2ダル目
ぷぎゅぷぎゅぴぎゅぷぎゅぷぎゅぷぎゅ!
雨が降りしきる昼間、一人の男が汗と水滴で顔をぐちゃぐちゃにしながら、砂利を蹴り上げ庭を駆けていく。
男の必死な表情とは裏腹に、踏みしめるたびに足元で鳴り響く子ども用サンダルの音が、緊張感をかき消していく。
男が目指すは自宅の黒い門、ただそれのみ。
阻むのは降りしきる雨…………ではない。
男が足に履いている相棒、子ども用サンダルそのものである。
成人した男の足には明らかに小さすぎて指3本しかまともに入ってない。甲のベルトに描かれたアニメキャラの顔が横に伸びきって限界具合を物語っている。足底はさらに悲惨で、足の半分がサンダル内に収まらずダイエットスリッパのような様相で、非常にバランスがとりづらく、雨に濡れた砂利の上で転ばないようにするのも一苦労。
とどのつまり、非常に走りにくいのだった。
しかし、いかに走りづらく無様であったとしても男には、門を目指す理由がある。
(もう少しで、たどり着く……!)
門まであと20メートル。
男、加賀見は果たして、数か月におよぶ自宅生活から脱出を果たせるのか!?
……を語る前になぜ子ども用サンダルで脱出を図ることになったのか、経緯を説明するとしよう。
◇
猫又に脱出を阻まれた数日後。
充木は加賀見から紛失したサンダルの弁償金を受け取りに家を訪ねていた。
ただ、加賀見は現金を持っていないので、代わりに、手持ちの作品を譲りうけるという話になったのである。
パソコンの画面を眺めつつ、充木がほう、と声をもらす。
「CGを駆使した近未来的な作品を描くかと思っていたのだが、水彩のような温かみのある絵を描くのだな」
画面には、水彩の透明感を生かした山々や海、町などの風景画から、民話や絵本の挿絵になりそうな子どもの絵が並んでいる。
「今は、水彩タッチで描ける機能も充実しているからな。デジタルの方が失敗してもやり直しがきくし。こんな風に習字タッチの文字も再現できる」
試しにさらさらと手持ちのタブレットに書いてみせると、キャッチコピーにも使えそうな流麗な筆文字が画面に表示された。
「なるほど、味があるな。もしかして、居間に飾ってある絵も加賀見が描いたのか?」
充木が示した先には、座敷童子と同じ着物を着たふくふくとした童女が微笑みながら毬で遊ぶ、心が和むような絵が飾られていた。
「そうだ。自分でも会心の出来だったので、即印刷して飾ったんだ」
「モデルは、この座敷童子か?」
相も変わらず加賀見の影に隠れている座敷童子を示す。
充木のことを興味深そうに眺めていたが、話題にあがったことに気づいて恥ずかしそうに隠れる。
「こっちに越してきたばかりの時に楽しそうに遊んでいたのを見かけて、それで思わず指が動いたんだ」
「なるほど、確かに美少女だからな。いい題材だ」
楽しそうに着物を着た美少女が毬で遊ぶ光景。確かに想像しただけで眦が下がるというものだ。
充木の言葉を聞いて、ん? と加賀見が首をひねる。
「充木、こいつはおそらく男だぞ」
「え?」
加賀見の話によると、越してきた時に荷物を整理していたら、二階に前の家主の長持が残っていて、中を開けてみたらぼろぼろになった男の子型の人形があったそうだ。
見つけた時はおかっぱではなく髪を頭の天辺で一本に結わいて、ちゃんちゃんこに男物の着物を着ていたのだが、いかんせん長い年月放置されて虫に食われてしまっていたり、煤けてしまっていたり、ひどい状態であった。
「試しに顔をぬぐったらキレイになったんで、無事に残っていた着物をそれっぽく着せて、傷んでしまった髪の部分を切っておかっぱ頭にしたら、女の子っぽくなってしまった。そのあとからこうしてよく人型で出てくるようになったんだが」
「なるほど、そのぼろぼろだった人形が本体と考えると、元は男の子だった、と」
「そういうことだ。そうか、もしかしたらこうしてよく出てきたり、俺を家に出さないように妨害しているのは、女装させられたことへの恨みからかもしれないな」
「そうなの……か?」
加賀見の推測に充木が疑問を浮かべる。
加賀見の背後で、頬に手を当てて、もじもじとしている座敷童子の様子からは嫌そうには見えない。
(満更でもなさそうだ……)
男の娘な座敷童子ってどうなのだろうか、と充木は思ったが、本人が嫌でないならばいいか、と思い直した。
◇
座敷童子の思惑はともかくとして、加賀見が外に出ることができない状態は変わらず問題である。
