暁の鴉は藍色の空に羽ばたいて

芋メガネ

前編

3月某日 東京都内 山間部


気温も上がり、桜も咲き始め山々が桃色の化粧を施し始めた春先の季節。

そんな山の中で黒煙が上がる。

木々は燃え、バスから溢れ出る油がその火をより盛んにさせる。


そんな煙の中に男が一人。

「こちら暁、件の事故現場に来てみたが……レネゲイドの使用痕跡もなく、生存者も居ないみたいだ。」

青年は燃え盛るバスの中で辺りを見渡す。

もし地獄があるのであればきっとこんな光景なのだろう、と青年は思いながら中を歩き回る。


この時一人の少女の死体に目が行った。

四肢を失っているものの顔には大きな傷はなく。

ブロンドの髪に、藍色の瞳。

ただ偏に、美しい。

死体であるはずのその少女にそう思ってしまったのだ。

「……俺も疲れてんのかね。」

まあそれもそのはずだ。

UGNの戦闘員として生き10年、カラスとなって3年。

未だ戦う理由も見つけられず、無為にこの刀を振るい幾つもの命を切り裂いてきた。

そんな自分がまともな思考を残しているわけもないのだ。


そう思っていた、その時だった。

「……………………ゥ…………」

「っ……!?」

その少女が微かに口を開き声を発したのだ。

「生きてる……なら……!!」

彼はとっさに少女の体を抱え上げ、一気に駆け出す。

「ドクター聞こえるか、急患だ。」

電話をかけながらバイクのエンジンに火を灯す。

『なんじゃお前、無茶してのケガなら——』

「10代後半の少女、四肢は欠損して大怪我してるが息はある。恐らくオーヴァードになり始めてるって感じだ。」

『……何分でこっちに着く。』

「かっ飛ばして10分だ。」

『事故って急患を増やすなよ?』

「ああ、分かってるよ。」


青年は一気にスロットルレバーを回し、一気に走り出す。

空は澄み切った青で、何故だか襲いくる風さえも心地よく感じられていた。




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21:00 N市大学 総合病院


手術中と記された赤いランプが消え、中から医師の藪が出てくる。

「終わったぞ。」

「彼女は……?」

「無事じゃ。ブラックドッグに目覚めてくれていたおかげで無事義手と義足の取り付けまで上手くいった。」

「……よかった。」

稲本は心の底から安堵した様子を見せる。

そしてそれと同時に自身も少なからず火傷を負っていることに初めて気づいたようであった。

「今は意識も取り戻して容態も安定してきておる。」

「ほんと、さすがドクターだな。」

「ヤブ医者と呼べといっとるじゃろがお前は……」


薮は彼に小突くと共に、思いついたように口を開いた。

「そうじゃお前さん、彼女の聴取でもしてきたらどうじゃ?」

「は!?」

「歳も近いことだし、別嬪さんなんだからついでに口説いてきたらどうじゃと言っとるんじゃよ。」

「バカ言えドクター、それこそ職権濫用とか色々言われちまうんだぞ!?それに俺よりは紫月の方が歳も近いし女性だから抵抗もないと思うんだが……」

