第3話 きみと旅する


 殴られる。そう思った。「リラ!!」 開けられたままだった扉から、いつの間にかレグルスがいた。「お前、ばか! やめろ!」 彼女は、リラ、と言うらしい。レグルスの言葉で、私を殴ろうとした体勢のまま、びくんと飛び跳ねた。そしたら、その腕をレグルスが掴んだ。彼女よりも小さな体なのに、思いっきり眉を寄せて苛立った顔つきをしている。



 こちらもこちらで、すっかり殴られる準備ができていたから、呆然と彼らの攻防を見上げてしまった。ぺちり、と自分のほっぺを撫でて、何度も瞬きを繰り返した。



「えっと、あの……」

「なによ、っていうか、ちょっと! 服もレグルスのじゃない! 脱ぎなさいよ!!!」

「や、やめろーー!!」

「ひーーー!!!」


 しっちゃかめっちゃかだ。


「あんたのせいで、お祭りも台無しよ! 願い星も見てなかったのに……!!」



 可愛らしい顔を真っ赤にさせて、リラはぎりぎりと歯ぎしりをした。「お、お祭り……?」 レグルスに腕を掴まれて村を通ったときに、彼らエルフが楽しげに歌っている姿を見た。そういえば、夜は好きじゃない、今日は特別だとレグルスはそう言っていた。けれども私を見ると、彼らはこぞって悲鳴をあげて消えてしまった。



 つまり、そういうことだ。リラという少女が怒っている理由はなんとなくわかったけれど、奇妙に実感がわかなくて、何をどう謝ればわからなかった。「あ、あの……」 だからやっぱり口をもごつかせた。



「レグルス、こいつ、さっさと追い出して!」

「しねえよ! 村長にも伝えてきたばかりだっての」

「追い出して! 今すぐ目の前から消して!」



 真っ赤な炎みたいに、少女は暴れた。汚い、とただただ叫んでいて、地団駄を踏んだ。「えっと、あの、リラさん?」 こんなにもはっきりと人に嫌われたことがなくて、とにかく彼女の名前を呼んだ。そして、扉をくぐり抜けて来たとき、なんでレグルスのベッドにいるの、と彼女が叫んでいたことを思い出して、慌てて立ち上がった。その瞬間、彼女はカッと瞳を光らせた。「ば、ばか、来るな!」 レグルスの拘束を抜け出し、彼女は素早く私の頬をひっぱたいた。



 ばちん、と甲高い音が響いた。




 ***




「……ほんとに、悪い」



 おそらく真っ赤になっている私の頬を冷やす濡れタオルを持ちながら、レグルスはため息をついて謝った。きいきいと激しく暴れるリラを抑え込み、やっとこさ落ち着いて追い返したところで、未だにじんじんと痛む頬を感じた。「いえ、まあ……」 お祭りを台無しにした。それなら、まあ、怒っても仕方がないかもしれない。ただ、暴力に走るのはどうかとは思うけれど。



 それに見たところ、理由もそれだけではないようで、彼女は始終、レグルスの名を叫んでいた。「あいつはほんとに、いつまで経っても子供でな……」 リラよりも年下であろうレグルスが言うには、なんだか違和感があるけれど、長い付き合いなのかもしれない。



 そんなことよりも、すっかり太陽も昇って、辺りの景色もよく見える。窓から覗く景色を見た。本当に、村があった。のどかな村と、言ってしまえばいいけれど、まるで映画かなにかのセットのようで現実味なんてどこにもない。夜は好きじゃない、と言っていたくせに、いつまで経っても戻らなかった少年は、落とした私の鞄を持ってきてくれた。お弁当箱が入っていたからか、ボロボロに破れていて、教科書だって見る影もなかったけれど、思わず抱き寄せて息を吐き出した。大切なものだって入っていた。



「まあ、それで村長のところに寄っても来たんだけどな」

「……村長?」

「一番の物知りで、長生きだ」



 真っ白ひげのおじいさんを想像した。そしたら、想像通りだった。






 私はレグルスに連れられて、一番の物知りの屋敷についた。屋敷と言っても、レグルスの家をもう少し立派にした程度で、今まで見て、育った家とは大違いだ。真っ白くて長いひげを足元まで垂らしたおじいさんは立派な椅子の上に座っていて、その下には不思議に編み込まれた布が敷かれている。周囲には大人のエルフが何人もいて、彼らは一様に眉を顰めて私とレグルスを見つめていた。いや、おそらく私を見ていた。睨んでいる、と言ってもいいのかもしれない。




