少女は最初に幸せを告げる。そして、最後に不幸を告げる。

雪華シオン❄️🌸

Prologue

少女の矛盾した気持ち


「初めまして。……あなたに会えて、


 どこからともなく声がした。

 優しげな、でも――。

 どこか憂鬱な気持ちを押し隠すような、そんな声。

 その声に聞き覚えはあったが、誰の声だったのかはついぞ思い出せないまま。

 無情にも時間は流れ、止まることはない。

 どれだけの気持ちが、意志が、その台詞に込められていたとしても。

 それは残酷だが必然であり、正常なことなのだから。

 しかし、何が残酷なことなのかも、少年には分からなかった。


 何かに導かれるように、声の主へと振り返る。


 金木犀の花のような山吹色のロングヘアを一つに纏め、右肩に流した少女。天を焼き尽くす夕日のような銀朱の双眸に、美麗と思わせる長い睫毛と小顔な顔立ち。伝統的模様が入った胡桃色のニット帽に、白花色の大きめのマフラー。赤朽葉のロングコートに袖を通し、灰茶色の毛糸ミトン手袋をはめて、花浅葱の長ズボンを履く姿は、秀麗で蠱惑的な魅力を引き出していた。

 少女はロングコートの裾をギュっと握りしめ、口籠もりながら言葉を紡ぐ。


「お名前を、教えては頂けませんか?」


「……はぁ?」


「あ、その……お、お名前を教えては頂けませんか?」


 少女が声を震わせ、他人行儀な、硬い口調で話し掛けてくる。

 意外な一言を発する少女は、上目遣いで少年の様子を伺っていた。


 国家や現金という概念がない世界。暦も確立されておらず、人権という概念すら生まれていなければ、他人と仲良くなる、という考え方すらも曖昧。加えて言えば、人、と言う概念すらも異なっている。


 そんな世界で少女は問うのだ。

 場違いな言葉を。


 我写剣エードが交差し、剣音となって空気を振動させる戦場。

 狩猟ノルクと呼ばれる、魂を奪い合う戦い。

 魂を我写剣エードに食べさせる事で生きていく事ができ、この魂を喰らうこと、生命維持に必要な行為――魂奪デリークが日常的に行われている。

 肉体に心臓ハークがあるのなら、己だけの武器――我写剣エードには劔魂アンムが宿る。

 そして、劔魂アンムに秘められた魂技ルキスを解放し、戦う。


 生きるか、死ぬか。


 その二択を魂奪デリークで決する弱肉強食の世の中。

 人――喰人アンポスは、同種でありながらも、時に生きるために魂を奪うのだ。そんな世界で他者を信用し、あろうことか狩猟ノルクが行われている場所で名前を聞くなど、あり得ない行為。

 この世界では、それが当たり前。

 喰人アンポスを信用し切ることは、魂が動物や植物ですら補えないほど衰弱した時、真っ先に魂奪デリークされる弱き者になってしまうということなのに。


 いや、どうなのだろうか。


 実際に、少年がどう思っているのかは分からない。

 少女が話し掛けるその少年は、この世界を認識していた、と思わせる、憐れむような表情をしていた。

 いや、そのように思えただけなのかもしれないが……。

 少年は顔だけを後方に向け、少女の双眸を見た。

 少年は何を思ったのか。

 視線を前方に戻して、少女の質問に疑問で返す。


「俺が名乗る前に、お前の名前は?」


 敵――喰人アンポスや、もしかすれば凶魂獣デルクがいるかもしれない中。ぶっきらぼうに返す少年に、少女はゆっくりと深呼吸し、自身の我写剣エードを握り直す。何かを振り切るように。

 少女は何を思ったのか。

 我写剣エードを握り締めたまま、ゆっくりと口を動かした。


「私の名前は、――」


 その時、紡がれた大切な、本当に大切な名前を、少年は知らない。

 何度も繰り返し、何度も言葉にして紡がれた台詞すらも少年の心には残らない。


 少年に会うと、必ず最初に少女は幸福を告げる。

 まるで幸せを味わうために必要な、掛け声のように。


 しかし、別れの時は、決まって同じ台詞を口ずさむ。

 辛い気持ちを心の奥底に封じて、自分が壊れてしまうのを防ぐように。


 歪めた表情で、少女は静かに耳元に囁くのだ。


「やっぱり……あなたは、ですね」


 そして、最後に必ず、


「あなたなんかに、


 少女は不幸を告げた。

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