2話:見た目は社畜、中身も社畜、その名も風間マサト

 風間かざまマサト、27歳。

 ブラック企ぎょ――、ネット関連の広告代理店に勤める、社畜目・社畜科・社畜属に分類される社畜。

 名目上は営業職なのだが、いつの頃からか広告の運用管理、ライティングや報告書やらの製作も投げられるように。オールラウンダーという名の何でも屋、都合の良い男、ドラえもん。


 別に仕事ができるから仕事を任されているわけでない。先輩や上司、同期たちが次々と星になっていき、後釜あとがまをなすりつけられているだけだ。


 辞めてしまった先輩の言葉が今でも忘れられない。


「いいか風間。退職届はいつでも叩きつけられるように机に忍ばせておけ。辞めたいときが辞めどきだからな」


 もう嫌、こんな会社。

 嫌とホザきつつ、ダラダラと仕事を続けているのは、人よりも忍耐力が強いのか、はたまた図太いからか。

 朝から晩まで、死んだ目で酷使無双し続ける悲しき日々である。

 以上、見た目は社畜、中身も社畜。その名も風間マサト。


※ ※ ※ ※ ※ ※


 18時ジャスト。「終業時刻ですよ」というチャイムが社内に鳴り響く。

 すなわち、「今日も残業頑張ろうね」というメッセージが脳内にこびり付く。


 ノーパソ叩き割ったろかい。

 画面を叩き割る根性などあるわけがなく。そんなことするくらいなら、キーボードをカタカタ叩いているほうが有意義。というよりマシ。

 くだらないことを考えつつ、死んだ目で仕事をこなしていると、


「ただいま戻りましたー♪」


 日も落ちているにもかかわらず元気一杯、外回りから我が社の看板娘が戻ってくる。

 伊波だ。


「伊波ちゃん、おかえりー!」

「暑かったでしょ? 今、麦茶用意するから待っててね」

「渚ちゃん帰ってきたから、エアコン下げてあげてー」

 などなど。


「お前は目に入れても痛くない孫か」、とツッコみたくなるくらいのチヤホヤっぷり。

 誰もが通り過ぎる伊波へとコミュニケーションを図らずにはいられない。

 それくらい、伊波渚という女子は社内の人間に愛されているし、社内の誰しもに癒しを提供するオアシス的な存在。


 愛想よく挨拶を返したり、受け取った麦茶を美味しそうにコクコク飲んだり、「私にはコレがあるから大丈夫ですっ」と誇らしげにハンディ扇風機を握り締めたり。

 俗にいう愛されキャラという奴なのだろう。

 気立ても良いし、仕事の飲み込みも早い。伊達に中途採用を見送り、新卒採用で受け入れた逸材のことはある。

 愛されキャラが、俺のもとへとやって来る。


「先輩、ただいまー♪」

「おう。お疲れさん」

「えへへ♪」

「??? どうした?」

「その素っ気ない返事が、亭主関白な旦那さんっぽくて素敵だなぁと」


 へにゃ~、と溶けそうな笑顔で何を言っとんのだろうか。

 確かに天真爛漫な笑顔は死ぬほど可愛いし、ヒーリング効果は絶大。

 しかし、ここでデレデレするようでは教育係の名がすたる。


「アホぬかせ。そんなに素敵なら、もう一度外回り行ってくるか?」

「……。可哀想な先輩……」

「は?」

「私がもう一度外回りに行けるくらい、今日も沢山仕事が残ってるんですね……」

「ぐっ……、否定できないのが腹立つ……!」


 伊波の頬がパンパンに。


「もうっ! また飲みに行くの遅くなるじゃないですか! 一体いつになったら私たちはハッピアワーから飲めるんですか!」

「う、うるせー! ハッピーアワーなんてもんは実在しねえ!」

「あるもん! ハッピーアワーは本当にあるんだもん!」


 そんな「ラピュタは本当にあるんだもん」みたいに言われましても。

 認めよう。ハッピアワー、『16時から19時はビール1杯200円』という破格なサービスは実在する。