「ふむ、光に、喚ばれた、か……」



 この場についてみると、なぜ人間がこんなところにいるのかと質問攻めにあったから、とにかく一から説明した。初めは大きな光に向かって歩いていたはずなのに、小さな光が気になって、こっちにやって来てしまったのだと。説明をする度に、彼らの顔はさらに険しくなっていって、話すことも怖かった。自分の声ばかりがどんどん小さくなっていく。なのに、次に、次にと急かされて、結局全部言ってしまった。



 最後に私が言い終えてすっかり口を閉ざしてしまったとき、彼らは顔を見合わせ、ざわついていて、レグルスまでもが難しい表情をしている。



「つまりカナ、お前は『喚び人』じゃな」

「よび、びと……?」

「ふむ。本来なら、大神殿に召喚されるはずじゃった異世界の人間じゃ。我らとは関わるはずもないものでもある」




 村長は、教えてくれた。この国は、100年に一度、竜の年と喚ばれる年がやってくるのだと。




 ***




 竜の年になると、この国では異世界から一人の人間を招く。彼、彼女らは『喚び人』と呼ばれ、神殿の中で丁重に扱われる。その年が、今だ。けれどもまだ、喚び人が現れたという話は聞いていない。



 このエルフの村は大神殿よりもずっと遠く、南に位置する。だから伝達も遅く、必ずと言えるわけではないらしいが、エルフを知らない人間なんて、赤子でもいないらしい。姿を見たことはなくても、人間とエルフは、互いに存在を認識し合い、生きてきた。大神殿は、エルフのこれまた長生きな神官達が集まっていて、異界の扉を開ける儀式を行う。私が見た、大きな光とはおそらくそれのことだ。




「それがどうして、こんなことになってしもうたのか……」



 長いひげを触りながらも、村長はため息をついた。レグルスは相変わらず難しい顔をして、私の隣で、じっと自分の足元を見つめていた。



「人間は、エルフを迫害する。もちろんその全てが、というわけではない。しかし脆弱な力しか持たんくせに、エルフの長寿や力を妬み、狡猾な罠を仕掛ける」



 リラが、とにかく叫んで、汚いと叫んでいた意味はそれなのかもしれない。叩かれた頬がまだひりひりしているような気がする。「だから、エルフは人間には関わらん」 切り捨てられた言葉に肩が震えた。「カナ、お前は人間じゃが、異世界から来たものじゃ」 けれども続いた言葉に、ほっとした。でもそれも一瞬だった。



「けれども、エルフは神官を除き、『喚び人』に関わることを禁じられておる」



 強い拒絶の言葉だった。



「おい、村長」

「レグルス、お前も知っているだろう。そもそも、本来なら喚び人はこんな外れた地に来ることもない。意味のない掟だと考えておったが、掟は掟じゃ。さっさとこの村から立ち去れ」



 瞬いた。冗談かなにかを言われているのかと思った。けれども、誰も彼もがじっと私を見ていた。



「これは、エルフ全ての総意だ」



 聞こえる声が、ひどく遠い。

(喚ばれて、落っこちて、それで、立ち去れ)



 少しずつ、考えた。そうしたら、頭の後ろの方がじんじんと熱くなった。彼らは汚いものを見るように、私を見ていた。腹の底から震えた。



(来たくて、来たわけじゃないのに)

「……もとに、戻る方法を知りたいです」



 思いっきり、毒を吐き出してやりたかった。それでも必死飲み込んで、聞くべき言葉を聞いた。「わしにはわからん。けれども、お前を召喚した神官ならわかるやもしれん」 とにかく、神殿に行けと、北に進め。それだけしか教えてくれない。



(……北って、どこなの)



 そんなことを言われたってわからない。彼らが、とにかく私を追い出したくて仕方のないことはわかった。出ていけと村長の家を叩き出された。せめてもと渡された食料を握りしめて、森の中に立った。北に。北に向かわなければいけない。寒いのだろうか、それとも、暖かいのだろうか。鼻をすすった。気づけばこぼれた涙が止まらなかった。拒絶をされた瞳が悲しくて、怖くて辛かった。ボロボロに破れてしまった自分の鞄を抱きしめて、土の上を歩いて進んだ。「おいこら、カナ!」



