第36話 忘八者

 通りの一等地、マダムシェリーと書かれた豪奢な看板が掛かった店がある。

 一際大きい店舗というか、最早、小さな城の如き印象をヨミに与える。

 店の周囲を囲む金属製の柵、それの外側に掘られた濠が、彼にそう思わせるのだろう。

 正面の門前には、腕の筋肉を露出した二名の門番が周囲を睨めつけていた。

 普通の店ならば、窓から客をとろうと、手招きする嬢が居る筈だが、マダムシェリーの店にはその様な嬢は一人も居ない。

 そういう店ではないのだ。

 集客しなくとも良いのだ……

 客は向こうからやって来る……

 ここはそういう店なのだ。


 しかしながら、前回、店の周囲を確認した際はここ迄、周囲を監視している人間は居なかった。

 今回は違う、門番は露骨に周囲を警戒している。

 だから周囲を歩く客も、門番の二人を半円を書く様に迂回して親不孝通りを通り過ぎている。


 ヨミはマダムシェリーの店の横に、植林された桜の木の横にもたれ掛かる……手に持った案内図を拡げる。


 それだけで、男二人の視界から外れた。

 端から見れば、歩き疲れて、案内図を見ながら『今日の店は何れにしようか?』と思案しながら、休憩している冴えない南方人にしか見えない。


 本来この変装はケリイの為に行った。

 前回の調査、ケリイ本人との接触は無い。

 今回、更に深い調査をクライスが期待している以上、ヨミは本人への接触か、或いはそれに親しい人物と接触する事が必要と考えた。

 故に、彼の地元の南方の風に擬態したのだ。

 これにはヨミ自身の保身もある。

 調査によって自身の素性がバレてしまえば、後々報復等の被害を受けかねない。

 なにせ、金持ち息子への殺人依頼なのだから……


 変装の剥がれや、不具合を店舗のガラスで確認しながら……飲酒の為の下品なげっぷをする……男二人が一瞬ヨミを見て、嫌そうな表情を浮かべ、また二人の周囲の警戒に戻った。