「じゃあお前さん、この時間に未成年を呼び出すと言うのか?それも多忙な紫月ちゃんを。」

「……支部長とか。」

「お前さんの始末書でいつも多忙じゃよ。それに歳はもっと離れておるじゃろ。」

「…………分かったよ。」

稲本は観念したように渋々と承諾した。

「安心しろ、お前さんが手を出したりしないかワシが見張っててやるから。」

「いらねえよ!?」


稲本が引き戸を開けるとそこには先ほどの可憐な少女がベッドに横たわっていた。

少女は意識がはっきりとしていながらも虚空を見つめており、少し声をかけづらい様子だった。

「あー、えっと、まあその……無事……でよかった。」

稲本が声をかけるとスッと彼の方を向き、キョトンとした目で見つめている。

「自己紹介が遅れたが、俺はUGNって組織の稲本だ。君は?」

「…………」

少女は答えない。眉ひとつ動かす様子もなく、ただ稲本を見つめていた。

「……あーっと、まいねーむいず……」

「日本語で大丈夫です。"この身体の人物"は日本語も習熟していたようなので。」

「え、この身体の人物……え?」

「私の名前は『アレクシア・リリー・ヴェッツェル』、というらしいです。」

「ら、らしい……?」

これが彼、稲本作一とアレクシアの初めての邂逅であった。


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数日後 N市支部


「レネゲイドビーング?」

会議は稲本の気の抜けた声から始まった。

「ああ、レネゲイドの集合体であるレネゲイドビーングが彼女の身体を動かしている、という事が先日の集中検査で分かった。」

雲井支部長によって説明されるアレクシアという少女の現在の状況。

ざっくりまとめれば、アレクシアの体には血液を含め無数の粘菌状のレネゲイドビーングが生息し、それが彼女の生命活動を維持させている。

そして今その存在のことを"リコリス"と呼び、彼女の身体はリコリスが主導権を持っているようであるという事であった。


「……珍しいケースで、なおかつ不幸中の幸いだったんすね。」

「ああ。それに彼女、リコリスは我々に友好的でUGNに協力してくれるとのことだ。」

「ほーーー……」

稲本は納得したような、未だよく分かっていないような声で返事をした。


「そこで稲本君、君に彼女の教育係を任せたいと思う。」

「ほーーー…………おっ!?」

「君はそれなりに社交的で尚且つ戦闘力も高い。いざとなれば彼女を守る事も出来るだろう?」

雲井は素っ頓狂な稲本の反応など無視してそのまま続ける。

「特に君は彼女と歳も近いし、人生経験も豊富だ。これ以上の適任もいないだろう?」

「いや支部長、ドクターにも言ったんですけどね、僕より紫月の方が歳も近いし女性同士だし向いてると思うんですけど!?」


稲本が机から乗り出しながら抗議をした瞬間、冷たく鋭い視線が稲本に刺さる。

「確かにあなたの言う通り私が適任かもしれないわね。でもこの支部に来てから基本的にロクに仕事もせず、始末書ばかり書き綴ってる穀潰しのあなたもそろそろ働くべきだとは思うのだけど、どうかしら?」

