第四話 町での出会い
──妖精の森。
ミーリャと名乗った少女が行きたいと口にしている場所の名前がそれだった。実にファンタジックな名前だ。ジルの中に流れるゲーマーの血が自然と騒ぐ。
「んで、そこってどんな所なんだ?」
地面に置いていたリュックに、巻いた地図を詰め込みながら、空を仰いでいる少女に問いかける。返答はひどく寂しいものだった。
「さあ、知らない」
「え? 知らない? 知らないのに行きたいのか?」
「そうね」
「なんで?」
「さあ、知らない」
視線を下ろしたミーリャはその場でくるりと軽やかに回ると、呆気にとられた表情を浮かべるジルの腕を引き「早く行こう」と先を促す。
早くと言われてもなあ……。
「妖精の森。……森の名前からして神聖な場所とは思うが敵はいつどこに潜んでいるかわからないし、まずは近場の街まで行ってアイテムを購入すべきだと思うんだ。武器も強化しないとあれだし……ああ! そうだ! 情報収集も大事だな! イベント前には必ずやっておかないといけねえ必須事項だ! だが困った。俺実は対人恐怖症なんだ。初対面の奴と話せねえよこわっ」
「ミーリャとは話してるのね」
「そりゃカワイイ子相手なら対人恐怖症なんか気にせずに話したくもなるさ。俺一応まだピチピチの若男子だし」
「ふーん」
わかっているのかいないのか。ミーリャはどうでも良さげに相槌を打ってからジルに背を向け歩き出す。
「あ、おい、ちょっと」
「あっちからいい匂いがするのよ。行ってみるのね」
「あ、はい……」
小心者のジルが逆らえるはずもなく、彼は大人しく前を行くミーリャの後を追いかけた。
三十分程だろうか。歩き続けた二人が辿りついたのは、『賊の溜まり場』という、なんとも言えない名前の町だった。
そこら辺の木々を伐採し、組み立てられた簡素な門。その下から覗き込むように町の中を見てみれば、確認できるのは人気のない通り道。
「あー、これあれですね。絶対こう、入っちゃいけない場所ですね。帰ろう。そうしよう。こんな場所よりもっと神聖な場所を目指すべきだ」
「どーも。開けろ。お腹空いたのよ。食べ物という名の物品を全てミーリャに差し出すのね」
「ちょっとミーリャさん!!?」
怪しい名の町に背を向け潔く撤退しようとしたジルとは別に、ミーリャはさっさと町の中に入り込んでいた。しかも、『なんか売ってる場所』という、些か雑過ぎる、謎の看板が張り付いた小さな店の窓を叩いているではないか。これはまずい。
ジルは俊敏なる動きでミーリャの手を掴み、止めた。
「おおお、おい! さすがにまずいって! 変なおじさん召喚されたらどうすんだよ!?」
「召喚士のこと? なら問題ないのね。ミーリャは呪術師だから強いのよ」
「意味わかんないこと言わなくていいからとりあえずこんなこえー町出るぞ! 目的は妖精の森だろ!」
「目的と腹の減りは別物。ミーリャは腹が減ったら見境なく当たりの奴らに呪いを振りまき自爆させるのね」
「末恐ろしい能力だなお前!」
そんな能力があってたまるかと声を張り上げた時だ。
「あ、すまない。ちょっと良いかな、君たち」
背後から声をかけられ、ジルの獣耳と背筋がピンと伸びた。
それに気付かぬミーリャは特に表情を変えることもなく振り返り、整った顔を若干歪める。それはもう面倒くさそうに。
「……だれ?」
下手をすれば舌打ちすら聞こえてきそうな不機嫌な声だった。
恐る恐ると振り返ったジルを庇うように、ミーリャは一歩前に出る。
「おっと、これは失礼した。まだ名も名乗っていなかったね」
そう言ったのは、スラリとした一人の女性。
身長は高めで百七十……いや、それ以上はありそうだ。緩く三つ編みにされた赤毛が肩から胸元へ向かい垂らされている。髪の長さは胸より少し下。わりと長めだ。
女性の身に纏う衣服は白を基調とし、金具などには惜しげも無く金が使用されていた。金持ちか。ジルはやっかむ。しかし女性はそんなジルには気づかない。
「俺はオルラッド。オルラッド・エルディス。二人にちょっと伺いたいことがあって声をかけたんだ」
知的な色を宿す紫紺の瞳が軽く細められる。
「オルラッド?」
ジルが問う。それに続くように、ミーリャがどうでも良さそうな顔で言葉を紡いだ。
「女にしては変な名前なのね」
「……俺は男だ」
若干悔しそうにそう言った彼女──否、彼に、二人の動きが停止する。そして、暫しの沈黙。
「……そーいえば、女性にしては、声が低すぎるなー、とは、思っておりましたが、あははっ」
「ま、まあ、世の中には、間違いの一つや二つ、あ、あるのね」
「苦し紛れのフォロー、感謝するよ……」
遠い目をしたオルラッドに、二人は心の底から謝罪した。
「……で、伺いたいことってなによ?」
男でありながら悲しくも女と間違えられたオルラッド。気にしないでくれ、と言いつつ、ひどく落ち込んでいる彼からほんのちょっぴり距離をとりつつ、ミーリャが聞く。
オルラッドが顔を上げた。
「ああ、そうそう。二人に訊ねたいことがあったんだ。忘れるところだったよ」
「忘れるようなことを聞くのかよ……あ、いや、なんでもないです……」
消え入りそうな声で謝罪をこぼすジルに苦笑を返したオルラッドは、話の本題を語り始めた。