 彼は、視界の端で、マダムシェリーの店を観る。


 ……入口に立つ二人が……警戒……緊張……している。

 あれでは、店に入りたい客まで排除している……そんな視線と態度。


『今回の事件がそうさせているのだな……』とヨミは思う。


 しばらく、休憩を装い、店を観ていると、入口から年配の女性と、それに付き従う中年の男性、男性は杖を突いて歩いて出てきた……左脚が悪いようだ。


 どうやら、マダムシェリー御本人と、亡八者の様だ。

 忘八者は周囲を隈無く見回す。

 木に凭れ掛かるヨミにも視線を送る。

 忘八者はしばらく、ヨミを観察していたが、マダムから声を掛けられたのかヨミから視線を外した。


 ヨミの方は、遠くから馬車の音が近付いているを後頭部で聴いていた。

 親不孝通りからゆっくりとこちらへ向かってくるのを耳で観ている。


 ヨミの横を馬車が通過した……馬車の両脇には、槍を担いだ若者が二名、並歩している。


『門番はこの為か……』ヨミは案内図を凝視したまま、視界の端で馬車を観る。


 物々しい馬車は進む。

 マダムシェリーの店の前で停車する。

 馬車のドアが開く。

 両脇を槍の若者が護る。

 中から、年の頃は、10代後半位か女性が顔を出す……


 いや、間違いだ、彼女は成人している。

 化粧を全くしていない。

 眉さえ書いていない。

 恐ろしく白い肌が見える……

 この曇天の中、ほんの少し顔を出している太陽でさえ、彼女の皮膚を焼くには十分過ぎた……

 それほどの白さ、室内保管された肌……

 嬉しそうに、手を繋いでいる。

 その手に引っ張られ出てきた人物の頭部は包帯で覆われていた、辛うじて目と鼻、口が包帯の隙間から覗く。


 ヨミは理解した。

 盗賊ローの妹君マリアンヌと小間使いのケリイ……今回の被害者……

 妹君が嬉々として、包帯男の手を引っ張る。マリアンヌの喜び様は、正に少女のそれ……とても幼い……

 つられて包帯男が、つんのめる様に、一緒に店に入って行った。


 マダムと亡八者が二人の後を追い、正門が閉まった。

 門番の二名は相変わらず、周囲を警戒して視線を配る。


 ヨミはもたれ掛かった桜の木から身体を起こす。

 馬車から出て店の正門を通過する迄、観察した……ヨミには充分な時間……


 マリアンヌ:幼児退行 正常時の記憶すら残っているのか怪しい。

 ケリイ:少なくとも片目は欠損、歩行は正常だが、恐らく股間の怪我と片目故の距離感の齟齬が、現時点では歩行を阻害している。


 被害状況は、依頼人から聴いた通りだった……盗賊ローは徒に、話を盛る事も無く、ありのままを正直にクライスに伝えていた様だ。


 マダムシェリーの大豪邸の1階窓から光が漏れる。

 磨りガラスで、中の様子はハッキリ見えない……しかし、数人の人体の陰影が微かに動いて、椅子らしきものに座った様だ。



 玄関では相変わらず、門番の如き、大柄な男性が周囲を睨め付けている。


 彼等は、ヨミの様子に恐らく、気が付いていない……いや、視界には入っている筈、しかし風景の一部の如くヨミに注意を払っていない……『どうせ、なけなしの金を握り締めた小心者の助平が、今日の店に思いを巡らしているのだろう……』彼等にとってヨミはそんな程度の人物……

 彼等はそう思っている……

 いや、ヨミが、彼等にそう思わせている……


 ヨミは紙を観ながら店の方に向かってヨチヨチ歩く……マダムシェリーの店の前を……門番二名の前を何事も無く通り過ぎる……紙の地図と、並び立つ建物を交互に見て、目尻を垂らして歩く……千鳥足で、紙と建物に注意を取られ、ヨミは歩道の小石に躓く……「オッ……アイタタ……」歩道に膝を突く。


 門番二人は「……」露骨に嫌そうな顔をして無言でヨミを見る……明らかに「とっとと、ここから出ていけ!」という言葉が顔に出ている。


「あっ、すいやせん……すいません……」南方訛りで、誰ともなく謝る。

「おいっ、大丈夫か……」門番の一人が仕方無しと言った体で声を掛けてくる。

「ええ、だいじょうでさ……すいやせん……」ヨミは満面の笑みを門番に返す。

「え……と、ここいら辺りで、マダムシェリーの店ちゅうのは……はあ……あっ、ここですか」ヨミはキョロキョロしながら喋り、門番越しの看板を見て気付く。

「お前さんが何の様だ……」門番が薄ら笑い。

「ここにケリイって男は居りませんか……」ヨミは頭を掻きながら門番に訪ねる。

 門番の顔が一瞬で変わる。

「……ん……貴様……」喋りかけた門番が詰め寄る。

 その名前は、門番を驚かせるのに充分だった。

「はぃ~ケリイです……あのマダムシェリーで仕事をしている筈です」ヨミはキョロキョロ店の中を覗く。

 門番が二人……ヨミの視線を遮る様に立ち塞がる。

「何の用だ!」既に語気が荒い……喧嘩腰だ……

「すいやせん……すいません……わし、ケリイに伝えたい事が有って……ここで働いてるって訊いたもんで……」ヨミは腰が引けてじわじわ後退り……

「故に、何用だ!」再度、門番が詰問する。

「こっ、怖い……すいやせん……」ヨミは両手で頭を護りながら更に後退り……

「こらっ、待たんか!」門番がヨミの右腕を掴み、引き戻す。

「アッイタタ……何をするんや!痛い……痛い……」ヨミは大声で半泣き状態……貧弱そうなヨミは門番に良い様に引き戻されて……引きずられて……抵抗も出来ない……太い腕に捕まれた右腕を左手で庇い……地面に膝をつく。

「イタタ……許して……」大きな悲鳴……店内にも聴こえただろう。

「何事だ!騒がしい」左脚の悪い亡八者が出てきた。

 先程のマダムの横にいた男だ。


 出てくるのは知っていた……

 そこそこ有能な亡八者ならば……現在、ケリイの事件は完全に終わっていない……故に警戒体制を解かない筈……


 だから、状況確認であれ、事態の収束であれ、門番の異変に気付き出てくる。

 必ず……ローからケリイの過去は訊いていた、大まかな出身地

 今までの勤め先

 一時期、南方の質屋の住み込みではたらいていた、と言えばまだマシだが、本来は学校に通う年代の少年が、食事だけを与えられて、こき使われていたに過ぎない……まぁ、奴隷である。