夜に脱走しようとした一件から、座敷童子も警戒を強くしたのか離れているときであっても、玄関に近づこうものならいつの間にか気づいて泣き出すという始末であった。
打開策もないまま数日経過し、ある日の昼のこと。
「昨日はひどい雷雨だったな」
きしむ雨戸をしまいながら、寝間着用のTシャツとジャージ姿の加賀見が空を見上げる。
入道雲が多少残っているが、透き通った青空が広がっていた。
依頼が入り、夜通し制作作業をしていたため、寝たのが3時過ぎであったため、すっかり寝坊をしてしまった形だ。
「加賀見」
声を掛けられ、庭に視線を戻すと、4~5歳ぐらいの甚平を着た女の子を連れて充木がやってきた。
「おはよう。その子、充木の子か?」
「おはようじゃなくて、おそようだ。それに、こんな男っぽい話し方の女に男が寄り付くと思うか?」
「需要はあると思うが、冗談だ」
この間の仕返しとばかりに加賀見が返す。
とはいえ、姪っ子の顔立ちは可愛らしいというよりも利発そうで充木によく似ていた。
「どうしたんだ、今日は一体?」
「姪っ子に座敷童子の話をしたら会ってみたいって言ってな。見えるかどうかはわからないが、連れてきたんだ」
「人の家を見世物小屋感覚で訪ねないでほしいんだが……」
呆れつつも、おーい、と加賀見が声をかけると二階で何やらごそごそしていた座敷童子が窓から顔をのぞかせた。
座敷童子は家に富をもたらすという話以外にも、子ども好きでよく遊ぶ話が伝承として残されている。
加賀見の家に住んでいる座敷童子も充木の姪を見るなり顔を輝かせて、たたた、と階段を駆け足で降りてきた。
ただ、腕の中に見慣れない眠そうな目をした灰色の子犬を抱えながら。
「お前、その子犬どうしたんだよ」
降りてきた座敷童子を見るなり加賀見が問いかけると、おかっぱ頭をことん、と傾けた後で天井を指さした。
なんのことやらよくわからない。
「いつの間にやら家に侵入していたのかな?」
充木が手を伸ばして子犬を撫でる。おとなしい様子に、姪っ子も手を伸ばす。
「わあ、わんわんだ!」
幼い手で撫でると、嬉しそうに子犬が目を細めた。
(う、俺も撫でたい)
先日、猫にひどい目にあわされたが、加賀見は基本的に猫や犬などもふもふとした生き物が大好きだ。許されるならば、撫でまわしたいくらいである。
「俺も……」
と子犬の頭に手を近づけた瞬間。
ビリっとした感触が手に走った。
「っ!?」
「どうした?」
「いや、静電気が走ってびっくりしただけだ」
思わず引っ込めた手のひらには、小さな赤い痕がついていた。
(静電気にしては刺激が強すぎるような……?)
手を眺めなら加賀見が首を傾げる。
その側では、子犬と座敷童子が撫でてくれないの? と目で訴えかけていた。
「同じような瞳を4つ並べて切なげに見るな。反則だから」
子犬と子どもの視線は、何も悪いことをしてないのに、良心をえぐってくるから不思議だ。
加賀見としては、撫でたい気持ちはあるものの、先ほどの感触に地雷めいた危険を感じる。ここは触らない方が吉だ。
そこへ、充木の姪っ子が座敷童子に声をかける。
「わらしちゃん、おじさんはほっといてあそぼう!」
「お、おじ……」
俺、まだ20代とツッコミを入れようとしたところを、充木が肩を抑える。
その隙に姪っ子は縁側から上がりこむと座敷童子と共に二階へと上がっていってしまった。
「俺、20……」
「はいはい、わかってるよ。それより、これはチャンスだ」
充木の言わんとすることに加賀見は気づく。
座敷童子は今、気をとられている。
逃げるのならば今は絶好のチャンスだ。
「この間の絵の礼だ。私が見張りをしているから、今のうちに急いで門まで走れ。二足、縁側下の踏み石に置いといたから」
「恩にきる……!」
策士な充木に感謝すると、3人が二階に上がったところを確認してから縁側へと戻る。
言っていたとおり、踏み石の上には女性ものの草履が二足置かれていた。
感謝しつつ、草履をはく。
しかし、加賀見が草履の間に指を入れた瞬間、鼻緒が切れた。
(あ……)
もう一足あると思い、別な草履へと手を伸ばすと、今度は持った瞬間に鼻緒が切れた。
(……)
ここまでタイミングよく二足続けて鼻緒が切れるとは考えにくい。座敷童子によって運が操作されていることが推測された。
耳を澄ますと、楽しそうな子どもたちの遊び声が聞こえてくる。加賀見の様子に気づいたわけでは無さそうだ。
(せっかく充木が作ってくれたチャンスを無下にしたくない。だが、どうやって砂利を攻略する……?)
