1.2.直接ご招待


 事務所の階段を駆け上がる足音が響いている。

 夜という事もあり、いつも以上の大きく聞こえる音は外にいる者であれば誰でも聞くことが出来るだろう。


 男はかじかんだ手をポッケに入れながら、冷たくなった鍵をまさぐって取り出した。

 カチリと子気味の良い音を確認した後、ガチャリと扉を開けて中に入る。

 部屋の中も勿論寒い。

 鍵を玄関に入ってすぐ隣にある棚に放り投げた後、手を擦って摩擦熱を起こす。


 そんな動作をしながら、慣れた動作で靴を脱いで我が家へと入った。

 ここは事務所兼自宅だ。

 仕事はここで受け、ここで寝泊まりをする。


 私立探偵。

 彼の職業であり、それと同時に問題を山積みに抱えている男でもある。

 だが今日の仕事はそれなりに上手くいった。

 浮気調査なんてこっちの気が滅入るからやりたくはなかったが、羽振りが良かったので渋々受けたのだ。


 しかし冬の調査仕事はそんなに難しい事ではない。

 誰も彼もが厚手の服を身に纏う為、顔を隠していたって何にも思われないからだ。

 その為調査はすんなりと終了し、証拠となる写真も確保している。

 今日は夜も遅いので、明日にでも依頼主に連絡をして旦那の浮気を告発しようと思う。


「うっし。寝よう」


 調査も終わり、飯も食って来た。

 後は風呂に入らなければならなかったが、彼は朝風呂をするタイプの人間だ。

 なので上着を脱いでからベッドへとダイブする。


 良い仕事をするには、良い寝具が必要だ。

 今まで稼いだ金の大半はそっち方面に使用していたりもする。

 特注の枕にベッド、そして快適な温度を設定してから毛布を肩までかけて目を閉じた。


 明日また仕事を探さなければならないが、今回の報酬だけでも暫くは何もせずに食べていけそうだ。

 そんな事を考えながら眠りにつこうとした矢先、声が聞こえた。


「こんばんわっ」

「……ふっざけ」


 突然聞こえたその声は幼い少年の声だ。

 むくりと上体を上げた彼は、その声の主に睨みを利かせる。

 ここには誰もいないはずだし、ましてや中に子供を入れた記憶もない。

 だがそれはこの子にとっては何の意味もない記憶だ。


 笑顔のままこちらを見つける男の子は、黒い髪に異状にまで白い肌をしていた。

 笑顔が眩しい程の美少年であり、後ろに腕を組んで頭をメトロノームの様にカックンカックンと可愛らしく振っている。

 愛嬌を振りまいているのだろうが、彼にとってこの子は災厄を持ち込む疫病神と同義。

 うんざりとした表情をしながら、小さく舌打ちをした。


「怒るなよー」

「うるせぇよ……黙れよ……寝させろクソガキが……」

「酷い言われようだ。さっきまで僕も大変だったから褒めて欲しい」

「お前の事情なんて知るかよ……。俺の睡眠を邪魔しやがって……」

「ええー、つまーんなーい」


 可愛らしい仕草をしてはいるが、その口調は何処か利己的だ。

 何かを探っているのか、そもそも理解した上で発言をしているのかは分からないが、何処か見透かされているような気になって仕方がない。


 だがこれはいつもの事だ。

 男はこの子に目を付けられている犠牲者の一人。

 だがここまで執着に見続けているのは彼一人だけかもしれない。


「……で? 何の用だ。用が無いなら消えろ……」

「勿論あるさ。実は面白い子を見つけてね」


 可愛らしい笑みが不敵な笑みに変わる。

 それを見逃さなかった彼は、強い怒気を含んだ静かな口調で言葉を言い放つ。


「……やめろ」

「丁度いいと思って」

「やめろ」

「始まりの部屋にご招待いたしました」

「やめろ!!」


 ガバッと立ち上がって男の子に拳を振るう。

 だが手の平をかざされると、拳はあらぬ方向へ曲がってしまった。

 明らかにおかしい軌道をなぞって勢いは失われる。


 ケタケタと笑う男の子は、もはや美しい容姿を崩すほど口角を上げて男を見上げる。

 不気味という言葉では形容できない程の悍ましさを顔に張り付けている目の前の異形。

 愉快に嘲笑う口の中は、深淵に誘わんばかりの黒さが覗いていた。


 男は一歩身を引いて構えを取るが、それも意味がないという事くらいは分かっている。

 ギュゥと強く握りしめた拳が、自分の無力さをまた増長させた。


「フヘハハフヘエヘヘッ」

「貴様……」

「ヘヘッ助けたい? 人だもの人間だもの助けたいに決まってるぅ。だから僕は……君を直接ご招待してあげる。フヘヘッハハヘヘッ」

「いつまでこんなことを続ける気だ……!」

「ヘヘッエ? 僕が飽きるまでッ。でも飽きる、イコール、君の死は確定。だから、精々飽きさせない展開を、期待してるんだっヘヘッ」


 男の子は小さな手で指を鳴らす。

 力が無い割には良い音が鳴った。

 次第に周囲の輪郭がぼやけていき、意識も遠くなっていくように感じる。


 だがその間にも不気味な笑い声は木霊しており、それが嫌に耳につく。

 響ながら遠ざかっていく笑い声は、最後に止まり、今度ははっきりとした口調で彼の名を呼び、こう続けた。


八樫駿河やかしするが。君は見ていて飽きない。全てを解決するが、その隣に転がっている骸、数えたことはあるかな?」


 忘れたことは一度もないわくそったれ。

 心の中でそう呟いた瞬間、八樫の意識はプツンと切れた。

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