 ヨミはこういった連鎖を良く見てきた。


 貧困の中から産まれた子供が、売られ……

 貧困の中で育ち、十分な教育を受けられず……

 貧困の連鎖から抜け出せない……


 抜け出すには、余程の強運か、才覚が必須であり、無ければ、親と同じ様に、その日の食べ物にすら窮する……そして産まれた子供に満足な愛情も十分に注がぬまま手放す……

 その日その日の食い物の為に……

 つい10年位前、貧困の中では、子供は労働力であり親の糧だった……


 悲しい事だが……


 ケリイも二束三文で売られたクチだろう。

 ケリイはマリアンヌと会う前、質屋で丁稚奉公をしていた。

 従業員を30名も抱える大店舗だそうだ。


 そこでヨミは、ケリイと同時期に働き、現在失業し、ケリイを頼ってマダムシェリーの店まで来た設定の人物に扮した。

 ケリイは「???」状態だろう、ヨミが捏造した人物だ、知る由もない。

 ……というか存在すらしていない。


 しかし、ヨミは構わない……

 会話でどうにでもなる……

 そういった偽装・企みは散々してきた、どうという事も無い。

 事実、世の中、自分は知り合いでなくても、相手は知り合いと思っている人間等、ごまんといる。

 こんな事までしても、ヨミは本人達からこの事件の内容を知りたかった。

 ローから知り得る情報は全て聞いた。

 クライスが望むような情報を得るには、ロー以外の情報が必要だった。

「ケッ……ケリイはいませんか……」息も絶え絶えの体で、ヨミは訊く。

「お主、何者だ?」忘八者は冷静だった、ヨミの質問に返事しない、返答するメリットが無いからだ。

 この忘八者は予想以上に有能だ。

 マダムのヒモ等では無く、明らかに職業として、忘八の業務に徹しているのが判る。

『……もしや、元職業軍人か……』ヨミは勘ぐる。

「ケリイと同じ質屋で働いていたトマスと言います……ケリイがここで働いていると聞いて、あっしはケリイに伝えたい事が有りやして……」ヨミはチロチロと忘八を上目遣いで見る。

 忘八の表情は一遍も変わらない。

 顔の筋肉を消失したのかと、勘ぐってしまう程の無表情。

「そこで待つが良い……」忘八者はソレだけを言い、脚を引き摺り店内に戻った。

 帰り際、門番の二人に何事か言う、聴こえない。

 門番は相変わらずヨミの腕を離さない……


 腕が痺れる前に忘八者は戻って来た。

「ケリイは『お主の事など知らぬ』と言っている」忘八者の素っ気ない返事、そして続ける。

「もう一度訊く、お前は何者だ」先程より強い口調で訊く。

「え……はっ、いえ、あっしは……あの……もう一度訊いて下さい、一緒に働いていたトマスなんで、もう一度訊いてくれたら、ケリイも思い出します」しどろもどろの受け答え。

「訊かぬよ……仮にお主がケリイの親友でもな……」忘八者はにべも無い。

「……。。。……」ヨミは俯いて黙り込む。

 忘八者は、周囲を警戒しながら、ヨミを観ている。

「……すみ……ません……嘘をついていました、本当はケリイの親友では無いです……」絞り出す様に言う。

「何故嘘をついた?」間髪入れず訊いてくる。

「……あっしは今、仕事が有りません……駐在所で、この事件を知りました、今なら……あっしを……」手強い、相手は考えさせる暇を与えない……ヨミは言い淀む振り。

「ケリイの代わりに採用して貰えると……」忘八者が後を続ける。

「へぇ、欠員が出た今なら、今なら、あっしでも……」ヨミは大きくお辞儀をして、「どうかあっしを使って貰えないでしょうか?」ヨミはお辞儀のまま大きな声で頼み込む。


 これがヨミの二段構えのシナリオだった。

 そのまま騙して会えるならヨシ。

 無理なら雇用して貰えないかと、甘い期待をして来た同郷の者として潜入したい。

 報告期限は今週末。

 可能なら数日実際に働いても良いのだ。


「……もう、一月の間仕事も無く、飯も食えない日々が続いておりまして、何でも致しますので何卒、あっしを使ってくれませんか……」ヨミは、門番に腕を掴まれたまま、出来うる限り頭を下げて忘八者に懇願する。