 けどだ。あんなもん、上流階級ホワイトの人間にのみ許された特権だから。Z《ざんぎょう》戦士はビール1杯580円だから。


 あーあ……。低収入の源泉徴収票を見せたら、安くなるサービスとかやってくんねぇかなぁ……。


「というか伊波」

「はいです?」

「毎回言ってるけど、飲みに行く約束なんてしてねーだろ」

「ふふ~ん♪」

「あん?」


 何ということでしょう。新卒小娘が教育係の先輩に向かって、胸高々、鼻高々にドヤ顔してきやがる。

 教育的指導。小鼻をへし折ってやろうと手を伸ばすのだが、


「ウチの広告サービスに興味を持ってくれた会社さんがいました! しかも3社も!」

「えっ」


 俺の反応が予想どおりだったようで、伊波はさらに上機嫌。ブイブイ、と両手でピースサインを作って満面の笑顔である。

 教育的指導も吹き飛び、思わず呟いてしまう。


「お前、マジで飛び込み営業の才能あるよな……」

「えへへ~♪ 褒めてもチューしかできませんよ?」

「せんでええわ」


「照れなくてもいいじゃないですかー」と唇を突き出して接近してくるあたり、前世は中年のセクハラ親父だったのだろう。

 とはいえ、才能があると思うのは本心だ。ついこの前まで俺に同行していた奴が、今では商品説明から見積書をこじつけるまで1人でこなせるのだから。

 俺が新卒の頃なんて、飛び込みが嫌すぎて喫茶店で時間潰してたぞ。


「それもこれも、先輩がビシバシと私を鍛えてくれてるおかげです」

「!」

「忙しいのに研修セミナーに同行してくれたり、私の不手際や分からないところも嫌な顔1つせずに教えてくださったり。例を1つ1つ挙げたらキリがないくらいです」

「伊波……」


 アラサーに近づいてきたからか、涙腺が弱くなっている気がする。

 俺が入社間もない頃の伊波との思い出を振り返っているように、伊波もまた、当時のことを思い返しているのだろう。

 だからこそ、伊波はゆっくりと瞳を閉じ、自分の身体を抱きしめる。


「手取り足取り、ときには嫌がる私を押し倒して、乱暴かつむさぼるように――、」

曲解きょっかいっていうレベルじゃねぇぞ」

「あれ~?」


 感動を返せバカヤロウ。

 向かいの宮田君が、コーヒー吹き出したじゃねーか。

 大切なところでオドけるのは相変わらず。唇に指を押し当ててクスクスと笑い続ける。

 そして、愛嬌たっぷりの笑顔で、


「先輩っ。これからもご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いしますね♪」

「……お、おう」


 本当にズルいよな。コイツの笑顔には、どんなイタズラもチャラにできる魔法が込められているのだから。

 チャラどころか、お釣りまで発生するレベルだ。


「まぁそうだな……。飛び込み頑張ったみたいだし、今日は飲みに行くか」

「! やった! 先輩大好きっ♪」


 結局のところ、俺が一番コイツに甘々なのかもしれん。

 仕方ないだろう。何事にも全力投球。一喜一憂し続ける後輩がいれば、可愛がりたくもなるのが先輩という生き物だし。

 余程、飲みに行けるが嬉しいのか。


「ささ! お互い早く仕事を終わらせて、飲みに行きましょー!」


 伊波はカットソーから小ぶりなヘソがチラ見えするくらい両手を目一杯掲げ、残業モードへと気持ちを切り替える。

 彼女も立派なZ《ざんぎょう》戦士。

「お前は本当にそれで良いのか……?」とツッコむのは野暮というものだろう。本人のモチベーションが高いのなら、先輩上司たるもの見守ってやるべき。


 だからこそ、


「伊波ちゃ~~~ん! 今から一杯引っかけに行こーや!」


 こういう空気の読めない上司には、なりたくないものである。

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