第25話
エルは最初はテンションが上がり色んな花を見ようと走り回っていたが、今はゆっくりと花を見ていた。
つんつんと花に触れては、楽しそうに微笑んでいる姿はなんて……。
「なんて尊いんだ……」
「……キモ」
「おい。キモイとはなんだ。ただ目の前の光景を見て感想を言っただけなんだけど」
「いや、その感想がそもそもない」
いや、だって花と蝶々と少女ってもう最高のシチュエーションじゃん?
カメラマンなら1発でシャッター切るレベルの奇跡じゃん?
君もそう思わない? 天使だよこれは。
「あんた、それで本当に師匠が成り立つの?」
「まあな、精一杯教えてるし、エルも結構なスピードで上達してるから」
「そういう問題じゃなくて。練習を教えるだけじゃなくて、ちゃんと保護者として管理できてるのかってことよ」
楽譜書いて放ったらかしたり、本読んで放ったらかしたり。
ああ……そう言われると微妙だな。なんか俺、全然師匠らしいこと出来てない。自覚はあったけど。
「まあ、ちゃんとするから安心しとけ」
「曖昧な返事ね……」
「少なくとも師匠っていう自覚はあるつもりだよ。だから、俺はエルのことをしっかり守るつもりだよ」
自分の事ながらどの口が言うんだかって思うわ。
もうちょっと真面目になろう。
「そう……。ならいいわ。でも、これだけは覚えてなさい。元の世界に帰る時に、あの子が中途半端になってたら、あの子は最後にあんたを恨むことになるわよ」
「……分かってる」
いつ元の世界に帰る手段が見つかるか分からない。だから、当然ユーリの言ってるような未来もある。
もし、何か道具を作ったり魔法を使ったりして帰れるのならエルが1人前になるまで待っていても問題は無い。待つ分あいつとの差は付けられるかもしれないが、それでもいつかは帰れるし。
でも、すぐにでも行動を移さないと次まで長い時間待たなければならないとか、そういう自分ではどうしようもないものだったら別だ。俺は、その時に元の世界とエルのどちらを選ぶのだろう。
今の俺なら、もちろん元の世界だ。
「ごめん。別に責めてるわけじゃないのよ。ほら、そうならないように、構える時は出来るだけ構ってやりなさい」
ユーリが指をさした方向から、エルが駆けて戻ってきた。
「師匠。こっちです。こっちに面白い花がありますよ」
「なら、ちょっと見に行ってみるか」
エルに手を引かれて、俺は花畑を歩いた。
本当に楽しそうな笑みを浮かべるんだな。花畑に来た甲斐があった。
「師匠。見てください。ここのお花がくまさんの顔を作ってますよ」
「ほんとだ」
よく見ると他の場所にも、花を使って何か形を作っているみたいだ。
「良いですよね。私、ここがすごく落ち着きます」
「ああ、やっぱりそうなんだ」
「やっぱり?」
「いや、だってこういうとこ来たら大はしゃぎで子供は遊ぶものだからさ。エルなんて『わぁーいちょうちょいっぱーい』とか言って走ってそうに見えるし。でも案外落ち着くの早かったから」
「ひ……酷いです師匠! 私、そんなこと言うほど子供じゃないです!」
いや、どっからどう見てもそんなこと言う子供にしか見えないんだけど。
「ああすまんすまん。今のはまあ冗談じゃないけど気にしないでくれ」
「しかなたいですね……って、冗談じゃないんですか!?」
更にぷくーっと頬を膨らませて抗議してきた。その表情も中々に可愛かった。
「ごめんごめん。あ、後なんだけど。ユーリが言うにはさ、あそこの家は喫茶店らしいんだよね。ちょっと立ち寄ってみないか?」
「はい! 是非!」
こんな街の外れに喫茶店と花畑を作るなんて、物好きにも程があるだろ。
一体、中にいる店主はどんな人なんだろう。
その家は明るい色のレンガでできていて、大きな花畑に溶け込んでいた。家の前には看板が置いてあって、メニューが書かれている。おすすめはハニーパイで、ランチセットも美味しそうだ。
「こんにちはー」
「あ、いらっしゃいませー。お好きな席へどうぞ」
扉を開けると、若い女性定員が迎えてくれた。
店内の雰囲気も、外の花畑同様明るい雰囲気で統一されていた。
俺達は花畑が見える窓際の席へ座った。かなり大きな窓で、花畑を一望できる。
「師匠はやっぱりコーヒーなんですか?」
「ん? ああ、まあな」
「私も飲んでみたいです」
「なら俺のちょっとやるよ」
「いえ、私一人で飲みたいです。私だって、飲めますから」
……少し背伸びしようってことなのか?