「……そうか、確かにケリイはあの様な状態で、マリアンヌは未だ客の前に出れる状態ではない……人の手が欲しいのは事実……」忘八者はヨミと目の焦点を合わさず考え込む。


「……そうか……ならば中に入るが良い、受付場にて詳細を聞こう」忘八者は振り返り正面入口へと入って行く。


 ヨミは相変わらず、門番に腕を掴まれたまま、半ば引き摺られるように店の中に連行される。


 中に入ると吹き抜けの空間が有り、向かって右側に人一人が歩ける程度の螺旋階段が、二階に伸びている。


 忘八者はそれとは反対側に置かれた高価で、重そうなテーブルと四脚の椅子が有る。そしてテーブルの四方に、布が貼られた間仕切りが置かれていた。

 ヨミを上座に座らせる。

 門番の一人が間仕切りを挟んで、ヨミの後方に立つ。

 忘八者はヨミと正面入口の対角線上の椅子にドッカリと腰を降ろした。

 ヨミは忘八者と門番の間に挟まれた形になる。但し間仕切りのお陰で門番の様子は見えない。

 忘八者は左脚を揉み始めた。

『あぁ、やはり足が悪いのだ……』ヨミは自身の見立てを確認する。


「……えぇと、あっしはこれから何をすればよろしいんで……」ヨミはいたたまれない表情を造り、カタカタと貧乏揺すりをしながら訊く。

『案外すんなり潜り込めた……』ヨミは少し安堵。

「お主、何か得意はあるのかな?」忘八者が早速訊いてくる。

「へぇ、あっし、炊事・洗濯・掃除は一通り出来やす、特に料理はそこそこ得意で、お店に出す料理は無理でしょうが、材料の下拵えならそれなりに……」ヨミは嬉々として自分を売り込む振り。

「そうか、それは願ったり叶ったり」忘八者は自身の膝を叩く。

 そしてテーブルの上に置かれた、酒を掴むと何処からもってきたのか2つのグラスにそろそろと酒を注ぐと話しながら、ヨミの方にグラスを一つ押し出してくる。

「つかぬ事を訊くが、トマスよ……」名前を呼ばれた。

「はい、何で御座いましょう?」ヨミは応える。

「……お前は何者だ……」三度、同じ質問……

『……!!!……』忘八者の視線がヨミを掴み取る……それでもヨミの外見はトマスのままだ、その程度でボロは出さなかったが、次の一言はダメ押しだった。

「……そうだよ、バレているぞ」忘八者がヨミの思いを言語化する。

『……!!!……』心の嵐を押さえ込み、それでも表情を変得なかったのは大したモノだった。


「トンッ」グラスが押された。


 酒がグラスから飛び出し広がる。直ぐに手を引いたヨミの手にも数滴酒が付着した。動揺から少し手を引くのが遅れた。


『ヤラれた』ヨミは悔やんだ。


 忘八者の会話で心を揺らされ、結果ボロを出してしまった。

 袖の中に仕舞った手を忘八者がジロリと観ている。

「どうした酒が怖いのか?」仄かに笑って、自身のグラスを呷る。

「いえ、ビックリしまして……」ヨミの頭は高速回転して、この苦境からの解決策を考える。

「プッ!」忘八者は酒をヨミに吹き付けた。

 予想されていた対応故に、ヨミは袖で顔を覆う。

 だが完全には無理だろう、ヨミには判っている。

「あまり濃い化粧は関心せんな」忘八者は空いたグラスに酒を満たした。

「貴方こそ何者ですか?」アルコールで化粧が剥げ、斑になった顔で忘八者に訊く。

 ヨミにも自負が有った。変装も訛りも完璧だった筈だ、何処でバレた?

