サンダルでダッシュ!

螢音 芳

1ダル目

 かこかこかこかこかこかこっ!



 むかーしむかし、から数百年後の現代。

 ある東北の市町村合併された、元村の山のふもとの古民家の庭で。



 真夜中に婦人用の木製サンダルで砂利を蹴りあげながら、猛スピードで駆け抜ける男がいた。



 男の姓は加賀見かがみ

 20代の若さで、ひょろっちい上に無精ひげを生やしているが、見目は悪くなく整えれば男前と言える。

 ただ、その顔も必死さから引きつり、汗まみれで髪が貼りついていては、残念としか言いようがない。


 そんな男が目指す先はただ一つ、自宅の黒い木製の門。それも入る側でなく、出る側だ。


 門まであと30メートル。


 なぜ真夜中に大の男がなりふり構わず、婦人サンダルを履いて、自宅から出ることに必死になっているのか。



 経緯いきさつを数時間前の神主との会話から語るとしよう。



 ◇



「座敷童子に監禁された。助けてほしい」



 祭り前に氏子の家を訪ねてまわっていたところ、立ち寄った古民家で男から打ち明けられた言葉に、女神主の充木みつるぎは面食らった。

 加賀見という、目の前の男をまじまじと見る。真剣な表情からは、嘘を言っているようには思えない。

 落ち着くために、ずず、と出されたお茶を一口すすってから充木は加賀見のそばを指さした。


「まさかとは思うが、座敷童子って、君の服を握りしめているその子か?」


 加賀見を壁に代わりに隠れていた影が、指摘を受けて顔をのぞかせる。

 赤い椿の花飾りをつけたおかっぱ頭に、黒に紫陽花が描かれた着物を着た、人形のような童女。その無感情にも見える黒々とした目が、じいっと充木のことを見ていた。


「君の子どもじゃないのか?」

「ずぼらな見た目をした俺が、こんなきちっと着物着た子どもがいると思うか?」

「だろうな、冗談だ」


 しれっと言いのける充木に、やれやれと加賀見がおもむろにスマホを取り出す。女の子ごと映るように自撮りし、充木に見せる。見事に画面には加賀見だけしか映っていなかった。

 これで、女児の存在が超常現象であることが理解できたはずだ。


「ほぉ……神主となって数年経つが、とうとう私も霊験を得て妖の類が見えるようになったか」

「気づくところは、そこじゃないだろ」


 驚くでもなく飄々とした調子の充木に対し、加賀見が指摘をいれた。


「ちなみに監禁されていると言っていたが、確認のためにもう一度聞くと、可愛らしい童女……もとい座敷童子をむさい君が鑑賞目的から監禁しているわけではないんだな?」

「いろいろと語弊があるが、そうだ。現状は、俺がこいつに監禁されているんだ」

「少し経緯を教えてくれないか?」


 憮然と加賀見は頷くと、話し始めた。


 元々イラストレーターとして都会で暮らしていたのだが、地方誘致政策の兼ね合いから安く古民家が手に入ると話を受け、引越してきたのが数ヶ月前のこと。

 当初は何か気配がするな、とは思ったが気にならず悠々自適に暮らしていた。

 暮らして1ヶ月経つ頃から家の中にて、着物を着た童女を頻繁に見るようになった。そのあとより、仕事の依頼が増え、副業にしていたデイトレーダーも勝てる日が多くなり、月の収入のケタが一つ増えた。

 特に、仕事では宣伝しているわけでもなければ、経済も全体的に景気がいいわけではない。

 明確なきっかけもなく、とんとん拍子にいいことが続くのはおかしい、と加賀見が思っていると、ふと側を童女が通りかかった。もしやと思い、加賀見が何気なくスマホ越しに見たら、映ってなかったことに気づいた、というわけであった。


「それで、いろいろ調べた結果、座敷童子だろうと当たりはついたのだが、なら今まで感じていた気配も妖の類かと気づいて。このまま暮らしてはいけないと、引っ越すことにしたんだ」

「まあ、座敷童子はいい妖としても、妖怪と人が長く一緒に居てもいい話は聞かないからなぁ……」


 様々な民話でも妖と過ごした結果、不幸で終わる話は多い。離れた方がいいという加賀見の感性は充木にも十分理解できる。


「ただ、引越しの準備を進めていたら、妨害にあってな」

「妨害?」

「スーツケースに油性ペンで落書きされたり、服を汚されたり、靴をすべて隠されたり」

「……君がされているのは、小学生のイタズラではないよな?」


 挙げられた妨害の内容の幼稚さに、充木が、呆れながら問い返す。

 しかし、加賀見の表情は深刻そのものである。


「地味だけど割と深刻だ。特に、履物が無いのは痛すぎる」


 加賀見がちらりと視線を外の庭へと向けた。家を取り囲むように周囲は砂利で敷き詰められており、素足で走ろうものなら血だらけになることは想像できる。


「まあ、外に出るのは二次的問題として、座敷童子こいつがこんな感じでずっとついているんだ。下手に外に出ようとするものなら……」


 加賀見が立ちあがり、しがみつく座敷童の手を振り払って、居間を出て玄関を向かおうとした。すると、人形のようだった童女の目にうるうると涙が浮かび、激しく泣き出した。


 がたがたがたがたがたっ!


