君だけを想う今も

ゆうき

君だけを想う今も【Side N】

夢を見た

彼女が俺のすぐ近くで笑っている夢を


周りには大学時代のサークル仲間が他にもたくさんいて、皆楽しそうに談笑していた。

けれども、俺は周りの様子などそっちのけで、やはり夢の中でもずっと彼女の姿を眼で追い続けてた。


大学を卒業して1年が経とうとしている今、一度も会う事がなかった彼女の姿を。


記憶の中の笑顔を思い出すことでしか会えない彼女の姿を。

今でもずっと恋い焦がれて止まない彼女の姿を。


この目にそっと焼き付けるように



重い瞼を持ちげて俺はゆっくりと体を起こし腕時計を見た。

時刻は午後5時半。確か約束の時間は6時だった。

遅れていくしかなさそうだな、と考えながら俺はうっかりと寝過してしまった自分に舌打ちした。

瞬間、さっきまで見ていた夢の断片が脳裏にちらつき俺はそのまま眉をしかめながら目を瞑った。


―――――あんな夢を見るから。


彼女が夢の中に出てきた回数はもう数え切れない。それはごくありふれた状況のものであったり、人にはとても言えない卑猥な夢であったりと様々である。

ここ最近、彼女が夢の中に出てくることはなかったのに。

まだ忘れられないのだろうか。

俺は何時まで彼女を思い続けなければいけないんだろう。ここまで過ぎればもう、まるで呪いか何かの様にさえ思ってしまう。


結局、想いを告げることも叶わなかったこの苦い片思いを、一体いつまで。


洗面台に立って鏡を見ると、呆れる程に酷い顔をしている自分が写った。俺は思いっきりその顔を水で洗う。一気に眠気が吹き飛ぶのがわかったが、それでもやはり今から行く合コンの事を考えると気が重かった。


『お前が来たら女の子達も喜ぶと思うんだよ!女子大生!みんな可愛い子ばっかだから。な、1回だけでいいから!』


会社の先輩に熱心に誘われて渋々引き受けてしまったが、やはり断れば良かった。

別に合コンやコンパが嫌いなわけじゃない。

しかし就職後、出来る事ならもう行かないと固く思い続けていた。大学時代にそういった類のものはもう飽きるほどに参加していた。数え切れないぐらい女をつくっては刹那的に抱いてきた。

しかし、誰ひとりとしてその顔を思い出せないのに気づく。


当たり前だよな。

皆、彼女の代わりだと思ってたんだから……―――――――


彼女が欲しいという行き場のなくした欲望を、ただただ別の女を彼女と思いながら抱くことで満たしていた俺は、今思えばかなり追いつめられていたのだろう。

自分をまるで本当の兄の様に慕ってくれていた彼女。

無邪気に笑いながら安心しきった様子で俺の横に腰をかけていた彼女。

俺が何度も、その肩を抱き寄せて唇に触れられたら……と思っていたことなど、きっと露程にも知らずに。


そんな彼女手を出すことなど俺には出来なかった。


窓の外を見ると、外の景色は眠りにつく前よりも大分暗くなっていた。寂しく鳴くカラスの声が空しく頭の中に響いた。



「中野!お前、遅いよ。自己紹介どころか皆もう飲み始めちゃったよ!」


俺はいつも付けている腕時計に目をやる。午後7時。真っ赤な顔をして俺を出迎えてくれた先輩は俺の肩に右手を乗っけると

「はい、皆さーん!お待ちかね我が社が誇るイケメン№1、中野晃一クンでーす」とふざけながら叫んだ。

「きゃぁ、かっこいー」「よっ、待ってました」と完全に酔っぱらった女子大生や同僚達が声を上げた。

すっかり高揚しきった彼らの様子に小さくため息をつくと、俺は顔をあげた。そしてその瞬間、俺は瞬き一つ出来ないほど全身が硬直してしまったような感覚を覚えた。

周りの音が、景色が、人が、色が、何もかもが自分の感覚から遮断されてしまったように、俺はただその場に立ち尽くしていた。

その席の一番奥に座っている、一人の女子大生を凝視していたのだった。


これは夢じゃない、現実のはずだ。


「ぇっ、先輩?」


小さく叫んだ彼女の声だけが、俺の耳にこだましていた。



「――――――えっ!じゃぁ、中野と沙織ちゃんは知り合いって事?」


彼女の隣に腰を下ろした会社の同期の山下が興味深そうに俺に尋ねた。


「大学の時入ってた部活の後輩だったんだよ。卒業してから会うのはこれで初めてかな」


俺はそう説明すると、向かいに座る彼女に「元気にしてたか?」と平静を装いながら尋ねた。夢の中でさっき見た彼女が今、現実に俺の前に座っている。ただ夢とは違い、彼女の髪は肩より少し下まで伸ばされていた。