「……お主、桜の木に凭れていたな」馬車の迎えにマダムと忘八者が出てきた、あの時。

 確かに見られていた。

 そしてヨミの質問は、相変わらず無視。

「一ヶ月間、仕事が無いと言いつつ、酒は呑めるのだな……」忘八者が言う。

「えぇ、なけなしの金で、朝から酒をチョイと、最後の贅沢でして……」バレているのだろうが、それでも演技をヨミは続ける。

「なけなしの金で、えらく上等な酒が呑めたものだな」漸く、会話が成立した。

『……!!!……』

「そりゃ、あっしの様な、貧乏人にとっちゃ屋台の酒も上等、上等で……」ヨミは話を逸らそうとしたが、忘八者はヨミの言葉を遮り、

「米の酒だ、醸造酒ゆえの風味、お主から漂っておる」と言いながらグラスを空ける。

「これより余程良い酒じゃろうな、お主、何を呑んだ、後学の為、教えてくれまいか」グラスを指で挟んで揺らす。

『もう、駄目だ……』ヨミは諦めかけていた。

「いえ、実は私は……」こうなったら、ゴシップ雑誌のネタで、『王都随一の娼婦マリアンヌのその後』を潜入調査しに来た記者とでも言うか?……兎に角、クライスや自身の情報だけは漏洩する訳にはいかない。


「兄者は元気そうだな」唐突に意味不明な言葉。

「へぇ?私に兄はおりま……」ヨミは本気でこの忘八者の事が判らなくなった。

「隻腕の兄者の事よ」ヨミの返事を待たずして言う。

『ええッ!』心の中で驚く。

「ワシは弟弟子、兄者とは師匠の元で切磋琢磨した」

「ええッ!」今度は本当に声に出た。

「お主の事は聞いておる、ヨミ」本名を言われた。ヨミは項垂れる。

 どうやら、クライスが根回ししてたらしい……ただしまだ確証は取れていない、ローにも当然だが、口止めをしているが……何処からか情報が漏れた可能性も有る、だから、コチラからは情報は言わない。

 ヨミが黙っていたら、今度は忘八者が饒舌に話す。

「その酒を呑んだのは悪手だよ、まぁ貧乏人が呑む酒ではない、しかし、変装と訛り、情報収集能力はかなり上手だ……」忘八者は評する。

 ヨミは

「兄者より、お前を観ろと言われた、これは卒業試験でもある、お前も知っておろうが、兄者が生業を引退する時期も近い、何時までも、兄者の受付業務で食って行ける訳ではない」忘八者は少し悲しい表情。

『どうやら、もう信じる他無い』ヨミはそう思う。

「お主程の技量が有れば、興信所の類を起こすのも容易いだろう」忘八者はヨミを見つめる。

「……難なく、貴方にバレましたが……」ヨミは恐縮する。

「そりゃ、ワシは、最初からお主の素性を兄者から聞いておったからのぅ」忘八者はきっぱり。

「……そうですか、判りました」ヨミは話を変える。

「さすれば、私は師より今回のマリアンヌとケリイの事件について調べて来るように言われています、お訊きしても?いえ、そう言えば失礼ながら、貴方様のお名前もお聞きしていませんでした」ヨミは会釈する。

「こちらこそ、失礼を致した、我が名はジョセフと言う、呼び捨てで構わんよ」忘八者はニコリと笑う。

「失礼して、ジョセフ、この度の事件、依頼主から粗方訊いているのですが、貴方からも、一度お話し頂けませんか?」ヨミは訊く。

「構わんよ、寧ろ、こういった主観的意見や感情論が多くなる事柄については、ワシもその方が良いと思っていた所だ」ジョセフは賛同する。

「そなたの情報精度が高ければ高いほど、兄者の行動の精度も向上するというもの」そう前置きして、ジョセフは話し始めた。

「まず前提条件として、本来マクシミリアーノはマリアンヌの前に来る可能性は低かった……無いとは言わぬ、王都でも指折りの高級ブテックの次男坊、家柄だけなら問題無しだが……」