「…………ゴモットモデス。」

稲本は突き刺さる視線とその言葉に対してカタコトになりながら深く頷いた。


「では、稲本君も快く引き受けてくれた事だ。入りたまえ。」

「Ja. 入らせていただきます。」

ノックと共に入ってくる可憐な少女。

改めて見ても美しい、と見入ってしまう。

それでもやはり違和感だけは拭えなかった。

人でありながら人でない存在。

「よろしくお願いします、稲本様。」

「……ああ、宜しくなリコリス。」

こうして稲本とアレクシアという少女の数奇な運命が幕を開けた。


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「っくしょう、逃すかぁ!!」

「だーれが捕まるかよオッサン!!」

「誰がオッサンだぁ!?」

昼下がりの路地裏、稲本は能力に目覚めた高校生の保護に出向いていた。

「クソガキが……!!」

対象は芽生えた能力を用い様々な悪事、とはいっても万引き等のちゃちなものではあるがそれらを繰り返していた。

「この速さなら誰にも捕まらねえぜ!!」

「悪いが逃すわけにも行かないんだよ……!!」

稲本はありとあらゆる道具を駆使しハヌマーンの速さに必死に食らいつくが、やはり所詮足の速さは並みのオーヴァードより少し早い程度。

敵うはずもなく——

「伏せてください、稲本様。」

「へ?」

瞬間アレクシア、ことリコリスの義手から銃口が現れ、考える間も無く弾丸が射出されていた。


「あばばばばばばば…………」

腰を抜かしその場に崩れ落ちた少年。

「危なかった…………」

そしてそれを庇い被弾した稲本。

彼はそのまま冷静に少年に手錠を付けると静かにリコリスの方を振り向いた。

「何故一般人に向けてあの出力を、急所に向けて撃った?」

自らが食らったからこそわかった。

あれは当たりどころが悪ければ死に至る物であると。

決して人に撃ってはならないものだったと。

「あの出力であれば致命傷にはならず、動きを止められると判断したのですが。」

だが少女は悪びれないどころか、純真無垢な眼のまま答えたのだ。

確かにギリギリ助かる威力ではあったが、直撃すれば後遺症は免れなかっただろう。現に背中は割とまだ痺れてる。


「申し訳ありません稲本様。私はまだ人という物をよく知りません。故に、貴方が何故そこまで怒っているのか理解できないのですが……」

「…………支部長も中々厄介な仕事を押し付けてくれたもんだぜ。」

稲本はやれやれといった様子で少年を担ぐ。

「こいつを保護し終わったら今日は勉強会だ。人間が何かってのを一緒に勉強するぞ、リコリス。」

「Ja. よろしくお願いします、稲本様。」

リコリスはやはり表情を変えず、それでも稲本についてくる。

稲本は内心、面倒と思いながらも歩いて行った。


—————————————————————

同日 17:42 N市支部 ラウンジ


静かに本を読み進めるリコリス。

そしてその机でうつ伏せに倒れこむ稲本。

「……何してるの。」

「紫月……………人間ってなんなんだろうな…………」

突っ伏したまま泣き言を吐く稲本。

「ガラにもないことを言ってるといつにも増して気味が悪いわよ……?」

紫月が汚物を見るような目で稲本を見ているとリコリスが紫月の方を向き、口を開いた。

「紫月様、人間とは何なのでしょうか。」

「……リコリス、それはとても難しい質問ね。」

「稲本様に様々な文献を読ませていただき感情や道徳、モラルなどといったことは理解できたのですが、やはり人間という生物がどういうものなのかは理解できませんでした。」

「……それは多くの学者様達もなかなか答えを出せていない答えだから私達では貴方が納得のいく答えを出すのは難しいと思うわ。少なくともその男じゃ。」

「酷いぜ紫月……」

「じゃあ、試しに貴方が思う人間とは何か聞かせてもらえないかしら?」


稲本は顔を上げてしかめっ面をする。

そしてしばらく黙り込んだ後、口を開いた。

「……俺には難しいことはあんまわかんねえ。けど自分に利益が無くても誰かの為に何かするのって、人間だけなんじゃねえかなって思う。」

彼のその答えは、誰かを思い出しながら、そんな様子だった。

「貴方らしい、よく分からない答えね。」

「Ja.私にも理解できませんでした。」

「悪かったな!!」


気がつけば日も暮れ、外は暗くなり始めていた。

「定時だしそろそろ帰るとするかね……。家……というより宿舎は俺と同じなら送るが……」

「Ja.送っていただいてもよろしいでしょうか。」

「構わねえよ。1人で帰るのも飽きて来た頃だからな。」

「では紫月さん。また。」

「ええ、また明日。」

リコリスは笑顔のような、まだ少し引きつった顔で紫月に別れを告げ部屋を出ていった。


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18:24 N市 宿舎

「……着いたぞ。」

「感謝します、稲本様。」

稲本はバイクから降りフルフェイスを外す。

彼は覚束ない手つきでバイクのスタンドを立て、エンジンを切った。

「……大丈夫ですか?」

「だだだだだだだ大丈夫だ。問題ない。」

大丈夫でもなく問題しかない受け答えだった。


それもそのはず。

(完全に忘れてたけど、女の子の体ってめっちゃ柔らけえんだよなぁ!?)