そして俺を見る彼女の瞳は、現実の彼女の方がずっと綺麗で深みのある漆黒色だということ。


「はい!とても!まさか、中野先輩に会えるなんて。部活の皆も先輩に凄く会いたがってるんですよ。どうして遊びに来てくれないんですか?」


1年前と変わらず無邪気に笑いながら彼女はそう言う。

そんな彼女に俺は苦笑を浮かべる。”君を忘れようと思って”という本音は言えない。心の中だけで呟いて消えていく。


「まぁ、色々忙しくて、俺もまさかお前とこんな処で会うなんて思わなかったよ。こういう処、苦手じゃなかった?」


そう言って周りを見回した。完全に盛り上がってる周囲とは対照的に、彼女はあまりお酒にも手をつけず、目線をあちらこちらにやってはこの雰囲気に戸惑っている様にも見えた。


「たまには、こういうのもいいかなと思ったんです。就職も決まって大学生活ももう終わりだし」

「そっか。もう卒業か。就職、おめでとう」

「有難うございます」


お互いに持っていたグラスを上げ、カチンと音を鳴らして乾杯をする。グラスごしに微笑む彼女を見ながら俺はつい、自分の顔がゆるむのがわかった。それから暫く、お互いに近況を伝えあった。

俺は時折冗談を交えながら、そして彼女はそれに声をたてて笑いながら。大学時代は、よくこうして二人で話をしたものだった。あの時と全く同じだ。彼女がすぐ側にいる。

俺の気分は高揚しきっていたし、いつもより饒舌だった。彼女もとても楽しそうだった。


「なになに~二人とも随分仲良いじゃない?もしかして昔付き合ってたとか?」


ひょいっと向こう側の話に参加していた会社の同期の山下が、俺達の様子に口を挟んできた。この手のからかいに弱い彼女は顔を真っ赤にして慌てて否定した。


「ち、違いますよ!先輩は本当に面倒見が良くて、私が勝手に兄のように慕っていただけなんです!」


その言葉に一気に俺は気分が沈むのを感じた。

そうだ、勘違いするな。

今日だって親しかった先輩に偶然再会した、彼女にとってはただそれだけの出来事だ。

それなのに、今も変わらない彼女の笑顔とその声が、俺を見るその瞳が眩しくて。


やっぱり俺は、今でも彼女がどうしようもなく好きなのだと気づかされて、ひどく胸が痛んだ。

わかってた事なのに。

ずっとずっと、彼女が俺をどう思ってるかなんて。



「――――私なんか相手にもされないです」

「嘘だー!沙織ちゃんそんなに可愛いのに!」

「いえ、本当にっ!先輩は昔からモテモテでしたし。いっつも女の人が隣にいて、色んな処に飲みに行ってて。今日もこんな処で出会って、なんか先輩らしいなって思いました」


そう目を伏せながら彼女が説明する言葉に、また胸に矢が刺さった様な痛みを感じる。

そうだ、忘れてた。彼女がいつも俺を他人に説明するときに”女好き”という情報を付け足す事を。

―――――まぁあんだけ派手にやっていたんだ、そう思われるのは当然だろう。当然、なんだけれども。やっぱり彼女の口から言われるときつい。


俺はあの時…。


一番彼女の傍にいれた筈のもう戻れないあの時間、一体何をやってたんだろう。後悔の念にふいに襲われた俺は、ふっと頭を下げグラスの底を見た。


一番大事なことを俺は、ずっとしないままにしてきたんじゃないだろうか?


ふと、目の前の状況に意識を戻すと彼女の隣に座ってた山下が何時の間にか腕を彼女の肩にかけて喋りかけていた。彼の様子から完全に酔っぱらっているのがわかるが俺は思いっきり不快感を感じ眉をしかめる。


「こんな、可愛い沙織ちゃんに目もくれない中野は贅沢だよなー。俺、めちゃくちゃタイプ。彼氏とかいるの?」

「いえ、今は」

「嘘だー。本当に?でも沙織ちゃん、もてるっしょ」


その言葉に彼女は自嘲的な笑みを浮かべる。

「私、いつも長続きしないんです――――付き合ってはみても、すぐに別れちゃうばかりで」

「俺もさー、今彼女いないんだよね。ねぇ、どう?今からさ、俺と二人で飲みに行こうよ。」


彼女はひどく困った顔をしてどうにか自分の肩に掛った山下の腕を下げようとしていた。しかし彼女の力ではどうにもならない。一瞬だけ、彼女の瞳がこちらに揺れたのを感じた。