「事前のマダムの面接で落選」ヨミが続ける。

「おお、本来ならその通り、何せ人間性が悪い、隠すことも出来ぬ程、ヤツからは漏れ出しておる、しかしな、こちらにも理由が在った」ジョセフは眉を潜め、自身の顎掴む。

「マダムシェリー側に理由が?」ヨミには判らない。

「まぁ、端的に言えば、此度の戦争で、男性も金も絞られた、という事よ」

「戦争で?……男性……徴兵ですか……」

「そうだ、それも王都で生活する、それなりに裕福な男性達……」ジョセフは磨りガラスの向こうを観る。

「この店の主な収入源……」ヨミは答える。

「パンッ」ジョセフが手を叩く。

「これが1つ目の理由」

「それ程、こちらは財政的に困窮していたのですか?」ヨミは未だ半信半疑。

「そなたの疑問はご最も、実はマダムはこの様な状況も見越して、店舗が軌道に乗った頃から金も貯めておる」

「ならば尚の事、マクシミリアーノ等との逢瀬の機会など考えなくとも……」

「マリアンヌとマダムは、それでもこれからこの店の運営が難しくなる事を、予見していたのだ……」

「どういう事ですか?まさかマダムの蓄えが、無くなる可能性が有るのですか?」

「いや、どちらかと言えば、戦争の長期化だ」ジョセフは応える。

「つまり、マダムの蓄えが、底を着く程、長きに渡り戦争が継続される可能性という事ですか?」

「その通り、お主もご存知かも知らぬが、マダムも昔は、高級娼婦として、この界隈では知らぬ者は居ない程だった、マリアンヌはそのマダムが手ずから育てた最高の娼婦」ジョセフはグラスの酒で喉を潤す。

「高級娼婦と言いつつ、彼女らは相当な知識人でも有る、何時如何なるお客が来られても、対応出来る、そう成るようにマダムが育て、マリアンヌはそのマダムの希望通り、歴史、地理、宗教、民族、その他ありとあらゆる事を学び、どの様なお客の会話にも、にこやかに微笑を浮かべて、話し、踊り、饗す、そういう特殊能力を持つ人材と成った」

「確かに、国家を運営する知識人や財界の大物等がこぞって利用するのがこのマダムシェリーの店」ヨミは呟く。

「もしかして、その知識人たるお二人が考えた結果、戦争が長期化し、マダムの蓄えが無くなる可能性が濃厚だと……」

「言ったのは、マリアンヌだよ、ガゼイラとキルシュナの緊張関係、大陸から得られる外貨、その入手方法、これらから、『私がユーライ帝なら絶対にキルシュナに攻め込みます!』とマリアンヌは結論していた」

「その言葉にマダムも頷いていた」同じ結論だったのだよ。

「流石に、この閑古鳥の状態で、5年以上も戦争が続けば、いくら何でも蓄えは無くなる……高級娼婦は辞めて、どの様なお客でも受け入れる、木賃宿に毛の生えた娼館に鞍替えするか?」ジョセフの眉間に深い皺。

「まぁ、二人も必ずそうなるとは言わない、飽く迄、可能性の話だ、しかし、二人から出た結論は、新しいパトロンを探す事だった……」

「それで、マクシミリアーノ……」

「気は進まぬ……しかし、致し方ない、そのままであれば、娼婦仲間、禿の女子達、その傘持ち、門番、そして忘八者、皆が路頭に迷う、マリアンヌはそう考えた」ジョセフは目頭を揉む。

「……」ヨミは口籠る。

「ある意味、悪口や嫌がらせ、身体の強要、その様な事がマクシミリアーノから再三出る事は、百も承知だった……それでもな……マリアンヌはそれでも、ヤツと宴を催したんだ……みんなの為に、だが、そんな事は一言も言わず……さも当然に……」

「なんとも、良い女だろう……誠に良い女なんだ……」ジョセフは天井を見て話す。

「宴の後、ヤツはマリアンヌを身請けすると言い出したが、マダムは時期早々と断り、宴でも下品極まりない物言いに、マダムはマリアンヌの事を不憫に思い『今後の逢瀬は無し』とやんわりを告げて、宴は御開となった、その後は、巷のゴシップに出ておるとおり、マリアンヌはヤツに強姦され、噂を拡められ、ケリイはそれを食い止め様と出向き、門に吊られる」

「ワシがアイツをヤッてやろうかと幾度と思うたよ、だが、マダムに止められた、そしてワシには、そこまでの技量は既に失われてしまっている」ジョセフは悲しそうに話し、袖を持つ。

