第10話 すこやかに
レグルスの手のひらは冷たかった。なのに不思議にあたたかく感じて、じわじわと胸の底に染み込んだ。
そう感じたのは、“私”だけではなく、“俺”も同じだ。
生まれ育った村が、真っ赤に燃えて消えていく。振り返ることも、泣くこともできなくて、今よりもずっと幼い俺は走り続けた。大声をあげて泣きわめきたかった。なのに、そんなことをしてはいけないということだけはわかっていて、唇を噛み締めて、体中を泥だらけにして、ただ息ばかりを飲み込んだ。
エルフの村にたどり着けば、何かが変わるかもしれない。そう期待していたのに、結局何も変わらなかった。そうして、口元を押さえてどんどんと、まるで水の底のような場所に沈んでいた。
なのにあっけなく引っ張り上げられた手のひらは、俺と同じく小さな手だ。まるで、大きく息を吸い込んだような、そんな奇妙な感覚だった。家族になろうと言われた言葉は甘ったるくて、きっと彼女にとって、大した意味もなにもない言葉だった。それだというのに、びっくりするほど喜んでいる自分が悔しくて、腹が立ってたまらなかった。
カナの手のひらはあたたかくて、やわらかかった。
その感覚に、ふと目を閉じた。おそらくこれは、持ってはいけない感情だ。彼女は人間だ。生まれた場所だって違う。
「レグルス、家族になろう。もちろん血なんてつながってないし、年も違うし、生まれた世界も違うけど。でもきっと、変じゃない。きっとそれは、変じゃない」
そうだな、カナ。
けれども。
やっぱりそれは、とてもおかしなことなんだよ。
たくさんの月日が過ぎた。
カナは成長した。俺は何も変わらなかった。以前は兄妹のようだと言われた姿が、姉と弟と呼ばれるようになったのは、俺にとってみれば、それからすぐのことだ。けれどもカナにとっては、きっと長い時間だった。エルフは人間よりも成長はずっとゆっくりだ。
すっかり俺よりも高くなった彼女の視線を見上げて、なんでもない顔をした。これは当たり前のことだからだ。カナには帰る場所がある。俺にはもうないけれど。
***
「そろそろ、宿屋の部屋は別にした方がいいんじゃないか?」
ぽりぽりと頭の後ろをひっかいて提案されたレグルスの言葉に、私は幾度か瞬いた。「なんで?」 首をかしげてみると、レグルスはううん、と唸って、「なんでって、なあ。うん、なんでってなあ……」 なんつーか、なあ、とひどく言いづらそうに眉を寄せて、ついでに顔をそむけている。
「いや、一つでいいでしょ。お金が勿体ないし。ずっとそうしてたじゃん」
「そうなんだけどな。そうなんだけどなあー……」
端切れが悪い。
もちろん旅と言えば野宿が基本だけれど、街を経由するときは宿屋に泊まることだって多い。気候がいい南の地域だったならまだしも、北に行くにつれて、その頻度も上がってきた頃だ。路銀稼ぎの口上もうまくなってきたおかげか、収入も安定してきたという理由もある。
散財はできないけれど、これは必要な出費でもある。神殿までの行き道はなんとなくわかるけれど、その道程まではわからない。情報収集の一貫にもなるのだ。とは言え、やっぱり無駄遣いはできないからいつも同じ部屋を一つとるのが当たり前だったので、こんなことを彼が言うのは初めてだ。
「二部屋にしよう。な、金はあるだろ?」
「別に余裕がないわけじゃないけど……」
とは言え、資金が潤沢であるとも言えない。いややっぱり、でもしかし、と二人で一緒に揉めていると、受付のお姉さんが「どっちになさいます?」 重ための口調を見たところ、さっさと決めろという意味合いだ。
「あ、一つでいいです、一つで」
なので慌てて当初の目的通りの数を伝えて鍵をもらうと、部屋に入ってみるとレグルスはため息をついて、一つしか無いベッドの端に座っている。「なんつうかさあ。お前もいい年なんだから、そろそろさあ」 最近言うことがめっきりおじいちゃんからおじさんみたいになってきたような気もする。
その日、同じベッドの中で眠りながら、相変わらずレグルスはぶつくさと文句を言っていた。おじいちゃん、うるさいですよと文句を言うと、うるせえよ、と寝言のように呟いていた。
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