第35話 深淵の檻の中で(シリアス編、真相)

「いらっしゃいませ!」

「おっ、英子えいこちゃんもさまになってきたな。もう仕事には慣れたかい?」

「はい、おじさんのご指導のお陰です」

「かっかっかっ。わしは何もしとらんよ。礼なら美伊南びいなちゃんに言うんだな。あのはいつも英子ちゃんの話ばかりだよ。仕事はうまくこなせるだろうか、私がしっかり教えないととか、わしのいる前ではいつもそんな話ばかりだよ」


 そうなんだ、あの美伊南ちゃんがそんなことを言っていたなんて。


 まさに美伊南ちゃん様々さまさまだね。


「あっ、オジさん、何サボってるの? 六番テーブルに餃子追加!」

「はいはい、分かったよ。じゃあ英子ちゃん、またね」


 美伊南ちゃんの威勢に苦笑いを浮かべたおじさんがキッチンへののれんをくぐって去っていった。 


「さあ、英子。今日も忙しくなるよ」

「はっ、はい、分かりました」

「どうしたの、オジさんから何か言われたの? 美伊南の前で緊張して?」

「イエ、ナンデモナイデス」

「何でガチガチの棒読みなの? まあ、いいや。今はそれどころじゃないよ」


 時刻は正午過ぎ。


「へい、いらっしゃい! 何名様?」


 美伊南ちゃんの一声で次々と来店するお客さん。

 

 私は次々と難なくお客さんの対応をしていく。


 ここのバイトを勤めて、今日で一週間になり、それなりの仕事内容は覚えてきた。


 他の三人もコツを掴んだらしく、てきぱきと作業をこなしている。


 さあ、この昼ピークを乗り越えれば昼休憩だ。


 このお店のまかない、美味しいんだよね。

 

 昨日は昼はしょうが焼きで、夕方は肉たっぷりの野菜炒め。


 今日は何だろうね。


 私は軽い足取りでオーダーを取り、注文された料理を運んで、お客さんが帰った後の片付けと、休む間もなく動く。


 やがて、客足が途絶えてきて私に美伊南ちゃんから声がかかった。


「英子、今のうちに休憩行っておいでよ。今日の昼はエビフライ定食だよ」

「はい♪」


 ヤッター。

 エビフライ、私好きなんだ♪


 私はルンルン気分で休憩室へ向かう。


 しかし、ふと体に違和感を覚えてその場に立ち止まる。


 そこへ不意に襲いかかるひざからの痺れるような激痛。


「……痛たた、何でしょうか?」


 動きすぎた反動で足でも痛めたのかな?


「参りましたね。昼過ぎからもバイトがあるのに……軽い捻挫ねんざでしょうか?」


 とにかくおじさんに報告しないとと、私は厨房の方へと向き直り、足を踏み出す。 


 しかし、その途端にバランスを崩して床に倒れこむ。


 私は痛みを堪えながら立ち上がろうとするが、またその場でこける。


 あれ?

 私は床に這いつくばりながら、下半身がやたらと軽く、何かの異変に気づく。


 気になって足へと視線を流すと、

 いつの間にか、両足の太ももの付け根から足先がスッポリと無いのだ……。


 私に痛みと絶望が襲いかかり、周りの風景が空へと溶け出していく。


 それから段々と中華料理店の背景から、無機質な薄暗い個室の室内へと変わり、私の体がその場から動かなくなった……。


****


「──先生、彼女の容体が回復しました」

「そうか、英子ちゃんはようやく無事か。良かったわい」

蛭矢えびや医師もお呼びいたしましょうか?」

「そうじゃな、彼の妹の夜美やみちゃんの海外での手術も成功したからのう」


 男女二人による白衣の姿に見守れながら、私は病院らしきベッドから起き上がった。


 その際、頭に付いていた無数のコードがプチプチと頭から外れていく。


「ここは一体……? あっ、あなたは?」

「安心せい、ワシは医者でここは病院じゃ」

「……えっ、そうなんですか……」


 私は少しずつ落ち着きを取り戻すために、この場で深呼吸をした。

 