「紅茶にしてればいいのに。せめてちゃんと砂糖入れておけよ」
絶対砂糖なんて入れないで飲むんだろうな。そんでもって渋い顔してやっぱミルクと砂糖……ってなるんだろうな。
もう、手に取るように浮かんでくるね。
「ユーリは?」
「私はミルクティーと、後クッキーにするわ」
「店員さん。ブレンド2つとミルクティー。あとクッキーとハニーパイ2つで」
「かしこまりました。お食事はお飲み物と一緒でよろしいですか?」
「あ、お願いします」
「かしこまりました」
店員さんの笑顔は、この花畑に良く似合う柔らかくて暖かい笑みだった。
俺が店員に見とれていると思ったのか、ユーリとエルがジトッと睨んできた。
「やめろ。師匠をそんな目で見るな」
「え、あんな顔しておいてそんなこと言う?」
「ふんっ。師匠なんてテキトーに鼻の下伸ばしていればいいんですよ」
いや、だから違うって。
「エル、妄想が激しいんじゃないか? 全くこれだから子供は」
「むーっ! 師匠だってまだ子供じゃないですかーっ。そんな面で大人になったつもりなんですか?」
「……あんた達、普段からこんなテンションなの?」
「ん……ああごめん。まあ、そうかな。大体こんな感じ。まあ、流石に毎日こんなやり取りはしてないよ。疲れるし」
「へぇ。仲良いのね」
「勿論です。私と師匠ですから当たり前です」
何故か分からないが、エルは胸を張って自慢げだった。
「そんなんだ。そういえば、なんでエルはこいつの弟子になろうと思ったの?」
「聞いちゃいますか? 良いですよ。私が師匠のお店に行った時に演奏を聞いてピンと来ちゃったんです。私も、師匠みたいな演奏がしたいって思いました。だって、凄く楽しそうに演奏するんですよ? それでいて、何か強い願いが篭ったような音がするんです。だから、私は師匠にピアノを教えてもらおうと思ったんです」
強い願いか……何となく。今の言葉で無機質な音の正体が、音と心のズレの正体がわかった気がする。
俺は今まで、俺に音楽を教えてくれて、シンガーソングライターとして競っていた少女の為に演奏していた。
それは、今のピアノ然り、昔の歌も然り、今までブレることのなかった信念だ。俺はただ1人のために音楽を作る。
でも、最近は違った。その気持ちが薄れていた。元の世界に帰ることばかりに固執して、純粋に音楽を楽しんで、その人の為だけに弾こうという気持ちが薄れていた。
それでも俺は、何か別の理由で演奏しようとしていた。今気づいたんだ。俺は今、違う誰かのために演奏しようとしている。
でも誰に演奏したいのか自分でも分からなかった。だから、俺は新しく出来たピアノを弾きたい相手を、無理やり無視しようとして弾いていた。心のズレは多分、そこから起こったんだ。
「奏太の演奏がねぇ……。やっぱり、同業者だと感想がひと味違うわね。私、綺麗な演奏としか聴いてなかったから」
「いや、それでいいんだよ。音楽から深くを汲み取る必要なんてない。それで、相手のことを知ればもしかしたら苦しむことになるかもしれない。だから、それでいいんだよ」
それに、そんなに過去は探られたくない。
自分の心を盗まれてる気がして良い気がしないからだ。
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