第20話 重たい夕陽


 それから、季節は過ぎてあっという間に秋になった。


 あの日から、陽葵先輩は私を朝練に誘わなくなった。正式に新チームのキャプテンになった先輩は朝から1人きりで練習をするようになった。私だけじゃなく他の誰にも頼らなくなった。

 学校や練習中に話しかければ普通に答えてくれるけど、私が笑えば同じように笑ってはくれるけれど、私たちはもう以前の私たちとは違う。それだけは抗いようのない事実だった。



「────ねぇ、今日もまた新しい人来てるよ」



 それともう1つ、大会前とは明らかに変わったことがある。


「今日はどこの学校の人だって?」

「蘭華女子だって! あの名門の!」

「ウソ! ホント!?」

「ホントホント。ほら、あの黒縁メガネの人! 蘭華の有名な監督さんでしょ?」

「ああ知ってる! 確か……そうだ! 大柿おおかきゆかり! 昔プロ選手だった人だよね? こないだテレビで見たよ」

「そんな人が直接見にくるなんて……わかってはいたけと本当にスゴいよ! ヒナ先輩」


 無名の公立校を全国大会にあと一歩までの所まで導いた陽葵先輩には近場の高校だけでなく、県外の強豪校からも度々スカウトがグランドを訪れるようになっていた。

 当の陽葵先輩はあまり興味を示さなかったけど、その数は毎週のように増え続けていった。


「スゴいな〜、蘭華とかのユニフォーム着たヒナ先輩をみんなで応援しにいきたいよね。それこそ全国大会とかにさ〜」

「ね〜。でもその時までキャプテン私たちのこと覚えててくれるかな?」

「くれるよ、きっと。だってあのヒナ先輩だよ?」

「そうだよね。そうだと嬉しいなぁ」


 こうなることは、はじめから分かってた。

 初めてバッテリーを組んだ時から、陽葵先輩に特別な才能があることは知っていた。だから、いつかきっとその才能がたくさんの人に認められて、よりに進む日が来るのだろうと思っていた。

 私なんかじゃ到底手の届かないような、明るく大きな舞台へ。




「はぁ……」


 夏の面影を残す生暖かい風に吹かれながら、私はぼんやりと個人練習中のグランドを眺めていた。


「やっ! 津代さん!」

「フゃッ!?」


 そんな昼時、不意に誰かが背後から私の肩を叩いた。


「あ、凪紗先輩……」

「久しぶりだね。元気にしてた?」


 夏の大会以来、数ヶ月ぶりに顔を合わせた凪紗先輩は、以前より少し後ろ髪が伸びていた。


「お久しぶりです。どうしたんですか? 今日は」

「うん。今日はちょっと津代さんと話したいことがあってさ」

「え? 私と、ですか?」






 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜






「はい、津代さん。練習お疲れ様」

「あ、ありがとうございます」


 練習の後、凪紗先輩と立ち寄ったのは見晴らしのいい展望広場のある公園だった。

 ペンキを被ったような朱色の街を見渡しながら、凪紗先輩にもらったスポーツドリンクのタブを起こした。


「最近どう? みんなの調子は」

「そうですね、負けてからしばらくは空気が重かったですけど、今はもうみんな気を取り直して頑張ってると思います。今度こそ全国行けるようにって」

「そっか、よかった」


 既に主将の荷を下ろした凪紗先輩は懐かしむように私の話に耳を傾けていた。


「ヒナは、どうしてる?」


 その名前を、口にするまでは。


「……陽葵先輩は、これまで以上に頑張ってます。キャプテンとして凪紗先輩みたいにはできないから、せめて結果でみんなを引っ張っていけるようにって」

「そっか。やっぱり、そうか」


 その悲痛な表情はあの日のソレとは少し違って見えた。


「ヒナはさ……の事、今でもすっごい後悔してるみたいなんだ」


 大きなため息でも吐くかのように、凪紗先輩は重たい声色で話し始めた。


「あの子はあの日試合に負けたこととか、みんなと全国に行けなかったこともだけど……何より、津代さんを傷つけたことが一番悔しかったんだと思う」

「ぇ……」


 思わず、喉がひっくり返ったような声が出た。


「ヒナは小さい時から何をやってもチームで1番だったからさ。みんなあの子のことを尊敬してたけど、それが逆にヒナを遠ざけることになってたんだと思う。特別視するあまり、誰もその隣に並ぼうとはしなかった」


 考えたこともなかった。あの陽葵先輩がそんな孤独を抱えていたなんて。先輩はいつだって優しくて、前向きで……そんな素振り一度だって見せたことがなかったから。


「だから、あの子にとっては初めてだったんだ。隣に並んではくれなくても、自分の在り方を理解してくれて、同じ目標のために一緒に努力してくれた人は……津代さんが初めてだったんだと思うよ」

「私が……ですか?」

「うん。だからこそヒナは、そんな津代さんを自分のワガママのために苦しめていたことが許せなかったんだと思う。だからこそ、もう誰も自分のワガママのために傷つかないでいいように、全部ひとりで背負おうとしてる」


 凪紗先輩のその言葉に、まだ乾きもしていない生傷を掻き潰されたような心地がした。


「1人になるとあの子はまたとびきり無茶をするだろうから、津代さんにはヒナが1人にならないよう傍にいてあげてほしいんだ」

「そんなこと、私には無理です……」


 視線を落とした私の顔を覗き込むように、凪紗先輩は私の前にしゃがみ込んだ。


「津代さんにしかできないよ。言ったでしょ?津代さんはヒナにとって特別なんだ。代わりはいないよ」


 どうして、どうして私なんだろう。

 私はいつもあの優しさに救われてばかりで、先輩に何かを返せた訳じゃないのに。言葉も、結果も、笑顔の1つさえ返すことができなかったのに。

 私はただ、そこにいただけなのに。


「自分勝手なことばっかり言ってごめん。けど、私はもう2人の傍にはいられないから」


 切なそうに瞳をすぼめる凪紗先輩にそれ以上言葉を返すことはできなかった。


「だから、お願い。あの子をひとりにしないであげてくれ」


 結局、最後まで私は首を横に振ることができなかった。私に陽葵先輩の傍にいる決意も覚悟もないことを自覚していたくせに。

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