「実は少し道に迷ってしまってね。今俺はとある事情で未開の森を目指しているんだが、なかなか辿り着けないんだ。君たち、その森についてなにか知っているなら、よければ何か教えてほしいんだが……」
「……未開の森ってなによ?」
「俺が知るわけねーだろ!」
「……んー、知らないみたいだな」
口論を始めた二人を見て察したようだ。オルラッドは再び苦笑を浮かべながら頬をかく。
「仕方ない。少し町の中を調べてみるか。……君たち、呼び止めてすまなかった。それじゃあ」
「え、あ、はい、どうも……」
明るく輝かしい笑みと共に立ち去る彼の背中を横目、二人はそっと顔を見合わせる。
なぜだろう。彼の傍から離れるのは危険だと、誰かが言っているような気がする。
「……なあ、こっそり追わねーか?」
「……そうね」
彼らは互いに頷き合い、そして同時に駆け出した。
別れてさほど経っていないからか、オルラッドはすぐに見つかった。『ぶち殺しの宿』という恐ろしい名の建物の前で、大柄で、かつ厳つい顔の大男と会話をしている。
といっても二人の間に流れる空気はかなり不穏だ。離れていても分かるほどに。
平然と口を動かすオルラッド。未開の森、とやらの情報を集めているのだろう。その顔は真剣そのものだ。
だが、そんなオルラッドとは対照的に、大男は目の前にいる獲物の首をいつ狩ってやろうかと先程から様子を伺っていた。手にした斧を、ニヤニヤと笑いながら撫でる姿は実に迫力がある。
お陰でジルは、建物の陰に隠れながら、一人あわあわと慌てていた。それをミーリャが無言で見つめている状態となっているのが、今の現状である。
「おいおいおいおい! オルラッドの奴正気かよ!? あんな怪物みたいな目ぇしたでけー輩に話聞くなんて異常としか言えねーって! 俺なら逃げる! 確実に!」
「ジルは弱虫ね」
「だって怖いんですもの!」
「ミーリャがいなかったらどうしようもないのよ、お前」
とは言われるものの未だ特に助けられた覚えはない。そもそも彼女は呪術師と名乗ったが、それが本当なのかすら疑わしい。
仮に本当に呪術師であった場合、疑ってしまえばそれはもう恐ろしいことになりそうなので、ジルは何も言えないのだが……。
「……あ!」
くだらないことを考えるために回していた思考を一時中断する。
僅かに離れた位置にいる二人は、いつの間にか新たな動きを見せていた。
「──これは、なんのつもりかな?」
己のいる位置から右側。オルラッドの整った顔すれすれを通過し、硬い地面を抉りとるように突き刺さったのは、大男の手にする斧だった。
地面にめり込んだ斧の切っ先を見て、オルラッドは目の前で下卑た笑みを浮かべる大男を静かに見上げる。
美しくも恐ろしい色を宿す紫紺の瞳は、僅かにだが細められていた。
「失礼ながら、貴殿の行動を俺は理解できない。俺に至らない点があるのであれば、このような荒業を使わず口で伝えたらどうだろうか」
「至らない点? 至らない点だあ? はっ! んなもん関係ねえ!」
大男は振り下ろしたばかりの斧を持ち上げ、そして、掲げる。
「俺はよそ者が大嫌いでなあ! お前をなぶり殺す理由なんざ、それだけで十分だ!」
腹の底から吐き出されたような大声が辺りに響いた。
大男は唾を飛ばす勢いで雄叫びをあげつつ、手にした斧を再度振り下ろす。先程と違うのは、その切っ先が地面ではなく、オルラッド自身を狙っているということ。
しかし、なんら表情を変えることなく、オルラッドは黙って自分に迫り来る斧の刃先を見つめていた。
「避けろ! オルラッドぉおおお!!」
二人から離れた位置。建物の陰から身をのり出し、獣族と人間との間に産まれたハーフの少年は叫ぶ。
焦りを含んだ悲痛なる叫び声。それに呼応するように、オルラッドは静かに瞳を伏せた。
「──悪は我が敵」
紡ぎ出された小さな声は、恐らくそれを紡いだ本人にすら聞こえていない。
──まさに、一瞬の出来事であった。
大男の体に一筋の眩い閃光が走った。かと思えばそれはすぐに消え去り、かわりとばかりに鈍い音をたてて、大男の『切り落とされた腕』が斧と共に地面に落ちる。これには大男も、ジルも、ミーリャでさえも驚きの表情を見せていた。
「え? なん……」
なんの冗談だと腕を振る。しかし、筋から先がないそれは、不格好に軽く上下に揺れるだけ。しかもそれだけでは飽き足らず、グロテスクな切断部は徐々に停止していた大男の脳へと『痛み』という名の信号を大量に送りつけてくる。
苦痛の声を荒らげながら、彼は地面を転げ回った。無様な彼に追い打ちをかけるように、オルラッドは転がるその巨体を踏みつける。といっても、はたから見たら、片足を大きな腹の上に乗せているように見えるだけなのだが……。
「……悪は裁かれるべき存在だ」
整った顔に悪役の如き笑みを浮かべながら、オルラッドは言う。
「俺は悪という存在が憎くてたまらない。だからこそ、悪が相手であるならば容赦も慈悲も一切与えはしない。いやはや、お前が悪役で良かったよ。お陰で俺はなんの躊躇もなく、罰という名の裁きを下すことができる」
腰元に下げていた鞘からスラリと刀身を引き抜き、剣を構える正義の執行者。
「じゃ、おやすみ」
一瞬の迷いも無く剣を振るう、その姿はまさに、悪そのものであった……。
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