焦る加賀見の目に、ふとカラフルな履物が映る。
赤い色にアニメのキャラクターが描かれたそれは、充木の姪っ子が履いてきたと思しき、子ども用サンダルであった。
(これしか……ない!)
アクション映画のクライマックスシーンのごとく決断する加賀見であったが、残念なことに、この場で彼に常識的な発言で制止をかける者は誰もいなかった。
◇
姪っ子と遊んでいた座敷童子が何かに気づいて顔をあげた。
「どうした?」
「どうしちゃったの?」
充木と姪っ子が声をかけるが、座敷童子は答えずにその目にじわり、と涙が浮かんでいく。
(もしかして、加賀見が離れたことに気づいたのか?)
充木の予想を裏付けるかのように、座敷童子がぽろぽろと涙を零していく。
同時に、家の中が暗くなり、窓の外を見ると先ほどまで晴れていた空が雲で覆われ、雨が降り始めた。
パチパチ。
火の粉が爆ぜるような音に、視線を窓から室内に移すと、先ほどまで眠そうにしていた子犬がぱっちりと目を開け、毛並みを黄金色に輝かせていた。
「これは……!?」
座敷童子が泣き出すと、バケツをひっくり返したかのような激しい雨が降り出し、子犬が窓から外へと飛び出していく。
そして、轟音による振動が家全体を襲った。
◇
先ほどまで晴れていた空があっという間に曇り、すぐさまゲリラ豪雨となって加賀見を襲う。
ぷぎゅぷぎゅとなっていたサンダルの音ももはや聞こえてこない。
おそらく、座敷童子が加賀見の脱走に気づいたのだろう。
門までは、もう20メートルだ。
このままでも数秒で到達できる。
(今度こそ――!)
門に向けて手を伸ばす加賀見。
その男の影へ、まるでレーザービームのように金色の光が襲った。
!!
ズガンとも、ビシャーンとも、ドガーンとも擬音語で形容できない轟音が古民家の敷地に響き渡る。
幾ばくかののち、雷による轟音の余韻が残る雨煙の中。
ふしゅー、と別種の煙をあげながら砂利の上に加賀見が倒れ、その周りにはじゃれるように黄金色の子犬が飛び跳ねていた。
「なるほど、あれは雷獣だったのか」
様子を見に降りてきた充木が子犬の姿に感嘆の声を漏らした。
雷獣とは、落雷とともに現れる妖怪で犬のような姿をしていると言われている。天候が荒れているときには、楽しそうに空を駆け巡り、晴れているときには眠っていると言われているが、先ほどまで気だるそうにしていたのはそのためだったようだ。
「おーい、生きてるかー?」
充木が声をかけると弱弱しく加賀見が手をあげるが、子犬の身体が軽く明滅するなり、はうっ、と伸ばした手がべちゃりと地面に落ちた。
「あー、この雨だと救出するにはご機嫌をとってからでないと無理そうだな……」
座敷童子が大泣きしているのは言うに及ばず。雷の衝撃と座敷童子の泣く様子に当てられてしまった姪っ子も泣き出してしまっていた。
二人の子どもが大雨のごとくわんわんと泣き叫ぶ様子に、大雨に倒れ伏す男が超危険なわんわん(妖怪)に
惨憺たる状況にお手上げだ、と充木は引きつった笑みを浮かべた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます