第37話 討伐開始2

 今から急遽、魔獣スースの討伐が始まることを受けて、出かけている者への声掛けや各家々に伝え回った。

 リヒトとシキは疲労を感じる足取りで宿屋へとたどり着いた。


 村の中央広場からほど近いそちらは、若夫婦の切り盛りする小さな宿場だった。


 どうやらシキのことを知っていたようで、身の安全や、今後も何か相談事や頼る宛が必要な際は力になってくれると伝えてくれた親切な若夫婦だった。まだ赤子の子どもがおり、天涯孤独の身となったシキと我が子を重ねて胸を痛めたようだった。


 あたたかな夫婦に歓迎されて、趣はあるが綺麗に整えられた二人部屋に通してもらった。討伐が終わるまで世話になる。


「村に住んでた頃は村長とかヤムおばさんの家族以外はあまりお話ししてこなかったけど、僕のこと知っている人がいて驚いた……」

「私がシキの年齢の頃だったなら、近所付き合いや大人の人たちと会話をすることなんてなかったよ。きっとお爺様やお婆様が村の方と交流する中で、シキのことを目にかけてくれる大人たちが増えていたんだと思うよ。こういった小さな村では子どもはとても大切にされるからね」

「爺様や婆様がいなくなって、僕ひとりぼっちだ、と思ってたけど、そうじゃなかったんだ」


 ほころんだ顔をしたシキにリヒトも優しく微笑みかけた。

 ユーハイトとシンハ樹海の途中に位置するこの村はシキが育ってきた故郷だ。リヒトもこの優しい人の多い村にきちんと立ち寄ったのは初めてであったが、今日の経験からとても親しみのある、故郷に近いような存在となっていた。


 陽は既に傾き始め、「フラルゴ」の面々が討伐に向かってから暫く経った頃、店主から夕食が出来たと部屋まで連絡があった。


 荷解きして荷物を整えていたリヒトとシキは二階の部屋から階下の食堂へと向かう。


 すると受付のカウンターで店主が夫人と困ったように相談している姿が目に付いた。


 リヒトとシキの姿に気づいた夫婦は笑顔に変えて食堂へと案内してくれようとするが、つい先程の困ったような顔が目に止まってしまったリヒトは訊ねてみた。


「あの、何かお困り事でも?」

「ああ、お客様の前で申し訳ございませんでした。……実は給湯器の調子がおかしくて。様子を見ようにも今、外に出て大丈夫かな、と」


 どうやら宿屋の裏手にある魔道具の給湯器が止まってしまったようだった。


 五十匹ほどのスースの群れだと聞いている。「フラルゴ」の面々ならもう討伐はほとんど終わった頃だろうか。

 彼らが村に帰ってきたら再度、物見塔の鐘が打ち鳴らされる手筈になっている。合図はまだ無いようなので、まだ討伐は終わっていないだろう。

 もしもスースの残党が村の内部まで入り込んでいたら襲われる可能性がある。


「ちなみに故障の原因はなにかわかりますか?」

「たぶん歯車が噛み合ってないだけだと思うんです。ずいぶん古いので、よく動かなくなるんですよ、歯車の噛み合わせを確認して油を差すだけなので数分もあれば対処できると思うのですが……」


 リヒトは店主に再度訪ねると、先代から譲り受けた給湯器なのでなにぶん古くて……、と申し訳なさそうに眉を下げて話してくれた。


 二つあるタンクのうちの一つに水を溜めた状態でレバーを朝夕に数回まわせば、タンク内に組み込まれた魔法が作動して湯となる。その湯がもう一つのタンクに送水される仕組みになっているが、そのための歯車が止まってしまったようである。


「芽吹きの季節になったとはいえ、夜はまだ冷えるので湯殿を用意してさしあげたかったのですが……いやはや今日は竈で湯を沸かすしかなさそうです」


 リヒトは湯殿と聞いて、ぐっと揺らいでしまった。旅の間は固く絞った布で体を拭うか、冷たい川の水で頭を洗ったり、水浴びを軽くした程度だ。

 湯殿があるのならば、その恩恵にあやかりたいと思ってしまった。

 竈で湯を沸かしてもらうのも、大変有難いことだとは思うが、湯桶に浸かれる贅沢に甘えたい。


「……魔獣避けの香を焚きながら私がついて行くので、湯殿の用意をいただけると、たいへん、たいへん助かります……」

「そんな、危険ですのでリヒトさんはシキくんと一緒に食堂でお待ちください」

「もう外は暗くなってきましたし、手元を照らす明かりも必要ですよね? 湯殿を手配する手間もかけてしまうので、手伝わせてください」


 恐縮しきりの店主をなんとか説得して、無理を通させてもらった。

 店主を庇いつつ、スース避けとなれるよう香を焚きしめて手伝おうと決意した。


 風呂の誘惑には勝てなかった。数日間とはいえ旅の疲れが取れるなら取りたい。

 手伝いを買って出たリヒトにひたすら頭を下げた店主ではあったが、湯殿の用意は快く引き受けてくれた。


「シキは食堂で少し待っていてくれるかい? 店主さんと共に給湯器の魔道具を見てくるから」

「リヒトさん、大丈夫? 気をつけてね」


 不安顔のシキを夫人に預け、リヒトは店主とともに固く閉ざした裏口のドアへと向かう。念の為に設置したのだろうバリケードとなる棚を退けてドアを開き、そっと外の様子を伺った。

 宿屋の裏手の通りは人気がなく、誰も彼もが家の中で討伐が終わるのを待機しているようだ。魔獣の気配は周囲には無い。


 リヒトは手荷物から取り出してきた魔獣避けの香に火をつけ、煙をくゆらせた。人には少しだけ鼻につんとくる刺激のある香りに感じるが、魔獣は忌避する香りである。


 店主と目配せをして、給湯器の置いてある場所へと足早に向かった。


「……やっぱり歯車が外れて空回りしていたようです、ここを照らして頂けますか?」


 店主がタンクの隙間にある機械仕掛けの部分を見つめてリヒトを振り返った。

 店主からランプを預かり、手元が照らされるように手伝う。もう片方の手には煙がもくもくと昇る香炉も持っている状態だ。


 カタカタと歯車のネジを締め直し、給湯器が再度動き始めたことがわかった。

 数分のことではあったが店主とともに安堵の息をつき、すぐに裏口へと引き返そうとしたところだった。


 ザザッ、ザザッ、と人の歩行では考えられない土を舞わせるような足音が薄闇の先から聞こえてくる。


「リヒトさん、先に中へ……っ!」


 店主がリヒトを背に庇うように道の先に蠢く影へとその身を差し出した。

 店主の肩口から目を凝らせば、闇の中に目を光らせた四足歩行の魔獣の姿がある。全貌が見えなくともわかる、確実にスースである。


 二十歩ほど歩けばすぐに裏口のドアに飛び込めるが、スースもまた向こう側から走り寄ってきている。


 リヒトは手元のランプをスースの方向に向かって無造作に投げつけた。当のスースはガチャンと地面に落ちて壊れるランプに気を取られ、ふいとリヒト達から目線を外した。


「今なら……!」


 リヒトは無我夢中で店主背中から押して、ドアの方に追いやった。

 スースがランプに視線を向けたのも束の間で、また再び、今度は取り残されたリヒトに対してその目線を向けてくる。


 リヒトは手に持った香炉を突き出し、じりじりと背中を入口の方へと寄せてすり足で歩く。

 視線はスースに向けたままである。おそらく目線を外して背中を見せたら、襲われることを察知した。


「……リヒトさんっ!!!」


 背中の方にある入口からシキの声がしたとき、つい後ろに意識を向けてしまった。

 視界の端でスースが地を蹴り、猛然とリヒトに突っ込んでくる様子を察知した。


『業火の槍よ!』


 耳慣れぬ音がシキの口から発せられた。

 リヒトの脇を熱風が通り抜け、目前に迫るスースの額を射抜く。炎を纏う槍はいとも容易く巨体のスースを貫き、撃退させた。


 魔法の炎が全身に回ったスースはのたうち回り、嘶くような叫びを残した後、絶命した。


 その場には息を荒らげたシキと、あまりのことに尻もちをついたリヒトが残されたが、宿屋の中から店主が慌てて声を掛け、二人は裏口の中へとすぐに退散した。

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