第2話 相変わらず忙しそうだ
「ねえねえ、今度遊びに行こうよ」
「すみません。お店があるので」
喫茶店ファミリアの店内は狭い。
テーブル席が三つにカウンターが五席。厨房はカウンターの内側にあり、あまり豪華なものは作れない。だけどほぼ一人で回すには丁度いい狭さだ。
霧江花莉奈はコーヒーを入れながら客のナンパを受け流していた。
「じゃあ仕事終わりどう?」
「明日の仕込みがありますから」
「それじゃあ休めなくない? 一日ぐらいお店休んじゃおうよ。絶対楽しませるから!」
「お店が楽しいんで結構です。コーヒーお待たせしました」
ナンパ男とは別の二人組の客に注文の品を差し出す。
他の注文がなくなったので食器を洗っていても男は止まらない。
「駅前のパンケーキ屋さん知ってる? 最近有名でさ、ほらお店の参考にもなるかもしれないじゃん? 一緒に行こうよ」
「パンケーキなら作り方の上手な友達がいるので」
「じゃあそこ行かない? 花莉奈ちゃんのおすすめパンケーキ食べたいなー」
この男、花莉奈をナンパするのは今日が初めてではない。
先週あたりから店に通い始めているのだが二回目以降から急に距離が近くなった。ここ数日など口を開けばデートの誘いしかしてこない。今思えば初めからそれが目当てだったのだろうが、毎回断っているのだからいい加減諦めてくれないだろうか。
他のお客さんにとっても迷惑だ。同情の視線がなんだか申し訳ない。
しつこいなあ、と思っていると扉の鐘が鳴った。
「いらっしゃ……あ」
「一回。一回だけ行こうよ。こう見えて女心は詳しいんだぜ俺」
客ではなかった。けどよく見知った人だった。
彼は店の中に入ると、いつまでも話しかけてくるナンパ男の襟を掴んだ。
「あ? なんだ――」
何かを言う前に腕を引く。
強く引っ張った印象はない。けれどナンパ男はゴムボールのように軽く飛び扉の向こうへ消え去った。外開きで良かった。
「お帰り誡斗」
「ただいま、花莉奈」
幼馴染である花莉奈に厚みのある茶封筒を手渡す。
「今回は順調だった?」
「順調なんてもんじゃない」
わざと苦い顔を浮かべ、すぐに笑顔に戻す。
「楽勝だった」
「調子に乗らないの」
そう言いながらも笑顔を浮かべ、封筒をレジ下の引き出しにしまう。
洗い物の途中だったのか、すぐに食器と向き合う。
見れば客は一組だけだった。
「相変わらず忙しそうだ」
「嫌味? まだ朝だもの。こんなものよ」
時計はまだ九時を跨いでいない。
店は八時にオープンだからまだ一時間も経っていなかった。
少し歩けばモーニングサービスが有名な店がある。確かにこんなものだろう。
邪魔をしてはいけないと店の奥に行こうといすると、勢いよく店のドアが開く。鐘の音がうるさい。
「何しやがんだてめえ!」
男は酔ってもいないのに顔を赤くし誡斗に食いかかる。
「誰だお前」
「今お前が投げ捨てたやつだよ!」
ああ、さっきの。
「朝っぱらから大声出すなよ。営業妨害だぜ」
「うるせえ! 花莉奈ちゃんに情けねえ姿見せやがって、てめえこそ誰だ!」
カウンターに肘をかけ、花莉奈にひそひそ声で話しかける。
「知り合いか?」
「最近しつこくって……」
食器で口を隠しつつ答える花莉奈。明らかに迷惑している声だった。
納得し、改めて男と向き直る。
「な、なんだよ、こそこそと。てめえ花莉奈ちゃんの何なんだ!」
「一緒に暮らしてる、って言ったら?」
え? と気の抜けた声を出し、男は誡斗と花莉奈を見比べる。
花莉奈が肯定するように、こくんと頷く。
一歩詰め寄ると、弱腰に一歩下がる。
「お前こそ花莉奈の何だ?」
「うっ……ぐう」
一転して何も言えなくなった男はじりじりと下がりながら扉に手をかける。
「に、二度と来るか!」
そんな捨て台詞を吐いて男は走り去った。
鐘の音だけがうるさくいつまでも鳴り響く。
扉が閉まり、ようやく静かになった代わりにため息が聞こえる。
