悪魔が切り出した。


「殺したい連中を変更するわけにはいかんのか」

「へっ?」


 予想すらしていなかった悪魔の言葉に、思わず変な声が出てしまった。


「いや、おまえにもいろいろ事情があるのはわかる。だが悪魔のほうにもいろいろ事情があって、だな」

「まさか、そいつらは悪魔にも殺せない存在だとでもいうのか」

「いや、そうではない。殺すのは簡単だ。だが、そうすると悪魔的にいろいろ問題があって、だな」


 もうはっきりしてきた。悪魔は何かにおびえているんだ。


「悪魔的に問題が?」

「その通り。この連中はまずい。他のにしろ。そうだ、今すぐ決めれば大サービスで人数を倍にしてやってもよいぞ」


 どこかのテレビショッピングの常套句じょうとうくみたいなことまで言い出したが、こっちもその程度で引き下がることなんかできない。


「こいつらじゃなきゃだめなんだ。私が考えに考え抜いて出した結論なんだ。そんなに簡単に『はいそうですか』と代えられるか」

「どうしてもだめか」

「だめだ。でもあんたがどうしてもできないというなら仕方ない」

「変更してくれるのか」

「いや、そうじゃない」

「ではどうするのだ」

「私は人間だから悪魔の都合がどのくらいのものかはわからない。だから仕方ないから今日のところは帰ってくれ」

「えっ」

「2、3日したらまた召喚の儀式をやってみるよ。今度は悪魔的に問題のない悪魔が召還されるかもしれないし」


 これが私に今できる精いっぱいの譲歩だった。悪魔召還さえすればすべて解決と考えていた私が甘かった。ここはいったん仕切り直しか。


「いや、それはそれでふたつほど問題がある」


 悪魔が言った。どうやら仕切り直しというわけにもいかないらしい。


「どんな問題だ」

「まず、人間に召還される悪魔というのは数いる悪魔の中からランダムに選ばれるわけではない。呼び出す人間の抱える闇に最も大きく共鳴する性質の悪魔が選ばれるのだ。つまり」

「つまり日を開けても、またもう一度あんたが召還される可能性が高い、と」

「そうだ。たとえオレじゃなかったとしても、オレに近しい悪魔が選ばれることになるだろう」

「つまりそいつも同じ問題にぶち当たると」

「そうだ。残念ながら、な」


 たしかにそいつは残念だ。


「じゃあ、もうひとつの問題というのは?」

「悪魔たるもの、たかが人間ごときの願いをなにひとつかなえられずに魔界に帰るわけにはいかんということだ」

「プライドの問題か」

「そうじゃない。無能の烙印を押されて魔界でひどい目にあってしまう」

「だったら私の願いを叶えたらいいじゃないか」

「そんなことしたら一族の中でオレの立場が」

「どういうことだ」

「実はそのリストの最初の奴だがな」

「そいつがどうした」

「オレの叔父さんの加護を受けている」

「えっ」

「そいつが今の地位や諸々のことを手に入れたのは、そいつがオレの叔父さんを召還したからなのだ」

「なんだって。じゃあもしかしたらリストの2番目の奴も」

「察しがいいな。そいつはオレのじいさんを召還した。オレは爺さんにかわいがってもらっていたからな。その爺さんが加護する人間を殺すわけにはいかん」

「まさか。現代に悪魔を召還した人間がこの私以外にいただなんて」

「そう思うのも無理はない。だが周りに言わぬだけで案外いるものだぞ」

「そんな」

「そういうことだ。わかったらさっさと変更しろ」


 悪魔の口調が乱暴になった。だが私にも最後の意地がある。


「ちょっと待ってくれ。リストの最後の奴。他の奴らは諦めてもこいつだけはどうしても許せない。せめてこいつだけは殺してくれないか」

「リストの最後の奴だと? だめだだめだだめだ。他の奴らはともかく、こいつだけは絶対にだめだ」

「なぜだ。こいつはどんな悪魔に加護されているというんだ」

「オレの姉ちゃんだ」


 悪魔の声の中に恐怖があるのが感じ取れた。


「えっ」

「おまえは姉ちゃんの恐ろしさを知らんからな。あんなに暴力的で陰湿陰険、悪逆非道な悪魔をオレは知らん。オレも何度『この悪魔が!』って叫んだか。ううっ、考えただけで寒気がしてきた」


 悪魔がガタガタと震え出した。


 私は呆気あっけにとられていた。何を言っていいか、どうしたらいいのか、これっぽっちもわからなかった。互いに無言。そんな時間がどのくらい過ぎただろう。


 しばらくして口を開いたのは悪魔のほうだ。


「ものは相談だがな」

「なんだ」

「おまえの会社の上司に○○というのがいるだろう」

「ああ。私が随分お世話になってきた方だ」

「そいつを殺すというのはどうだ」

「なにっ」

「悪くない話だと思うが、どうだ」

「なんであの人なんだ。恨みどころか感謝しかないのに」

「その者が死ねば、なんやかんやあった後におまえがその地位につくことになる」

「なんだと」

「その後会長の目に留まり、孫娘の婿に納まることができる。会社はおまえの思うままになるだろう」

「そんな」

「さらにはさまざまな人脈を得て、このリストの連中に匹敵する力を得ることも夢ではないぞ」

「な、なにを言うか。それじゃあ私がそのリストの連中と同じところに堕ちるということじゃないか。そんなことができるわけがない」

「本当か? できないと"本当に"そう思うのか」


 私は声に詰まった。「そうだ」という簡単な一言を発することが、なぜかためらわれた。


「よく考えるのだな。おまえは悪魔召還をした。その結果オレが召還された。このことが何を意味するのか」

「『呼び出す人間の抱える闇に最も大きく共鳴する性質の悪魔が選ばれる』というやつか」

「そうだ。よくわかっているじゃないか。そしてオレに近しい悪魔は当然オレに近しい性質を持つ。おまえの闇に最も共鳴するのがこのオレで、そのオレに近しい性質の悪魔が加護するのがこのリストの連中だ。さあ、いったいこのことが何を意味するのかな?」


 私の中でドクンと大きな鼓動がした。全身の血液が渦を巻いて逆流した。私は今や、私自身も見たくなかった心の中の深淵しんえんを、無理やり引きずり出されて目の前に突きつけられていた。


「どうやらわかったようだな」


 悪魔がニヤリと笑った。


「さあ言え。己の心の奥底に今日までしまい込んでいた、深く、暗く澱んだその願いを。己自身も認めたくなかったその願いを」


 私はゴクリとつばを飲み込んだ。

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