「貴方は……」ヨミはジョセフの捲り上げられて露出した腕を見る……枯れ木の様だった、足だけが不具では無い、この人は全身既に……

「自分の身体を動かすだけでこの有様……頭しか使えぬ……」自嘲気味の笑い。

「まぁ、罪が積もりに積もっても、この程度で済んでいるのは、誠に重畳……毎朝、悪夢を観ている成果かな……」と、にこやかな笑いに変わる。

「まぁ、辛気臭い話はそこまで、宴を開いた後は、ローや警吏の情報と差異はない、本来呼ぶ筈の無い、下衆を呼ぶ羽目に成った理由は、今話した通りだ」そう言いこれで話は終わったかと、ヨミは「ありがとうございます」と言い、ジョセフにお辞儀する。

そのまま席を立とうとするヨミを、ジョセフが手で制する。

「いや、最後に一言、コレはお主と兄者にだけ、他言無用」ジョセフは総前置きして話し始めた。

「マリアンヌは秘所と肛門に裂傷が有った……」

生々しい話にヨミは眉を顰める、見ればジョセフも露骨に嫌な顔をしていた。

「マリアンヌの気が狂う前、マダムが聴き取りした、やったのはライジャ……屑共、マクシミリアーノの右腕……その後、全員が変わる変わる犯している……ケリイの方も動揺に肛門に裂傷が有った……」ヨミは吐きそうだった……

屑過ぎた……

無意識に拳を握っていた……

掌に爪の跡が深く刻まれている……

精神が収まるまで暫く時間が掛かった……

「裏で、何かしらの団体や集団が暗躍している可能性を考えていましたが、まさかこの様な話とは……」ようやくヨミはジョセフに応える。


「二人の名誉の為、今の話は、墓場まで持って行ってくれ、そなたらを信じて話した……もうこれ以上二人が傷付かぬ様に……頼む……」ジョセフは鼻を啜る、それでも表情は今までと変わらなかった。

「もう十分かな、左奥に洗面所が有る、化粧を戻してから出て行くが良い」ジョセフは忠告する。

「有難う御座います」ヨミは洗面台で化粧を直す、アルコールで化粧が落ちて、痘痕顔に成っていた。

 それこそ駐在所で呼び止められかねない。


 洗面所から戻って来たヨミは出入り口向かい歩き始める。

 途中で振り返りジョセフに尋ねる。

「マリアンヌとケリイはどうされるのですか?」

「どうされるとは?」

「すみません、私の個人的な質問で、働けなく成った二人はこれから……」

「マリアンヌはマダムが面倒を診る……マダムの娘の様なものだ、血は繋がっていなくとも、母娘の様に二人で生きてきた、これからも一緒だ、ケリイも同じだ、彼も怪我が治れば、マリアンヌのそばで働き始めるだろう……」ジョセフは当然の如く。

「商品価値が無くなれば捨てるか?と思ったのか、確かに、それが経営者としては正しい判断かも知れん、だがマダムは違う……」

「……そうですか……良かったです、それでは失礼します」出入り口向き直り歩き出す。

「今は良いが、館から一歩でも出れば、元の南方人に戻れよ……」

「えぇ、そのつもりでさぁ〜」

「それで良し、では幸運を……」ジョセフは椅子に座ったまま手を振る。

 門番がヨミの後ろに立つ。

 正門を出た。

門番にお辞儀をして、てくてく歩き館から離れ、親不孝通りの、ケリイが吊られた門まで来た。

 マダムシェリーの店の採用面接に落ちた南方人は日銭も無く、歩歩行者の迷惑に成らぬ様、道端で座り込む……そんな風にしか見えない。


『あの間仕切りは付与魔法が施されている、外に居た門番の衣擦れの音すら、何もかも聴こえなかった……恐らく間仕切り外にはマダムシェリーが居たのだろう……ジョセフとの会話はすべてマダムに訊かれていた、故にジョセフの発言はマダムの発言でも在る、』