何も考える必要など なかった。

俺はすぐ横においてあったカバンを引っつかむと、素早く立ち上がり目の前に座る彼女の腕を思いっきり引っ張った。

驚いた顔をして思わず山下は腕を彼女から放し、彼女は目を見開いて俺を見た。


「カバン持て―――――帰るぞ」


戸惑ったままの彼女がおずおずと自分の鞄を手にしたのを確認すると、俺は彼女の腕を掴む手に力を込め、後ろを振り返ることなく彼女を引きずるようにして店を出たのだった。



外はもう真っ暗だった。腕時計を見るともうすでに10時を回っており、随分長い間彼女と話をしていたのだな、と驚いた。


「先輩、有難うございました」


駅まで送ると言った俺の横を歩きながら彼女は静寂を破る様にポツリと呟いた。


「ごめんな。勝手に連れ出したりして。でも見てられなかった」

「私って本当に頼りないですよね」


彼女はそう悲しそうに呟くと、続けてポツリと言葉を零した。


「私が今日みたいに困ってる時、いつも先輩が助けてくれましたの思い出しました」


助けるというよりも男に言い寄られている彼女を俺が見ていられないだけなのだけど、と心の中で思う。


「――――……先輩は、優しすぎます」


そう呟いた彼女の表情は暗闇の中よくわからなかった。


何時の間にか駅に着いてしまった俺達は電車がくるまでホームで待つことにした。

本当は電車に乗る必要なんてなかったのだけれど、彼女と離れたくないが為俺は切符を買い、自販機でココアとコーヒーを1つずつ買うと彼女の隣に腰を据えた。


「コーヒーは苦手だったよな」


こくりと彼女は頷くと俺から受け取ったココアを頬にあて嬉しそうに微笑む。その姿にまた、胸がうずくのを感じた。今日何度見たかわからない腕時計をもう一度見た。

電車が来るまであと10分。

それが過ぎたらもう二度と、彼女に会うことはないかもしれない。さっき店にいた時ふと考えた事がまた頭をよぎった。


俺はずっと大事なことを……



彼女はココアを啜りながら、ちらりと俺の方を見る。その瞬間、彼女は驚いたように目を見開きながら呟いた。


「―――――その時計使ってくれてたんですね」

「え?……あぁ、これな」


俺は自分の左手にいつもつけているその腕時計を見て苦笑した。一見、シンプルなデザインの黒い革ベルトの腕時計。しかし俺にとっては特別なものだ。


―――――卒業式の日


体育館から出てくると、校門の前に彼女が一人で立っていた。傍に近寄ると俺を小さな声で呼んで、すっと小さなリボンのかかった箱を彼女は手渡してきた。

『部活の皆からなんです』

その言葉にやっぱりそうだよな、と落胆しながらも俺はそれを受け取り礼を言うと包みを開けた。

中には小さな腕時計が一つ、日の光を浴びてキラキラと光っていた。彼女はその時、俺の様子をうかがう様にこう言った。


『でも、その時計は私が選んだんですよ』


その言葉だけで、この時計は俺の宝物になったのだった。


「気に入ってるんだ。いつも付けてる」

「嬉しいです。先輩には少し可愛すぎたんじゃないかなって」

「お前が選んだんだ。大事にするに決まってんだろ」


思わず口に出してしまったその言葉に少し彼女は驚いた顔を浮かべたがすぐに笑顔になって言った。


「やっぱり、先輩は誰にでも優しすぎますよ」


その言葉に、俺の中で彼女に対する感情が一気に込み上げてくるのを感じた。


どうして?


どうしてわかってくれないのだろう?

何故、俺の想いにこれっぽちも気づかないのだろう?


こんなにもこんなにも想っているのに、どうしてだ?


―――――ずっと  


ずっと 君だけが好きだった。


傍にいる時も、会わなくなっても


こうして再会した   今も。


「――――――誰にでも優しくなんかない」


そうだ、その理由なんてもうとっくにわかってる。俺はずっと大事なことをし忘れていた。

想い続けるだけじゃダメなんだ、ずっと何も伝えていなかったんだ。


「俺が優しいのは、お前だけだ」


彼女がこちらを見た。その眼には驚きと困惑の色がはっきりと見て取れた。彼女にどう思われても構わない。もう、これで会う事が出来なくなったとしても。

彼女が俺に寄せる好意を踏みにじることになっても。俺が彼女から解き放たれる為にも。


「好きなんだ、お前だけが、昔も今も……ずっと」


彼女の持っていたココアから白い湯気がたっている。それが彼女の表情を隠すかのようにゆっくりと、揺れた。

何処からか電車がこちらに向かってくる音が、微かにホームに響くのを俺は聞いていた。


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