「もうちょっと静かに出来なかったの?」
「した方だろ。あいつが一方的に叫んでただけだ」
「それに誤解を受けるようなことまで言って……」
「嘘じゃないだろ」
先程のやり取りで男は花莉奈と誡斗が付き合っていると思っただろう。
だが実際にはそんなことはない。
この喫茶店の二階は居住スペースになっており、確かに花莉奈と誡斗は共に暮らしている。けれどそれは孤児院からの付き合いだからであり、恋人同士というわけではない。それに、より詳細に言うなら誡斗がここに住まわせてもらっているだけだ。花莉奈の優しさに甘えているだけに過ぎない。
ただ、ああいった迷惑野郎には効果抜群だった。
花莉奈は困った表情を浮かべつつ客の方へ向かう。
「騒ぎ立てて申し訳ありません。今回のお代は結構ですので」
「あ、ああ、どうも……」
完全に居心地が悪くなってしまったようだが、そう言われてしまってはすぐには帰りづらいだろう。
そこまでしなくても、と思いつつも結果的に騒動の原因の一つになった誡斗に止める気はない。そもそも彼女の店なのだから口を出す権利すらないのだが。
入口で立っているのもあれだ。奥へと進み、テーブル席のソファに座る。
「もう、休むなら上で休んでよ」
「いつもの。客なら問題ないだろ」
「はあ。糖尿病になるよ」
などと言いつつも調理に移る。
気付かれないように息を吐き出す。
今回の依頼。花莉奈には楽勝と言ったが少々骨が折れた。
無銭飲食のヤクザ退治。案の定仲間を呼ばれ、その数の多さに手こずった。
最近のヤクザが落ち目なのか目標に人望がなかったのかは分からないが、個々の実力は大したことなかった。それでも乱闘騒ぎは警察まで巻き込み、結果として目標は警察に逮捕されたものの逃げ切るのに苦労した。
店に戻るまでに汗は引いたが体力が戻るにはもう少し時間が欲しい。食事を終えたら少し眠るか。
『ミュータントでも仕事がある!』
聞こえたセリフに思わず目を向ける。
店に設置されたテレビからだった。映像には壮年の男性と四本の腕を持つ青年が仲良く荷運びをしていた。
『ミュータントなら人に出来ないことも出来ちゃう! 一人のミュータントであなたの会社がみるみる成長!』
次々と異形の人間が写りだし充実そうに仕事をしている。まるでうちは理想の会社です、と作られた笑顔を張り付けたブラック企業みたいだ。
『ミュータントの人材派遣なら! スペシャルスタッフ!』
最後に眼鏡の男性と会社の電話番号が大きく表示され、次のCMに移った。
大災害後に突如現れたクラミツハは、人類に多大な発展をもたらした。それは技術という意味でも、進化という意味でも。
クラミツハが普及してからというもの、特異な人間達が現れた。
獣の姿を持つ者。火炎を吹き出す者。空を飛ぶ者。異形に変貌する者。
人外と呼ぶに相応しい新人類。それらのことを総じてミュータントと呼ぶ。
ミュータントの体内には人体に有毒なはずのクラミツハが存在する。厳密にどういった因果関係なのかは未だに解明出来ていないが、少なくともクラミツハが原因だという線が濃厚らしい。
年々ミュータントの数は増え、今や十人に一人がミュータントと言われている。
つまり、否応なしにミュータントを付き合わなければならないということだ。
「けっ、くだらねえ」
誡斗はミュータントが嫌いだった。
凄い力を持っていてもスーパーヒーローなんてどこにもいない。いるのは一般人として細々暮らしているヤツか、人間を食い物にするヴィランだけ。
昨晩のヤクザが良い例だ。あんなのを専門に雇うなんてどうかしている。
気分転換に窓の外を眺め、注文が来るのを待つ。
大して面白い光景が広がっているわけでもないが、いつまた同じCMが流れるか分からないテレビを見ているよりマシだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます