第21話 襲撃

「もう一つ補足を忘れておった」


 時刻は既に夕刻で、空の色が薄橙に染まり始めていた。ヒューマ邸の座敷にて魔法の属性について説明を受けつつ、歴史の話を聞いていたシキに、最後にヒューマが語りかける。


「創世記時代の始祖である天の民、地の民じゃが、その血はすでに妖精族と竜族だけに受け継がれたものでは無くなっておる」

「……?」

「歴史書が記されるようになる前からこの地上に生き物は暮らしておった。様々な種族と交配が進み、現代まで血脈が続いてきておるわけじゃ。すでに天の民、地の民の血は細かに枝分かれして、妖精族や竜族以外にも受け継がれておる。たまたまその血の本質を正確に受け継いだのがその二つの種族であっただけで、今現代に生きる我らも、いずれかの始祖の血は流れておるんじゃよ」


 ヒューマは指を立てると、シキの前でその指先に光を灯した。夜のシンハ樹海で見た、ファティナの花のような淡いその発光に瞳をまたたく。


「つまり、強大な力は手に入らないが、鍛錬次第で習得は可能じゃ。先程、回復魔法を使ったのは覚えておろう?」

「あ、」


 魔法暴発の際にヒューマがユージアを庇い、シキの魔法を直撃させてしまったヒューマの手のひらは、今は何事もなく、元の蜥蜴人族独特のごつごつとした表皮に戻っていた。


「治癒系統全般の魔法は全て光属性の魔法じゃ。儂も若い頃から鍛錬してきたおかげで、この程度じゃが光魔法も使えるようになった。適性は無くとも努力次第で使えるようになるのじゃよ。まあそれでも、本質を受け継いでおる妖精族や竜族には適わぬが、な」

「覚えるのは難しいけど、頑張れば少しは出来るようになるってことですか?」

「そうじゃ。逆に必要が無ければ覚えなくとも良い。王国を脅かす脅威があった時代はすでに過去の話じゃ。今は他国とも融和の道を築いておる」


 生きていくこと自体は、魔法が使えない人族も普通に暮らしていることから何ら難しいことはない。リヒトだって、知人のレイセルから支援はしてもらってはいるが、自らの手で薬草や野菜を育て、調理や生成を行い、日々暮らしていたのだ。

 そしてシキ自身も元々コキタリス街道の小さな村で、人族である爺様と婆様と暮らしてきた。魔法が無くとも生きてはいけることを知っていた。


 だが。


「悪い人たちから身を守る手段として、魔法は習得したいです。あともちろん、大切な人を傷付けないためにも、魔力操作は完璧にしたいです」

「うむ。シキは竜人の民だからこそ、強大な力を持ち得る種族じゃ。それに驕らず、そしてその優しい心を失わぬように鍛錬に励んで欲しい。伝えたかったことはそれが全てじゃよ」

「はい!」


 ヒューマとの話が一区切り着いた頃に、玄関口から「ただいま戻りました」というヤツヒサの声が聞こえてきた。

 シキは昼に見たはずのリヒトが恋しくなり、玄関口まで出迎えるべく廊下を小走りに駆けていった。

 友だちができたこと、お師匠さまと話したことなどを報告したい、とそわそわと廊下の先まで行くと、そこには疲れきった顔をしたリヒトと、いつものように朗らかな笑顔のヤツヒサが荷物を抱えており、その異様な雰囲気にシキはまず疑問を口にした。


「リヒトさん、どうしたの?」

「シキ……、ただいま……」




 夕食は昼に食べて、シキが美味しいと感想を伝えた魚料理が並んでいた。昼は煮付けであったが、夜は焼き魚とすまし汁だった。相変わらずヤツヒサが作る料理は美味で、シキはもりもりと料理に舌鼓を打った。


「リヒト様、疲れは取れましたか?」

「買い出し大変だったの……?」


 ヤツヒサからお礼を言いつつ汁椀を受け取り、シキの心配そうな顔に、大丈夫と返答した。

 マギユラのような人が他にも居たとは、と心労が顔に出てしまっていた。


 リヒトは自分が商売人には向いていないことを自覚はしているが、やはり改めて他者から叱責を受けると辛い。


「シキは頑張っているというのに、私は情けないよ……」

「なんじゃなんじゃ、辛気臭いのう」


 南区で立ち寄った料理屋の奥方に再会して、軟膏を売ってくれないかと交渉を受けたことや、言い値で良いと伝えた為に商売とはなんたるかをこんこんと言い募られた旨をヒューマやシキに説明した。

