夏の夜の夢は続く
こうして、無事に古民家から脱出した加賀見は業者を利用して、家に戻ることなく引っ越し作業を終えた。
以前住んでいた都内のマンションに戻り、何事もなく過ごしている。
座敷童子が去ると不幸が訪れるという。自ら離れた場合も同様のことが起こることを考えて身構えていたのだが、そのようなことはなかったようだ。
(やはり早めに離れたのは正解だったのかもな)
そんなことを考えながら、休日の昼間に業者に運んでもらった荷物を整理していると、スーパーのビニール袋に包まれた物体をみつけた。
中を開くと、出てきたのはあの晩、一緒に駆け抜けた相棒、便所サンダルであった。
(引っ越しのどさくさに紛れて処分してしまったかと思ったのだが、残ってたんだな)
しげしげと眺めると、ふと加賀見はある伝承を思い出す。
山奥に
「あの家、まさかな……」
やたらと妖怪遭遇率の高い不思議な家ではあったが、さすがにないだろう。
もしそうだったとして、持ち帰ったものが便所サンダルというのもいかがなものだろうか。
家でのことを思い出し、しんみりとした気持ちになる。
今頃、あの泣き虫な座敷童子は寂しがっているだろうか。
綺麗にした上に、加賀見が描いた絵があるからしばらく生き延びられるとは話していたが。
充木とは引き続き連絡をとっている。特に家に変わりはなく、穏やかなものだと語っていた。
(次はもっと、家に居ついてくれる優しい家族に巡り会えるといいな)
そう願っていると、ピンポン、とインターホンが鳴った。
「はいはい」
浸っていた気分を切り替え、加賀見が玄関の扉を確認せずに開けると、そこには黒いサングラスに黒いスーツを着た黒ずくめの集団が立っていた。
強面なその雰囲気に、マフィアかやくざか、何かかと加賀見が身体をすくませつつ、確認せず開けてしまったことを後悔する。
「すまねえな、兄ちゃん」
黒スーツの集団から同じく黒いスーツに黒い帽子をかぶった一人の老人が進み出てきた。
その渋く、深みのある声と話し方に加賀見は聞き覚えがあった。
「俺の名前は………」
「もしかして、鳥とか黒という漢字が入っていますか? 何だったら羽でも天でも」
「よくわかったな。
まんまな名前に、やっぱりー! と加賀見は内心で叫びをあげる。
「ちょいと兄ちゃんがこの間まで住んでた家でトラブルがあってな。前の所有者として立ち会ってもらいたいんだ、すぐにでも」
「いえ、これから予定があるので、すぐは無理です。また改めて来てください」
早口で言い、扉を閉めようとすると、警察ドラマのごとく扉を足で抑えられた。
「おいおい、テレビは見てるかい? 察しがいい兄ちゃんのことだからこちらの事情は理解していると思うが」
「いいえ、何のことやらさっぱり!」
察したくない、と叫び返すが無情にもBGM代わりにつけていたテレビのニュースが耳に届く。
『続いて、市長の汚職が判明した○○市ですが、工場の撤退、失業者が急増し地域住民による抗議活動が活発となっています』
『加えて、この地域、先日より地震が頻発していますね。本当に災難続きとなっております』
キャスターの声を聴いていくにつれ、さーっと加賀見の顔が青ざめる。
伝承曰く座敷童子が家を去ったら家が傾くとある。
だが、男が家を去ったら市が傾いてしまったようだ。
(そんな馬鹿なことがあってたまるかぁ!)
「というわけだ、兄ちゃん、一緒に来てくれや」
「そ、それでも行く気はない! というか、あいつはどうなったんだよ。アンタだって、離れるのもありだって言ってだろ!?」
「うん、あの時はそう思ったんだよ。坊も頑張った、頑張ったんだが、なあ……無理は身体に悪かったというか」
目を逸らしつつ、どんどん老人の言葉にキレがなくなっていく。
老人としても手のつけられない状態らしい。
「おまけに、なんでこの場所がわかったんだ?」
加賀見の疑問に答えるようにピロリン、と着信音が鳴った。スマホを取り出すと、
『すまん』
と一言だけ書かれた充木からのメッセージが映し出された。
「う、俺はもう戻る気はないんだあああっ!」
頼みにしていた充木から裏切られ、逃げ出そうと加賀見が咄嗟に便所サンダルで走り出そうとするが、あっけなく黒スーツの男たちが押さえつけた。
「兄ちゃん、悪いようにはしねえから抵抗しないでくれ!」
「それ、悪いようにしかならないフラグじゃないか! 嫌だああ!」
こうして、加賀見は元の古民家に連れ戻され、再びステイホーム生活を強いられることになったのであった。
めでたしめでた………し?
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