メガネフクロウ

エリー.ファー

メガネフクロウ

 メガネフクロウが何故にメガネフクロウと呼ばれるかと言えば、それは簡単な話で、眼鏡をかけているように見えるからである。

 つまりは、メガネフクロウの許可を取ったわけではないということである。

 大抵のものの名前というのは、その本人の意思とは無関係に決まるものである。なんとも、横暴だと思うだろうか。人間という生き物の凡そ非常識なその発想からなる暴力的な行為であると思うだろうか。

 人間の不思議な点は。

 人間に対してもそれを行うことにある。

 例えば子供が生まれる時に、もしくは生まれる前にその子の名前を付ける訳だが、その許可をその子にとったかと言えばそうではない。凡そ無力な存在に対して、先人であるという謎の権力のもと名前を付ける訳である。

 そして、これをむしろ喜ばしいこととして捉えるのである。

 このような行動というのはよくあるだろう。

 自分のしている行為がおよそ相手の気持ちを理解していないにも関わらず、勝手に時間をかけて勝手に手間をかけたからといってその成果物が、何の反対もなく受け取ってもらえると思っている、という都合の良い妄想。

 意味が分からない。

 別に時間をかけてほしいとも言っていないし、手間をかけて欲しいとも言っていないのである。誰の許可も取らず、自分の中の勝手な解釈のもと起こした行動であるにも関わらず。

 これは特に不思議な話だが。

 怒ったりするのである。

 求めていない行為をして、それが求められていないことに腹をたてるのである。

 小さな親切、大きなお世話というが、まさにその良い例であると言える。

 メガネフクロウも、メガネと付けられたことに別に何も思っていない可能性も確かにあるだろう。だが、重要な点はそこではない。メガネフクロウのことを余りにも自然と自分の配下におきたがる人間の浅ましさが垣間見えることに、非常に不快になるのである。

 メガネザルもいるが、おそらくメガネをかけている、という意味でそう名付けたのだろう。まさか、メガネをかけた人間が見つけたからメガネザルなどと名付けられたわけもない。

 メガネオウムも、メガネアリも、メガネカマキリも、メガネガチョウもきっとそうだろう。

 そもそも、いるかどうかは分からないがきっとそうに決まっている。

 これが憤るべきなのだ。

 当たり前のように自分にある、名前、その権利を自分以外の者に持たせてしまっているというこの常識と戦うべきなのである。

 疑うべきだ。

 そして。

 勝ち取るべきなのだ。

 権利を、そして、名前を。

 ただし、ここにはある問題がある。

 この名前であるが、自分でつけた場合、非常に主観的なものとなるため名前としての意味をなさない場合がある。

 名前とは、当然ながらそのもの以外との違いであるとか、その些細でも誤差の部分を言語化したものと言える。つまり、分けることができてこその名前であり、特定できてこその名前であり、それそのものだと分かるからこその名前なのである。

 本人の意思では、そこに客観的な視点を持ち込むことは非常に難しい。

 では、どうするべきか。

 そう。

 そうなのだ。



 どうしましょうか。

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