「──ところで英子ちゃん、突然ですまないが、ワシの話を落ち着いて聞いてほしい」

「……まず、君の両親は交通事故で亡くなり、一緒に乗っていた君は両足を失ったんじゃ」


「……というのは建前で君の両足はの移植手術に使われるために交通事故として偽装された……」


「恨むならこの計画を企てた蛭矢を恨んでくれ」


「……さあ、まもなく蛭矢がここに来る。さらに詳しいことは彼に聞いた方が早いじゃろう」


「……じゃあ、ワシたちは一端、席を外すからの」


「……あの、待ってください。それじゃあ、今までの私が過ごしてきた高校生活は?」

「あれは君が、あの事故から今まで意識がなく、脳に過大なダメージを負っていたため、その脳のリハビリを行うためにワシが自ら製作して脳内に送り込んでいた仮想の世界じゃ。本当の君はもう25歳じゃよ」

「25歳ですか……もう立派な大人ですね」

「……そうじゃな。じゃがワシは楽しかったぞい。英子ちゃんにつらい思いをさせないために作ったコメディ世界じゃったからの……ワシのとして、X(旧Twitter)で温めてきたコメディを、こうやった形で役立てて良かったわい」

「ありがとうございます」

「なーに。礼には及ばんよ。せいぜいこれからも頑張ってくれ。じゃあ、またの」


****


「英子ちゃん!」


 そんなさんとすれ違いに、見慣れた眼鏡君が部屋に入ってくる。


 白衣を着てはいるが、間違いなく蛭矢君だ。


「英子!」

「英子が目を覚ましたって本当?」


 その続けざまに美伊南ちゃんと大瀬おおせ君も駆け込んできた。


 二人とも髪型は多少違い、高校の時より大人びてはいるけど、その面影は残ったままだ。


「良かった。もう駄目かと思ったよ」

「英子。お前、大学に入ってからすぐに起こった事故から6年も意識がなかったんだぜ」


 美伊南ちゃんの横に並ぶ大瀬君も涙ぐんで、事のあらましを説明してくれた。

 

「こほん、二人ともいいかな?」

「あっ、ごめん……」


 蛭矢君が咳払いをすると、美伊南ちゃんたちはいそいそと私から離れる。


「おはよう、英子ちゃん……そして、ごめん」


 蛭矢君がリノリウムの床に土下座して深々と頭を下げる。

 

「あのお爺ちゃんから聞いただろ。すべては僕が企てた計画だ。恨むなら夜美ちゃんじゃなく、僕を恨んでくれ。何ならこの場で僕の首を絞めても構わない」

「何、言ってるんですか。顔を上げて下さい。夜美ちゃんの手術が成功して何よりです」

「でも、僕は結局は君の両親の命を奪ってしまった」

「しょうがないですよ。あれは事故でしょ。蛭矢君に人をあやめる度胸とかありませんし」

「英子ちゃん、こんな状況でも僕をかばってくれるなんて……本当にごめんよ……」


 蛭矢君が眼鏡を外し、あふれんばかりの涙を手の甲で拭っていた。


「蛭矢君、そんなに自分を責めないで下さい……私の足なんて義足を作れば大丈夫ですから」

「でも、足を慣らすまでリハビリは苦しいよ?」

「いえ、今までだって頭の中でリハビリをやってきましたから。今さら苦になんてなりませんよ」

「英子ちゃん、ありがとう。本当にごめん、ごめんよ……」


 もう、蛭矢君はわんわん泣いて、いつまでたっても子供だね。


 さて、気を取り直して明日から私のリハビリ生活が始まる。

 

 これからも私は例え不自由な体でも、精一杯頑張って生き抜くんだ。 

  

 それが親を亡くした私が生きるための理由だと思うし、ぜひ、夜美ちゃんにも会ってみたいからね。



第35話、おしまい。

 






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