はぐれ陰陽師
@sokoichi
第一章 はぐれ陰陽師
第一話
「うう……ううううううう」
男が苦悶の声を漏らす。
クチュ…クチュ…クチャ……ズズ…
聞こえてくる、おぞましい音に耐えられない。
ソレが何をしているか分かるから。
ソレが何の音か分かるから。
必死で声を押し殺し、気付かれないことを天に祈る。
それでも、恐怖と怖気から声が漏れ出てしまう。
(誰でもいい、助けてほしい)
鍵のかかった部屋に閉じこもり、ただ下の階にいるソレが食い終わるのを待つ。
……ズズズ…ズズズズズ
「ヒッ?!」
どうやら食事が終わりソレが動き始めたらしい。
そのまま、この家から出て行ってくれることを無心に祈る。
………………ズズズズズズズズズズ!!!
「あああ、うあああ……」
たまらず口から音が漏れる。
ソレが動く音から、こちらに這い寄る音に変わったから。
もう終いだ──。
男はただ、ソレがくるのを部屋の中で震えて待つしかなかった。
※
「むみょー」
年の頃は五つか六つほどだろうか。
紫の着物に花のかんざしを着けた、可愛らしい女の子だ。
隣の男に向かって可愛らしい声で呼んでいる。
「むみょー、まよった?」
「迷ったのではない、すこし寄り道をしているのさ」
まるで子供を諭すような口調で説明する、むみょーと呼ばれるこの男。
見た目は三十半ば程度だ。
黒髪黒目の典型的な日ノ本人だが、顔立ちはハッキリしており、美男子とは言えないまでも、どこか得体の知れない妖艶さを持ち合わせた不思議な男である。
陰陽師の証である札帯と、煤けた柄の日本刀を帯剣し、自作したという自動馬車の上で昼間からこの地方の地酒を煽りながらのんびりと過ごしている。
「むみょー、よってまよった?」
無表情でありながら、冷たさはなくどこか可憐な雰囲気を纏う少女が、「むみょー」の説明を否定する。
まだ私の屋敷についていないのに、馬車を停めた男の行動を不思議に思ったのだろう。
「こらこら。この程度で酔ってはおらぬし、迷ってもおらんと言っておろう」
その見た目の年齢にそぐわない、どこか古めかしい言葉使いだが、違和感を抱かせない不思議な雰囲気を持っている。
「でもここ、なにもない。その人、たすけない?」
連れ子だろうか?
父と娘のような歳の差はあるだろうに、この男からはどうも父親のような雰囲気を感じない。
失礼だが、彼にはあまりにも似ていない、とても可愛らしい童女だ。
そんな風に考えていると、彼がこちらへ鋭い視線を向けているのに気付いた。
「ここらで間違いないのですか?」
私に話しかけてきた「むみょー」改め、無明は酒を呷るのをやめ、辺りを見回している。
「ええ、そうです。最初にアレと遭遇したのはこの場所です……もう少し進めばこの先に私の屋敷があります」
「失礼ですが、このような竹林で一体何を?」
「あちらへ進むと蓮の花が咲く綺麗な池があり、よく屋敷からそこまでジョギングしていたのですよ」
ふむ、と。妖艶なる陰陽師は辺りを見回した後、屋敷の方角にまたもや鋭い視線を向け隣の童女に声をかけた。
「ハル」
可愛らしい、くるりとした目が無明を見つめた。
彼はその子の背丈に目線を合わせるように体を屈め、正面から優しく諭すように話す。
「ハル、今回は宿でお留守番していなさい」
「やっ!」
「ハル、今回は特に危ないのだ。大人しく宿で待っていなさい」
「やっ!」
全く。と無明は困ったように呟く。
「ハル」と呼ばれたその娘は、大人しそうに見えて意外と年相応な子なのだなと感心する。
きっと美しく育つであろうその容姿も相まって、ますます将来が楽しみな娘である。
ただ、はっきり断る割には、そこらの子供と違って泣いたり、癇癪を起こしたりといった様子はない。
ひたすらに無表情である。
「マクレーン殿、すまぬが一度街に戻ってもよろしいかな」
「無明がそういうのであれば私は構いません。……っと失礼、この国では名前の後に敬称を付けなければ無礼になるのでしたね」
「いえいえ、構いませぬ。それにしても日ノ本語がお上手ですな」
「実は学生時代、日ノ本に留学しこちらの女性と付き合っていたとがありまして……懐かしい思い出です」
「───それはそれは。では、一度街に戻りましょう」
愛想のいい方ではないのだろう。どこか冷たさを感じる言い方だ。
無明はハルという娘の説得を諦め、強引に宿に置いてくるつもりなのだろう。
思わす苦笑してしまう。
「ええ。私自身、もう一度あそこに戻るのは……覚悟のいることですしね」
あの事を思い出すだけで、震えが止まらなくなる。
────助かったのは本当に奇跡だった。
私が母国を離れ、この国に外交官として赴任したのは一年ほど前になる。
少々強引に事を進める自分の悪癖ゆえに、大きな失敗を犯し危うく牢に行きかけたのを我が実家が、この日ノ本に外交官としてのポジションを用意し左遷という形で難を逃がしてくれた。
学生時代に留学していたこともあり、日ノ本という国にはそれなりに詳しい。
もともと世界中の神話好きな私にとって、この国はなかなかに興味深いものがあったため、当時も留学先に選んだのだ。
この世界では人の手の及ばぬ地域に未だ怪物が蔓延っている。人類が宇宙へロケットを飛ばし、どれほど近代化しても未だそれらを駆逐できずにいる。発展途上国では未だ、怪物による被害が深刻な社会問題となっている。ちなみに宇宙へロケットを飛ばしたのは我が合衆国が世界初だ。