「聞こえないふりしてんのか、おい、おい、コラ!」



 人が準備をしてる間に、さっさと消えやがって、とぷんすこ腹を立てながら、明るい髪色の少年が怒っている。



「……レグルス……?」

「そうだ。まったくあのクソじじいめ」



 頭が固すぎるんだよ、と首の後ろを引っ掻いている少年に瞬いた。「ど、どうしたの?」 何を言っているのか、自分でもわからなかった。とにかく、疑問ばかりが溢れた。本当は、期待している答えがあるけれど、そんなわけないと必死に自分の中で否定した。違っていたら、きっと泣いてしまうからだ。



「そりゃ、お前と一緒に神殿に行くんだよ」



 なのに、レグルスはあっけらかんと答えた。ぱくぱくと口元を動かした、理解できない、と首を振った。だって、彼はただ出会っただけだ。それで、家を貸して、薬を塗ってくれた。「な、なんで?」 勝手に眉が寄ってしまって、口ごもってしまう。よくない癖だ。「なんでって」 彼は何のこともないように答えた。



「なんでって、お前、俺が見捨てたら一人っきりになるだろう」



 そんな当たり前のことのように彼が言うから、ぼろりと涙がこぼれていた。我慢をしようとして、両手に顔を合わせた。でも難しくて、肩で息を繰り返して、体をくの字に折り曲げた。「お、おいい」 レグルスが困っている。それでも涙が止まらなかった。それから、彼と初めて出会ったときと同じように、レグルスは私の背中に手を置いた。それからぽんぽんと、優しく背中を叩いてくれた。



 嬉しかった。



「あ、あり、がと……」

「どういたしまして。っていうかあれな。実際のとこ、ちょっと罪滅ぼしもあるんだが」



 何のことだろう、とぐちゃぐちゃな顔を隠しながら彼を見ると、レグルスはいやあ、と明後日の方向を見つめて、ごまかしているようにも見える。



「……レグルス?」

「いやあ、まあ、ほら、あの日な。エルフの星祭りの日だったんだ。年に一回、願い事を流れた星に願うんだよ」



 七夕みたいなものだろうか。顔を服で拭って、彼を見つめる。相変わらずレグルスは気まずそうだ。「レグルスも、なにかをお祈りしたの?」 つまりはそういうことだろうか。うんまあ、と彼は小さく頷いた。それから、「家族が、欲しいなと」 耳の先が赤かった。



 彼の家には家族がいない、そうレグルスは言っていた。思い出して、ハッとして、けれどもすぐに眉を顰める。



「……家族?」

「ほら、カナ、お前、この世界に来るときに、大きな光を見たって言ってたろ? でもやっぱり小さい光に向かっていったって。つまりほら、それ、小さい方は俺かなと」



 つまり、本来ならまっすぐ大神殿にたどり着くはずが、レグルスのところに落っこちてしまったと。「まあ、その、寄り道をさせたのは俺じゃないかなー……と」 思わず震えながら、無言で鞄を持ち上げた。「だからほら、罪滅ぼしに……ってこら! 叩くな! それで俺を叩くな!?」



 意外と凶暴だな! と悲鳴をあげられたけれど、こっちの心情も理解して欲しい。



「人間って魔法も使えないだろ! 年だって子供みたいだし、それで死んだら目覚めも悪すぎるんだよ!」

「なによ、そっちだって同じくらいでしょ! 子供じゃん!」

「いやそうだけどさ! まだ86だけどさあ!?」



 聞き間違いのような言葉が聞こえた。「……86歳?」 いや流石にそんなわけない、と思うのに、レグルスは困惑する私に首を傾げている。「おう。お前は?」「じゅ、12歳ですけど……」 それから目をひんむいた。



「こ、ここここ、子供じゃん!?」

「いやそっち、おじいちゃんじゃん!!?」



 エルフが長寿の種族と言われていることをすっかり忘れていたわけなのだけれど、まさかほんとにそんなわけがあるだなんて、思いもよらなかった。




 とにかく私は、これから先、このおじいちゃんのような子供と二人きりで旅をすることにした。



 ずっと北の、北の、大神殿へ。




 ――――元の世界に帰るために。


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