第17話
「今日は、かなり集中してたな」
「はい。私、やっぱり練習が足りないんだなぁと思って、もっと意識を変えていかないとって思ったので」
帰宅して風呂や着替えを済ませた後、ベッドに座りエルは言った。
閉店して、帰る準備しようって時間なのに眠たい目をこすりながらまだ練習するなんて言うんだもんな。俺もいつもより1層気合い入れて教えたし、おっさんも嫌な顔ひとつせず店を閉めずに付き合ってくれた。
そんなに頑張ってる姿を見せられてしまったら背中を押したくなるものだ。
「心変わりでもしたのか?」
「はい。私、師匠はいつでも一緒にいてくれるって思ってたんです。でも、さっきの王族の方が演奏会へ招待したり、そうでなくても練習する時間も限られてますから。少し師匠に迷惑をかけるくらい、師匠がいる時にはどんどん色んなことを聞いて、練習した方が良いのかなって思いまして……。すいません、長い時間付き合わせてしまって。ジョセフさんにも申し訳ない事をしてしまいました」
「いや、構わないよ。俺は寧ろそれくらい練習してくれた方が嬉しいし、おっさんも使ってくれて喜んでるよ」
「それなら私もほっとしました。そういえば、師匠は話があるって言っていましたよね。何の話なんですか?」
「ん、ああ……」
俺は、元々準備していた言葉をエルに言おうとした。でも、中々口に出すことが出来ない。
なんでだ? 急に話しづらくなってきたぞ……?
おかしいな、覚悟は決めたはずなんだけどな……。
エルが不思議そうに俺の事を見つめていた。話があると言っておきながら、いつまでも話さない俺に疑問を感じているみたいだった。
いや、言わなきゃダメだろここは。
「あのさ。エルの親、お前のこと探し回ってるみたいだけど」
「……っ!」
目に見えて焦りの表情を浮かべた。それだけでエルが何をしたのかを物語っていた。
やっぱり、家出だったのか。
一般人の家出とはわけが違う。家出と確定したからにはそれ相応の対応をしなきゃいけなくなる。ランペードさんがいて本当に助かった。
「あ、あの。えっと、その……」
「いや、別に怒ってはないよ。嘘をついてでも家を出たかったっていうのは、なにか事情があるんだろ? 話してみてよ。流石に師匠が何も事情を知らないのはな……」
「……ごめんなさい」
「謝らなくていいよ。取り敢えず、理由だけ聞かせて。なんで、家出なんかしたの?」
理由がどうであれ、厳しく言うつもりは俺には無かった。
それなりの理由なら俺が受け入れるべきだし、中途半端で浅はかな理由なら追い出せばいい。結局のところそれだけなんだし。
でも、そんなに中途半端な覚悟で来た訳では無いことくらいは分かっている。
だから、俺はエルの言葉をいつまでも待つつもりだ。
エルは言いにくそうに口を固く噤んでいた。
でも、俺が何も言わずにエルの言葉を待っていると、諦めたように呟いた。
「パパとママが認めてくれないんです。私には才能がないんだから婚約を結んで、何処か嫁がないと先がないって言ってて……。パパとママは分からず屋なんです。私の気持ちを全然考えてくれない」
別にわからずやってわけじゃないんだと思う。ただ、エルのことを心配してのことだろう。どんな親だって、子供には安定した道を進んで欲しいものだ。
それにしても才能がない、ねぇ。
まあ分からなくもない。というか、弟子になる時も才能が、とか言ってたしそんなことだろうとは思っていた。
才能がないというのは言い訳でもあるが、言い訳で済まないこともある。俺もそこで1度壁にぶち当たってるし。
とくに単純にその分野の理解力がない場合は、正直言ってどうしようと無い。時間を掛ければそれも変わらなくもないが、エルの場合はその時間を掛けられなかった。
いや、掛けさせてくれなかった。というところだろう。
それで夢を否定されて、諦め切れず家を出た、か。本当に、そういう諦めの悪い所はあいつにそっくりだな。
「わからずやはちょっと違うけどな。ただ心配なだけだよ」
「分かってますよそんなこと」
エルは口を尖らせてぷいと顔を逸らした。
何拗ねてんだよ。
「それに逃げてたって、どうせ見つかるんだろ。出てくだけ無駄だったろ」
「それは……そうだけど。でも、それじゃ意味が無いです。動かないと。何もしなかったら何も変わらないじゃないですか」
「……そうだな」
動かないと変わらない。詳しくいえば、動くと何があるか分からないだな。
ピアノが好きだから。音楽が好きだから。
だから演奏家になりたい。夢を夢と割り切らずに、それでもまっすぐ前を向いている。
考える度に何度も何度も思う。
それって、俺とそっくりなやつで。
そして、元の世界で約束したあいつともそっくりだ。
つまりそれってさ――。
「俺、そういうのめっちゃ好きだぜ」
「ふぇ?」
「ピアノやりたいんだろ? 俺も協力してやる」
「協力……? 何をするんですか?」
「一度会って話をするんだよ。俺も出来るだけ許してくれるように説得してみるから」
「でも、それじゃあもしかしたら師匠が……」
俺が親の目の敵にされるかもしれない。何されるかわかったもんじゃない。
確かにその通りだが知ったことか。
「音楽やりたいんだろ?」
「――はい!」
「なら決まりだな。それだったら、俺もエルの為に頑張らないとな。俺からも、ちゃんとエルの親にピアノを続けられるように話してみるよ」
エルの真剣な表情は、初めて会った時と何も変わらない。
音楽を続けたいという、その必死な想いか俺を射抜いている。
大丈夫だ。あれだけ硬い決意があれば、俺が居なくたって話を受け入れてくれるはずだ。
受け入れてくれないんだったら、俺が無理矢理にでも押し通してやる。それだけ俺にさせるほどの価値をエルは持っている。
「本当に……ありがとうございます。私……私……っ!」
エルの瞳から涙が溢れ出てきた。
一体どれだけ苦労していたのだろうか。親から才能を否定されて、全てを諦めさせようとしてくる。
その時、エルはどれだけ苦しい思いをしたのだろうか。
子供には安定した道を歩ませたい。そう思うのは当然だ。でも、それを言われたり傷つく。音楽だけじゃなくて、それ以外も全てを投げ出したくなる。
でも、エルは諦めなかった。命をかけてでも、音楽を続けたかったんだ。
エルが俺の胸に飛び込んで、俺は優しく抱きとめた。
こんなに小さな体のどこから、めちゃくちゃデカい勇気が生まれるんだろう。家出をして誰とも知らないピアニストを探しに行くなんて、並大抵の勇気じゃそんなこと出来るはずがない。
やっぱり、心の強さに体の大きさなんて関係ないんだよ。
「多分、音楽の道へ進むってことは、これからずっと辛い時間が続く。練習は毎日だし、演奏も成功させないといけない。認められないといけない。それでも、続けられるか?」
「絶対……絶対続けます! 練習いっぱいやって、ジョセフさんのお店でも演奏できるようになって、色んな人に私の音楽を聞いてもらいたいです!」
「うん、その意気だな。頑張ろうぜ」
何もない。真っ白な。純粋な思いだ。とにかく音楽を続けたい一心の思いが、シンプルに俺の胸を突き刺した。
だからこそ、俺も精一杯答えてあげないといけない。
きっと、エルは音楽に愛されるべき存在だから。
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