「うわっ!」


 急に地震に見舞われたかのように家全体がはげしく揺れだし、とっさに充木が卓にしがみつく。


「わかった、わかったから」


 加賀見が戻り、居間の元の場所へ座り込むと座敷童子は泣くのをやめ、再び加賀見にしがみついた。

 同時に、家全体を襲っていた揺れもおさまる。


「なるほど監禁、と言うのもあながち間違いではない、か」

「ああ。だから出れなくて困っている」


 加賀見の状況を理解して充木がうなずいた。


「こんな状態が続いているなら、生活に支障が出るだろう? かなりたいへんだったんじゃないのか?」


 まさか妖怪のせいで家から出られなくなっているなんて警察に相談できるわけでもなし。この調子では長期間加賀見は家から出ることができなかったのではないだろうかと思い、充木が問いかける。


「そうだな。もう、かれこれ3か月ぐらいこの生活をしている」

「3か月も!? 家から出ずによく生活できたな」

「それが、意外にも、困らなかったというか……」


 充木の思惑とは別に、加賀見が後ろ頭をかきながら答える。


「元々俺は、絵を描くのを仕事にしていて、ネットで依頼を受けれるし、大手の仕事もメールや通話でやり取りできる。絵もペンタブで描いているからそこまでたいへんじゃない」


 聞くに、副収入のデイトレードにしても、ネット環境さえあれば完結できる上に、口座の管理もネットバンクでやり取りしていた。


「仕事や金の問題がなかったとしても、スーパーとか行けなかっただろうし、食事とかは?」

「最近、ネット通販が普及しているから食料品は朝注文すれば確実に夕方まで届くし。それに、何故かこんな田舎なのにウーパーイーツのサービスもあったりして」

「ん? 言われてみれば、最近進出してきたようだな。他にも宅配ピザとかデリバリーサービスの充実した飲食店が増えたし……」


 話しつつ、最近の市の変化から充木がある違和感に気づいた。

 試すように加賀見に問いかける。


「こんなに古い家だったら何か不具合があるのでは?」

「家の不具合や修理にしても、近所にホームセンターができて相談に乗ってくれたな。水道管が壊れたときにあれは助かったな」

「服とか着ているものも、困るのでは? サイズとか合わないとたいへんだし」

「それが、大手ファッションブランドの支店が県内にできたとかで、大々的に試着サービスをやってるって広告が出てたから、それを利用して購入してる。残念ながら、靴の購入のサービスはやってないみたいだけど」


 不自然なまでに都合よく生活が完結していることに充木は顔を引きつらせる。加賀見の背にいる座敷童子を見ると、さっと隠れた。


「まったく、家から出ないでも生活がある程度成り立つなんて、世の中便利になったものだ」

「あ、ああ、そうだな。世の中が便利になったというか、君のおかげで便利になった気もするが……」


 言葉を濁しつつ、加賀見に同意する。男がこのまま家に留まっていた方が市が発展するのでは、と充木は思ったが口には出さなかった。



 ◇



 結局、加賀見が家を出れるようにするにはどうしたらいいのか、思考錯誤したが、いい案が出ず、充木は帰っていった。


「神主だからお祓いしてもらえばなんとかなるかと思ったんだが」


 夕飯を食べ終え、扇風機が静かに回る居間で涼みながら加賀見がぼやく。

 充木が加賀見の言葉を聞いていたら神主の意義を間違えている、と憤慨していただろう。座敷童子をお祓いしてもらおうという話も前代未聞だが。


 件の座敷童子はというと、庭に降りて迷い込んできた茶虎の猫を屈みこんで見つめていた。


「首輪をしているということは、飼い猫か?」


 加賀見が茶虎の猫を観察していると、ふと尻尾の先がぱっくり分かれて二股になっていることに気づく。


(もしかして、猫又……? いやいや、まさか。毛先が分かれているだけだ)


 類は友を呼ぶとは言うが、そうそう世の中妖怪であふれているわけがない。あふれてたまるか、と半ばやけくそ気味に思う。

 それにしても、座敷童子は猫のことを真剣に見つめ続けている。

 まるで会話しているかのようだ。


(ここまで集中しているならば、もしや?)