かつて大国同士が戦争した結果、ある怪物を目覚めさせ、両国の兵のほとんどがその怪物の腹に収まったという笑い話のような歴史もある。まあ、我が合衆国と日ノ本なのだが。
そんな怪物に対抗する力を持った存在がその国、ひいては宗教毎に存在する。
各国の対妖特選戦力。
我が国では天使より授かりし力を振るう聖騎士たちがいる。
だがこの国は独自の宗教のもと進化した対妖特選戦力がいる。それが「陰陽師」だ。
陰陽師とはその昔、この国のある一人の半神半人の振るった力を術として受け継いで来たものらしい。
どの世界にも、そして我が国にもある創世神話の一つだ。
かつて神々がこの日ノ本を治めていたが、やがて神々は去り、人間の時代が始まった。
その人間と神の間に出来た半神は当時、妖に抗うことができなかった人々に退魔の力、“陰陽術”を授け自らも共に妖怪たちと戦ったという。
そして妖との戦いは、半神率いる人間たちの勝利となり今の人地統治国家日ノ本が誕生したのだとか。
それ以来、この国の退魔師は陰陽師と名を変え、今に至るという。
また面白いことに、この国では政治の最高権力者の更に上の存在がいる。
それは天帝と呼ばれ、この国のいかなる政治家であっても、その家臣という扱いだ。
建国の現人神カムイより国を任された天帝は、なんと今なお生き続けているらしい。
彼は五十年周期で目覚めるとされ、この国では五十年毎に建国際が開催される。
政治には一切関わらず、有事の際のみその力を振るうと言われているが、まあよくある王権神授説に基づいたこの国の王室、つまり真の権力者の箔付けであろう。
だが我が合衆国の最高権力者である大統領でも、その周期でなければ天帝とやらには会えないらしい。
なんと不遜なと思うが、相手は二百年前の戦争以来の友好国でありよき貿易パートナーだ。
無論、怪物の介入さえなければ、我が合衆国の勝利であったことに疑問はない。
しかし、我が母国と戦い未だ存在するこの国に一定の敬意は認めよう。
それにこの国の陰陽師が非常に強力なのは世界中でも知られている。
我が父からは赴任の際、聖騎士を二人一緒に送ってもらったが、それでも万が一にも怪物に困ったら、この国の陰陽師に助けてもらうようにと紹介を受けていた。
当時、所詮は東方の田舎国と馬鹿にしていたのは認めよう。聖騎士がいて困ることなど一つもないと。
だが、残念ながら私の思い込みは間違っていた。
この土地に赴任した際、友好の証として現地の知事と呼ばれる権力者からもらったあの札が、あの時の私の命を救ったのだ。
あの怪物は我が母国、世界の覇権を競う合衆国が誇る最強戦力、聖騎士すら食い殺したのだ。
それを退けた退魔の札を作成した陰陽師が丁度、私の務める街にいたのも幸運が重なった。
主に、そしてこの国の半神とやらにも感謝しようではないか。
あの時、件の怪物は私の部屋に入ってきた。
だが藁にもすがる思いで抱えていたその札をかざすや否や、その場で固まって動かなくなったのだ。
しばらくは私も怯え固まっていたが、その怪物がどうやら動かないのを察し、窓から飛び降りてなんとか逃げ出すことができた。
その後、すぐさま外交官特権でこの街の知事に会い、事の次第を説明した。
知事、ノブヒコ・サカガミは私を病院に連れて行き、朝廷に属する陰陽師達を私の屋敷に派遣した。
しかし、陰陽師達が見たものは凄惨な光景だった。
筋骨逞しかった我が聖騎士も、可憐な我がハウスメイド達も、皆バラバラに食い散らかされ、臓物と血の濃厚な匂いが漂っていたそうだ。
怪物の行方は知れず、我が屋敷一帯は封鎖されてしまった。
知事も自身の管轄するエリアで、こんな凄惨な妖被害が出てしまった事に頭を悩ませているようだ。
我が屋敷は郊外といえど、都市部だ。各都市では非常に強力な結界が張られているため、人を食い散らかすような強力な怪物は普通出ない。
サカガミ知事は直ちに結界の確認を行ったが異常はなかった。
陰陽師たちも、結界を通り抜け、なおかつ聖騎士を食うほどの妖怪に心当たりはなく、むしろそんな存在は自分たちにはお手上げということだ。
日ノ本最強の陰陽師ドウマン・アシヤでもないとそのような大妖は無理という始末。
流石に私も腹が立ち、知事に厳しく問い詰めた。
国際問題にも発展しかねないこの問題、直ちにドウマンとやらを呼ぶようにと。
無論、一介の地方知事ではこの国の最高権力機構である朝廷に属する最高位の陰陽師を動かす力などなく、頼ったのが“はぐれ”と呼ばれる陰陽師だ。
訳あって朝廷から追い出されたもの、実力が足りず陰陽師として朝廷に採用されなかった半端者の陰陽師であるはぐれは、本家の陰陽師から蔑まれていた。
だが国家が対応してくれない、身近な妖害を解決できる最後の砦として市民から一定以上の人気もあるらしい。
中にはドウマンに匹敵する本物もいるという噂だ。
当たりハズレが激しいはぐれだが、今回はどうやら「当たり」のようだ。
私の命を救った札を作成した陰陽師がいるらしい。
高額な報酬を約束し、その陰陽師────無明と私は出会ったのだ。
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