第10話 歪み
寝静まったひなを起こさないように注意しながら週末に夫婦でいちゃいちゃするのが習慣だったが、さすがにそんな気にもなれない臣吾は、抱き着いてくる美月に寝ていて気付かないふりをしながら、自分の中での感情と向き合っていた。
お揃いで買ったパジャマの柔らかい生地と美月の髪の毛が臣吾の首にあたっていた。
感情が追い付いていない、と表しようがないような状況だった。
美月に慰謝料を請求して離婚して、それでよいのだろうかという気持ちもあった。証拠を確実にとらえて、それで自分がどうするつもりなのか、臣吾にはよく分からなかった。
適当な付き合いしかしてこなかった臣吾にとって、美月との付き合いは人生でこれまでにないくらい丁寧にしてきたものだった。
初めてのキスにも付き合って三カ月を要した。初めてキスをするという美月にとって素敵な思い出になるように、とレンタカーで夜景のきれいな山に登って、そこでキスをした。
セックスにもそれからさらに二カ月をかけた。緊張でこわばる美月の白く発行するように輝いている肌を、この世でいちばん美しいものだと思った。
その美月の唇は、肌は、乳房は、すべて自分だけのものではなかったのだ。
そう考えると、怒りと同時に、自分のものではなくなってしまったそれらに対する狂おしいほどの執着心が自分の中にあることに、臣吾は気付いた。
すぐに決断のできることではないのだ。
とにかく、全貌を明らかにしなければならない、それに尽きた。
美月の寝息の音が聞こえた。どうやら、臣吾が寝たと思ったらしい美月はいつの間にか眠りについたようだった。
ひなと、美月、二人分の寝息の響く部屋で、臣吾はぼんやりと天井を見上げた。
暗い天井から、何かを見出すことはできなかった。いつまで続くかわからない、この先の見えない生活とよく似ていると臣吾は感じていた。
GPSを取り付けたのは日曜日の午前中だった。美月が風呂掃除をしている間に車に仕掛けたGPSを、臣吾はアプリとしっかり連携できているか、美月が買い物に行ったときに確認した。
アプリの地図は近所のスーパーに赤い点を示しており、多少の誤差はあるものの、しっかりと機能することが確認できた。
美月に対する執着心が自分の中にあるということに気が付いてからは、これを使って今後一生かけて美月に償わせる方法もありだ、と臣吾は考え始めていた。
証拠を突き付け、離婚しない代わりに自分に一生従わせるのだ。
それはそれでむなしくもあったが、美月を手放すのとどちらがいいのか、現在の臣吾には判断が付きかねることだった。
「パパ机の上片づけて、ご飯運んで!」
美月の声に臣吾は返事をしてから、まだ何も知らないであろう美月を、臣吾は見つめた。
大学一年生のころから年々と垢抜けて言った美月は、母親になってもその綺麗さを更新していっていた。
もともとやぼったかった美月は、化粧映えするタイプで、臣吾と付き合い始めて身なりに気を遣うようになってからはかなりの変貌を遂げていた。
ダイヤの原石を見つけたような気分だったことを臣吾は思い出した。
濃いピンク色のエプロンは、美月のリクエストで誕生日に臣吾が買ってやったものだった。上品なそのエプロンは、美月によく似あっていた。
その姿を美しいといまだに感じてしまう自分の心が、ひどく歪んでいることに臣吾はまだ気が付いていなかった。
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