 結果、真犯人はおらず、マクシミリアーノ・シェファーが自らの欲望のまま、餓鬼の如く、遊び回っているだけだった。

 まぁ、小説の類の如く、真犯人や影の組織が暗躍する事件ではなく、現実は、クズの様な人間が、立派な目的も無しに他者に危害を及したという事、そんな事は往々にして在る。


 ただ、これで、クライスに報告できる。


 ヨミは立ち上がり、酔った風体で、微かな千鳥足で門を潜り、親不孝通りを出た。

 もう薄暗い。街頭に火が灯る。

 確かに、本来なら、今、ヨミとは逆方向に門を潜り、店に入る男どもで、ここは溢れている筈だった。

 戦争の影響が、ここにも影を落としているのだ。


 王都のメインの馬車通行道路を横切る。

 歩道も横切り路地裏に入る。

 糊を外し、目が一重に戻る。

 濡れタオルで顔と手を拭く。

 ヨミの小声……

 服の色が変わる。

 長袖とズボンの色が地味な灰色に変わる。

 魔法が付与されているようだ。

 朝、クライスと会ったヨミに戻った。


 人目を避けて、スルスルと裏路地を歩き、クライスの小屋まで、辿り着いた。


「おかえり」クライス声が中から聴こえる。


 玄関扉を開けて、「只今、戻りました」と答え、扉を閉める。

 クライスに手招きされ、いつもの椅子に腰掛ける。

「早かったな、予定は週末だった筈だが……」クライスは水を挿れたコップをヨミに差し出す。

「はい、予想に反して、早めに調査が完了しました」コップを掴み、口に含む。

 胃袋から全身に染み渡る心地。

 今まで緊張していたのが判る。

 その緊張がほぐれる。


 そして、クライスに調査報告を伝えた。

 クライスは黙ってそれを聞いていたが、最後に

「弟は何か言っておったか?」と訊いた。


「ワシがヤッてやりたかったが、マダムに止められたと、しかし身体は枯れ木の如くで、正直あの方が仇討ち出来るとは思えません」ヨミはクライスを見る。


「……そうか……」クライスは無表情。


「さすれば話を纏める、この事件に、反政府組織や反社会的勢力の影は無し、全てはボウス共が起こした事、それで良いか?」クライスの最後の確認。

「はい、悲しいかな、そうです」ヨミは答える


「ならば、早々にローからの依頼を完徹する事にしようか、ヨミご苦労様」クライスは感謝を述べる。

「また、何か有れば、お申し付け下さい」ヨミは立ち上がる。

「今日はゆっくり休むが良い」クライス労われる。

「有難うございます」ヨミは立ち上がり、出て行こうと玄関扉に手を掛けた。

「あっ、すまん、」クライスが謝罪する。

「何ですか」上半身を捻りクライスを見る。

「言うの忘れてた……ジャ♫ジャーン♫!試験合格!」クライスは親指を立ててウインクする。

「はぁぁ……」ヨミは呆れる。

「何なんですか?……っていうか、ジョセフさんにはバレましたよ……不合格じゃ無いんですか?」ヨミの口はへの字。

「いや、十分!十分!浮気調査位なら難なくこなせるわ」クライスは笑顔でヨミの方に歩いてくる。

「もう、食って行けるだけの技量は十分」

「いい加減、ワシの仕事も年齢と共に減って来た、いつまでもワシの受付では、いつか食いっぱぐれる事になる、今の内に、お前自身で金儲け出来る様に成っておけ」クライスはそう言いヨミの肩を叩いた。

「まぁ、考えときます……」ヨミはどうでも良さそうな返事。

「なんじゃ!もう少し真剣に考えんか!」クライスはヨミの適当な返事に憤慨する。

「はいはい〜判りました、師には迷惑は掛けません、ご安心下さい〜」

「ワシはなぁ〜お前の事を憂いて……」クライスの話途中でヨミが言う

「大丈夫です!本当に!何とでもしますので、本当にお気遣いなく!」そう言ってヨミはクライスを黙らせた。

「まぁ、良いか……お前なら何とかするか……」クライスは結局、自分で言って納得した。

「では、帰ります」ヨミは、未だ完全には納得していないクライスを部屋に残したまま、家を出た。


 帰り道、ヨミは今日の事を思い起こした。


 マリアンヌとケリイ……


 穢れた街で生きて……


 生き抜いて……


 自分を擦り減らして……


 ほんの少しの誇りを盾に彼は……


 彼女の気持に応えるために……


 色街に身体は穢されても……


 二人の心は清らかだった……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る