第6話 拉致

「ジュンイチ、ひとつだけ、挽回のチャンスをやろう」と、ジェームズは言った。

 コテンパンにやられて意気消沈の純一だった。全身にのしかかっていた重力がふいに消えて、彼は恐る恐る顔を上げた。

「ビールを探してくるのだ。ロイヤル・セゾン・プレミアムを。それも青海忠彦おうみただひこによって造られ、樽詰めされたものでなくてはならない」


 純一も舞衣も、その不思議な要求に怪訝な顔をした。

「ビールなら、どこか探せばあるだろ?」と純一が訊いた。

 舞衣が答えた。「ううん。もうないって、マスターが……」

「ほかのものでは駄目だ。同じものを探すのだ」と、ジェームズは念を押した。

「無茶いうなって」と、迷惑そうに純一。「だいたい、なんで僕が探さなきゃいけないんだよ。そんなもの自分で探せばいいだろ? 宇宙人なんだから、そのくらい、簡単なはずじゃないか」


「宇宙人とな……」

 思わず純一は首をすくめた。じろりと睨んでジェームズは言った。

「ジュンイチ。おまえは弔いのブレに口をつけた。だからおまえがビールを探してくるのだ。よいか、ひとつ忠告しておくぞ。もしもおまえが拒否するなら、この惑星に、取り返しの付かないが降りかかる。地球人類は、めでたく最後の日を迎えることとなるだろう。そうなれば、全てはおまえのせいだ。その全責任を、おまえは負わねばならない――。そのことを肝に銘じて、ビールを見つけてくるのだ」


 舞衣は青ざめた。

「ちょっと……たいへん……」

 一方の純一は、頭を使おうとすると、ただの酔っ払いに逆戻りだった。

? なにを訳わかんないこといってんの。なのは僕の方だよ……。確かに僕はビールをぶっかけた。それは謝る。だけど、もうないってわかってる物を、なんで探して来なきゃいけないんだよ」

「青海忠彦のビールを持ってくれば、今夜のことは水に流してやると、いっているのだ。断っておくが、我々の力をもってすれば、地球を七回焼き尽くすことも可能だ。忘れないように、手のひらにメモでもしておくのだな」

「七回? それくらい僕だって……。こないだオンラインのプラネット・フォースで、敵の惑星要塞を三回撃破してやった……」

「純ちゃん! ゲームじゃないよ、きっと!」

「こいつ、酔っ払ってるんだよ」

「酔っ払っているのはおまえだ。よいか。青海忠彦のロイヤル・セゾン・プレミアムを見つけてくるのだ。それも、できる限り速やかに。それまでの間、マイは預かる」

 純一は、一瞬ぽかんとした。

「へ? マイを預かる?」

 その言葉の意味を理解するのに、今の彼の脳みそでは荷が重かった。白いヴェールの中の舞衣を、彼はぼぉっと見つめた。


「どゆこと? マイを預かるだって? ……この野郎、ふざけたこと抜かすんじゃないよ。やっぱり酔っ払ってるじゃねえか!」

「私が酔っ払いなら、おまえは単なるアホウだ。そうでもしなければ、おまえはしらばっくれて、なにもしないだろう? よいか、よく聞け。ロイヤル・セゾン・プレミアムを持ってくるまで、マイは預かる。嫌ならそれでも構わない。地球は海の底に沈み、マイはおまえの元へ戻らない。それでよければ、今の話は忘れるがよい」


「舞衣!」 突然、純一はバッタのごとく跳ねた。そして舞衣を包む半透明の球体につかみかかった。だが、「いてぇ!」 まるで殴られたように跳ね飛ばされた。

「純ちゃん!」

「防護シールドだ。おまえには破れない」と、ジェームズ。「よいか、先遣隊が地球に到達するまでに、同じビールを探してくるのだ。それも大気中に曝露されていない、樽詰めされたものでなくてはならない。さあ行け、ジュンイチ。地球の運命は、貴様の選択と行動にかかっている――」


 突然、舞衣を包む半透明の球体が音もなく浮き上がった。

「「迎えが来た」と、ジェームズはつぶやくと、一枚の名刺を純一の足下へ投げた。そして、念を押すように言った。「用意ができたらここに電話をしろ。よいな、猶予はそう長くない。急ぐのだ」

「純ちゃん!」 舞衣が叫んだ。シールドの壁面を叩きながら、彼女は純一を見つめた。

「舞衣!」 純一が駆け寄ろうとしたその時だった。舞衣を包んだシールドカプセルが急上昇した。それは、燃え尽きる流星の映像を逆回ししたような勢いだった。都市の明かりに濁った夜空へと、彼女は一瞬にして吸い込まれて消えた。


 ジェームズは、「ジュンイチ、サヨナラ。お別れだ……」と、さも名残惜しげに別れを告げた。

「サヨナラって……」

 突然物陰から、バルスのマスターが飛び出した。

「ジェームズさん! お勘定がまだです!」

〈ロイヤル・セゾン・プレミアム〉の仕入れだけでも、五万円はかかっている。勘定を忘れてもらっては困るのだ。ジェームズは内ポケットから、なぜか真っ黄色の札入れを取り出した。分厚いそれを、指に挟んでシュッと振る。札入れはまっすぐに飛んだが、キャッチし損ねたマスターの顔に、ペタンと張り付いた。


「ミスター・ジェームズ、話がしたい」 今度は森下が呼びかけた。

「君は確か、治安警察だったか?」と、ジェームズ。

 男は一瞬、言葉を詰まらせた。だが、すぐに気を取り直して言った。

「この国に、治安警察という名の組織はない……」

「それは失礼をした。何の用かね?」

「折り入って話をしたいのだが……」

「用件は先に伝えたとおりだ。ほかに話すことはない」

「待ってくれ。ボスが会いたいと言っている。今からでも構わない」

「残念だが、今はできない。必要があれば、こちらからコンタクトを取る。マスター、それで足りるかね?」

「これじゃ多すぎます。お釣りを……」

「今度来たときでいい。預かっておいてくれ」と、いつものようにジェームズは告げた。そして振り向くと、ビル陰の暗がりへと足早に向かった。その姿は、たちまち闇に紛れて滲むように消えた。


「純一さん」

 純一は、ぼうっとマスターを見上げた。

「夢……見てんのかな、オレ……」

「そうじゃないですよ」と、マスターは言った。

「『お勘定がまだ』って……、マスター! あんたね!」

「引き留めようと、したんですけどね……」

「そう……。ねえ、これって誘拐だよね。警察に電話しなきゃ……」


 のろのろと立ち上がって、純一は携帯電話を取りだした。二つ折りのガラケーを開いて、彼は訊いた。

「警察って、何番? 市外局番って、いるんだっけ?」

 110番は、そのままかければいいのか? ディスプレイをのぞき込んだまま、彼は迷っていた。これは夢なのか現実なのか? 夢を見ていたのなら、警察に電話していいはずがない。けれども、現実なら急がねばならない。しかし、110番なんて、かけたことがない……。それよりも何よりも、イタズラ電話じゃないと、信じてもらえるのか?

 と、その時、ふいに声がかかった。

「警察にかけるなら、その必要はない」

 純一は振り向いた。グレーのスーツを着たキツネ目の男がいたことに、彼はこの時初めて気づいた。

「なんで……」

 ジェームズが投げ捨てていった名刺を拾い上げて、男は言った。

「警察なら、ここにいるからだ――」

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