 試しにそっと音を立てないように加賀見が居間を離れる。

 座敷童子の視界から外れるが、地震が起きる気配はない。

 こっそり、そのまま玄関へと向かい、加賀見は下駄箱の中から女性もののサンダルを取り出した。


 充木が帰る前に、せめてと加賀見が頼み込んだものだ。


『もしかしたら、座敷童子に隙ができれば脱出できるかもしれない』

『仮にできたとして、どうやって逃げ出すんだ? 裸足では走れないだろう?』

『ちなみに、どうやってここまで来たんだ?』

『おい、加賀見、まさか……』


 そう、そのまさかだ。充木は車で来ていたので、運転用に履き替えられるよう、予備にサンダルを持ってきていたのである。

 帰るときに靴箱に仕込んでもらうよう頼んだのだが、きっちり充木は入れておいてくれたようだ。

 充木のアドバイスを思い出す。


『座敷童子の伝承は諸説あるが、人を出れなくするなど、直接的な干渉を及ぼせるとしたら、家の中までだろう。とりあえず、敷地から外に出ろ。そうすれば、追ったりすることはできないはずだ』


 玄関から門までは約50メートル。

 女性もののサンダルで走るのは不安があるが、いざとなれば走り抜けられる距離だ。

 数か月ぶりに、外に出れる。

 加賀見は喜びと緊張感でいつの間にか全身に汗をかいていた。

 鍵はかけていないため、ゆっくりと音を出さないよう引き戸を開け、外に出る。

 大丈夫だ、気づかれていない。

 そっと、一歩を踏み出した瞬間。


 カコッ――


 敷居にサンダルが当たり、音が鳴ってしまった。

 まずい、と焦る中、ざわり、と空気の感触が変わり、戸がかたかたと揺れだす。


(このまま引き下がれるかっ!)


 妨害が来る前に逃げ切るべく、音が出るのも構わずに一目散に門に向かって走り出した。

 女性用のサンダルというハンデはあるにしても、男の足で走れば50メートルなんて数秒だ。


 必死で走り、あっという間に門まであと、30メートル。


(ようやく外だ――)


 加賀見が歓喜で顔をほころばせた。

 その時、暗闇で一斉に複数の目が光り、加賀見を取り囲んだ。

 殺気、というほど剣呑ではないが、それに近い脅威を感じて思わず加賀見の足がすくむ。


 ざぁっ!


 足が止まったのと同時、男に向かって、複数の影が庭の茂みから飛び出してきた。

 茶虎、三毛、キジトラ、サバトラ、白、黒、黒白、様々な色の猫が男へと飛び掛かっていく。

 一匹一匹はさほどでもないが、数が多ければ十分に脅威だ。あっという間に全身を猫でおおわれると、加賀見は地面へと押し倒される。

 抵抗しつつ見上げると、夜空が見えないほど猫たちの顔が加賀見へと迫っていた。


「ぎ、ぎぃぃにゃあああああああ!」


 男のものか、それとも猫のものか、区別のつかない悲鳴が蒸し暑い夏の夜に響き渡った。



 ◇



 朝。

 瞼越しに差し込む眩しい光に気づいた加賀見はハッと目を開けた。いつの間にか縁側で横になっており、腹部のところには、座敷童子が目に涙を浮かべたまましがみつき眠っていた。


「いったい、なんでここに?」


 呟いた直後、服を見ると、猫の毛がそこら中についていた。

 気を失う寸前、尻尾の先が分かれた茶虎が周りの猫を従えつつ、自分のことをにやにやと見下ろしていたことを思い出す。


「…………」


 やはり、あれは猫又だったようだ。

 してやられた、と思いつつ身体を起こす。

 ポケットに入れていたスマホが振動し、取り出すと、連絡先を交換していた充木からの着信であった。

 軽く挨拶を済ますと、充木が問いかけてくる。


『脱出は成功したか?』

「いや、それが……」


 加賀見が昨晩の逃亡の顛末を話すと、ふーん、と充木から気のない返事が飛んできた。


「その反応、失敗すると思っていたな?」

『難しいだろうな、とは思ってたさ。それよりも、私のサンダルはどうした? 気に入ってたんだが」

「あ」


 間抜けな声を出しつつ、自分の足元を見ると裸足であった。

 どこへやったか庭を見渡すと、三毛猫と茶虎の猫が片方ずつサンダルをくわえて茂みへ潜りこもうとしていた。


「待て!」


 慌てて加賀見が声をかけると、茶虎猫がこちらを振り向き――


 ハッ


 いい大人が子ども泣かせてんじゃねーよ、とでも言うかのように鼻で笑った。

 人間じみた仕草に加賀見が呆気に取られている中、二匹は踵を返すと、茂みの中へと潜っていってしまった。


「……………………」

『弁償、待ってるよ』


 事情を察して笑いをこらえる充木の声が、無情に加賀見の耳元に響いた。

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