スターシップ・ドランカーズ(上)
笹野 高行
邂逅の彼方より 第一章 来訪者たち
第1話 ビアバルにて
「お客さん、純一さん。カウンターで寝ちゃダメですよ」
むっくりと純一は顔を上げた。なめし革のシボ模様のようなエッチング銅板が、ボンヤリ視界一杯に広がっている。それは、バーカウンターの天板だった。さらに顔を上げると、ゴツゴツした金色の柱のようなものが目に入った。ヨーロッパの古城の写真で見かける
酔っ払いを寄せ付けない防護柵のようなそのすき間に、純一は目をこらした。髪をオールバックになでつけ、口ひげを蓄えた店の主が、にこやかに彼を見つめていた。その姿はビアマスターと言うよりはバーテンダーで、白のドレスシャツの上に黒のベストを着て、濃紺のネクタイをキリリと締めていた。
ふと彼は、コースターの上の携帯電話に目を留めた。今どきあまり見かけない二つ折りのフィーチャーフォン(ガラケー)だった。『飲み物のお代わりはちょっと待って……』の意で置いたのだが、その表面で青のLEDが点滅している。メールの着信を知らせるサインだった。
「舞衣?」
彼は携帯電話を開いた。中に現れたのは、短いメッセージと、ピースサインをする可愛らしい少女の画像だった。
『おじちゃんへ。誕生日のプレゼントありがとう。
「舞衣のヤツ……」 ぼそっとつぶやいて、彼は腕時計に目をやった。待ち合わせの時間からは、すでに二時間が過ぎていた。
「舞衣さん、今日はお忙しいんですね」と、マスターが言った。
ひと仕事終えたとばかり素っ気ない表情に戻った彼は、ステンレスの水切り板の上に伏せて置かれた足つきグラスの足に右手指を引っかけた。すくい上げるようにグラスを手にすると、くるりと回して
ビールのこだわり
―― 鹿の横顔。なんとなくそんなシルエットの〈タップ〉だけど、鹿の
おしゃれなディスペンス・タワーを立てる場合、普通はカウンターの下に
使い勝手は良さそうだけれど、そのストック用冷蔵庫からカウンターのタップまでは距離が長い。だから、そのままだと途中でビールが温まってしまう。けど、そこからがすごい。冷水が
まぁ、それは自由だ。別に
そのこだわりは、店のメニューにも現れているんだとか。この店ははじめ、『クラフトビール専門』をコンセプトにスタートしたんだと。そのあとベルギーやイギリスの伝統的なビールも置くようになったけれど、今も零細なビール醸造所(ブルワリー)を基本に、色んな種類のビールを取りそろえているという。
そもそも『クラフトビール』とは、大手ビールメーカー以外の小さな地ビール会社が造るビールのことなんだそう。大手メーカーは、
そんな感じだから、ソフトドリンクはあるけれど、飲み慣れた大手のビールもなければチューハイもない、ジンもウイスキーも置いてない。こだわりはよくわかるんだけど、ビールばかりだと、酔っ払う前にお腹がいっぱいになってしまう。だから、いつもより酔いたい夜は、ちょっと切ないかも……
ともかく舞衣は、マスターのそういうへそ曲がりな所がお気に入りらしい。オレは、別にどうでもかまわない――
マスターがタップのレバーをポンと手前に倒すと、勢いよくビールがグラスの底に滑り込んだ。ぼんやりした物思いからハッと
「ゴメン、マスター。昨日も遅くて、睡眠不足なんだ。飲み過ぎってわけじゃないよ」
冬眠明けのサンショウウオのように、彼は頭を揺すった。
「日曜出勤ですか。お忙しそうですね」と、気のない風にマスターは言った。さっきの話の続きだった。話が長くなりそうだと、彼はフラッといなくなってしまうのだ。
「うん、なんだか……。このご時世なのに残業代も出ない。うち、隠れブラック企業なんスよ。働き方改革カンケーなし。テレワーク何するものぞ。帰りのタイムカードなんて、押した記憶が無い……」
スタイリッシュなIT企業は見かけだけ。体力勝負の営業課。もちろん、仕事はそれから佳境に入るのだった。
「舞衣さんもそうなんですか?」と言いながら、マスターはビールを
ビールの注ぎ足しが美味しくないといわれるのは、飲み会などでビンや缶のビールを注ぎ合うときの話だった。グラスの
マスターはいつも、サーバーから勢いよくビールを注いだあと、湧き立った泡が落ち着くまで少し待つ。少しずつ沈み込んでゆく泡の表面をよく観察すると、泡の粒が弾けてねっとりとした膜のような
「……いや、アイツは違う。なんたって我が社のエースだもん。ヘソ曲げられて
「システム・エンジニアでしたよね」
「MITに留学してる。ディープ・ラーニングだとか何だとか? 会社のAIサーバー、アイツが仕切ってる。エンジニアというより、
「なにを言い出すんですか?」
マスターは苦笑した。そして、注ぎ上げたばかりのグラスを持ってカウンターの端へ向かった。原色をかき混ぜたような柄のシャツを着た、いがぐり頭の客がいる。その前にグラスを置いて、マスターはなにか話しかけた。込み入った話には深入りしないのが彼の流儀だった。
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