彼は見た目だけ大人になったほぼ思春期の男なのだから。

このままだと理性が飛んでしまいそうな、というよりはケダモノやジャームになってしまいそうであった。

「そ、そういやリコリスの部屋は俺の部屋の2つ隣だっけ。」

「そうですね。206号室です。」

必死に誤魔化そうとはするが、やはり動揺が口から滲み出てしまっていた。

「では、おやすみなさい。」

「ああ。また明日な。」

無愛想に別れを告げられ、一応それに対して笑顔で手を振った。

「……とりあえず素振りでもして気を紛らわすかね。」


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20時を回り、夜も更けた頃に竹刀を持って外に出る。

稲本の家に拾われたから毎日欠かさずやってきた事。

日課としてきた素振りをするために近くの公園に赴こうとしていた。


その時、リコリスの部屋のドアノブが動くのを確認した。

ドアが開くとともに現れた少女。

「おうリコリス、コンビニか?」

声をかけるが、どこか様子がおかしい。

手元も足元もおぼつかない様子で———

「きゃっ……!?」

「っ……ぶねえ!?」

咄嗟に体を抱えたが義手のせいで支えるので精一杯だったのだ。

「…………………だ………………れ?」

「…………え?」

放たれたのは今までとは違い間の抜けた言葉。

「た……たすけ……て……!!」

「え、ちょ、待って俺はな!?」

「何だ貴様!!その子から手を離せ!!」

そして現れた同僚のエージェント。

「待ってくれ俺は冤罪だ……いやちょ、まああああっ!!!!」


そう、これが俺とアレクシアという少女の初めての出会いだった。


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「っと、とりあえず落ち着いたか?」

「は……い…………。ありがとうござい……ます……。」

ベッドの上に少女を寝かせ、水を飲ませる。

アレクシアという少女の意識が表層に出ているときは四肢の義手、義足は動かせないようだ。

「で、改めて俺は稲本作一。君は、リコリスじゃないんだな?」

「私……は……アレクシ……アです。」

「ああ、無理はしなくていい。で、君に起きたことを説明しないとだな。」


俺はあの日起きた事故、そして今彼女の身に起きている事を伝えた。


……正直、この子にはあまりにも酷すぎる宣告だと思えた。

異国の地で偶然巻き込まれた事故。

両腕両足を失ったには終わらず、得体の知れない生物にその身体を支配されている。

そんな事実に普通の人間が耐えられるはずもない。

「あっと、そ、そうだな。とりあえずお茶も淹れるよ!」

せめて少しでも気を紛らわせられるようにお茶と茶菓子を用意しようとした。


「え…………っと……稲本…………さんは、何で……私の事をこんなに……気にかけてくれるんです……か?」

「……何でって、そりゃ任務ってのもあるけどさ、困ってる奴がいたら放っておけないだろ?」

「…………」

アレクシアは無言でこちらを見つめてくる。

まだ俺のことを警戒しているのはわかるが……いや、本当に下心とかはなかったんだ。本当に。


「あーー、寝れそうか?」

「い……え…。そ……の、眠るのが怖……くて……」

「んーーそうだな……じゃあ眠るのが怖くなるまで話でもしてるか。ついでに俺がどんな人間かってのを話さなきゃな。まずは昔任務でアラスカに単身で放り投げられた時の話がでいいかな?」

「は……い……!!」

俺は過去のクソッタレな任務の話を始める。

できるだけ彼女が飽きないように、そしてせめてこの時間を楽しめるように。


俺はまた、誰かの為にと自らを偽った。


—————————————————————

嘘をつくのには慣れていた。

大切な人を守る為にと、その大切な人にも、自分にも嘘をつき続けながら生きてきた。

それはこんな俺を拾ってくれたN市のメンバーにも、だ。


俺はダブルクロス。本来彼らとは関わってはいけない。

だから、今彼女に寄り添うのも本当は間違いであるはずなのだ。


それでも、放って置けなかった。

いや、きっと俺は彼女に自分自身を重ねてしまったのだろう。

誰かに頼りたくても頼れず、声を上げたくても声を上げられない不自由で、孤独な彼女に。

今もまだ、このクソッタレな現状に足掻くことさえもできない自分と。



もう誰とも関わらない。

喪う辛さはもうあの日、あの暁の空の下で嫌という程味わったから。

そう、心に誓った筈だったのに————


—————————————————————

「……稲本……さん?」

「……っ、ああ、すまない。」

「辛そ………うな顔……してました……けど……」

「いや、大丈夫だ!!ほら、あれだ花粉症だ!」

しまった、完全に顔に出ていた。

とっさに誤魔化すがあまりにも酷い言い訳だ。

こういう時ノイマンのシンドロームであればとっさに誤魔化せたのだろうが。

「あの……も…し、私で……よけれ……ば、聞きます……よ?」

「ああいや……大したことじゃないから。」

誤魔化しきれてないのは分かっていたが、それでもこれは誰にも話せないのだ。


そんなこんなで時は過ぎ、気がつけば時計の短針は5を指し示していた。

「稲……本…さん……」

「ん、どうした?」

「また、色ん……な…お話……してくだ…さいね……。」

「……ああ。俺でよければいくらでもな。」

「………ありがと……う…ござい……………ます……」

体力を相当消費したからか、とても眠たげな表情をしていた。

「お休み、アレクシア。」

「は…………い………。お休み…………なさ……い…」

瞼を下ろし目を閉じる少女。

俺は彼女が眠りについたのを確認すると同時に立ち上がった。


「…………おはようございます、稲本様。」

「ああ、おはようリコリス。」

そして目覚めたもう一人の彼女、リコリス。

休息を終えたからなのか、それともアレクシアを見たからなのかその動きは機敏に感じられた。

「では、本日もお願いします。稲本様。」

「……ああ、宜しくな。」

ほんの少し重くなった瞼をこすりながら窓を開ける。


カーテンを開け、日差しが中へと入ってくる。


ただ、この日の朝日はどこか肌に突き刺さるようで、ほんの少し目が眩んだ。

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