 ヤツヒサには帰りの乗合馬車で軽く話していたが、改めて経緯を伝えると、納得顔で頷いていた。


「リヒト様は研究者向きといいますか、ものづくりの才能や植物を育てる才能は素晴らしいと思っていますよ。ただ、あまりにも、その、無欲なので……」

「お人好しも度が過ぎると馬鹿を見るというか、リヒトは考え無しなところがあるでのう」


 ヤツヒサもヒューマも、料理屋の女将には肯定派のようだ。そして更なる追撃をくらい、ヤツヒサの美味な料理がなんだか味がしなくなってくる。


「……リヒトさんはすごい人だよ」


 シキが頬に米粒をつけたまま、リヒトにまっすぐに賛辞を向けてきた。


「作ってくれるおやつは美味しいし、薬もすごく効いたし、あとなにより優しい! 魔物も助けてくれたし、なにより僕を迎えてくれたよ!」


 ぱああ、と後光がさすかのようなまっすぐな言葉たちにリヒトは赤面していく。照れ隠しにシキの頬の米をとってあげた。


「シキ様は無敵ですね、その調子でリヒト様の味方になって差しあげてください」


 ヤツヒサがくすくすと笑う。シキはよく分かっていないようだが、リヒトはその日受けた叱責が全て溶けて無くなっていくような心地がした。


「他力本願かもしれませんが、いずれはシキが私の代わりに商売人に――、いえ、シキの未来を勝手に決めてはいけませんね」


 リヒトは話の結末を濁し、その話題を終わらせた。






 深夜。

 ヒューマ邸の灯りが全て消されてから暫くの後、邸周辺に蠢く影があった。

 黒いローブを羽織り、闇に溶けるように紛れているその連中は、昨日リヒトに話し掛けてきた旅商人風の男たちだった。


「……なあ、わざわざ薮をつつかなくても、他を当たればいいんじゃないか?」


 三人の男の内の一人が嗜めるように話しかけて来る。


「馬鹿野郎、竜人だろ? 売れば幾らになると思ってるんだ」


 弧を描くような糸目でいつもは柔和に見えている顔も、今は獲物を前に涎を滴らせている獣のそれだった。

 先頭に立つ男は邸の周囲を何度も警戒し、侵入のタイミングを図っていた。

 もう一人の男は既に弱気になっているようで、ごねるように囁く。


「ここって、蜥蜴のやつの家だろ? 噂では戦闘狂を飼ってるって――」

「こんばんは、皆様」


 三人の男とはまた別の男が闇の中から突如としてあらわれた。足音の一つもせず、気配は微塵もしなかった。

 普段の長着とは違う黒い装束を纏った男は、いつものような穏やかな笑みを浮かべて三人の男たちへと告げる。


「あと一歩進めば主の敷地のため、あなた方を不法侵入で騎士団もしくは自警団に突き出します。……良かったですねぇ」


 醸し出す雰囲気とは裏腹に、投げられる言葉は始終穏やかだ。それが一層不穏な空気を生み出している。姿の輪郭は少しばかり闇に浮かぶが、話しかけて来るその男の顔は闇にまみれて見ることが出来ない。


「だ、だれだ、お前は……!」


 先頭に居た男が懐からナイフを取り出すが、既に遅かったようだ。


「現役時代の私でしたら、あなた方が領都に入ってきた時点で息の根を止めておりましたよ、良かったですねぇ、引退した後の出会いで」


 手刀で男が取り出していたナイフは遥か彼方へと吹き飛ばされた。動く素振りも見せなかった闇の中の男は、ため息混じりに続ける。


「片付けが面倒ですので、どうかこのままお帰り頂けませんか? 既にあなた方は二桁ほどは死んでいてもおかしくは無いのですよ?」

「……くっ、」


 ばたばたと、三人の商人風の男たちは、闇夜の中を逃げ帰って行った。青ざめた顔とガチガチと鳴らした歯、うるさい足音に男はため息をついて告げた。


「……ヒューマ様、逃がして本当に良かったのですか?」

「あやつらに実力などありはせん。大元の黒幕からいずれトカゲの尻尾切りを受けておったはずじゃ。ヤツヒサもよくぞここまで耐えておったな、すぐに手を出すかと思ったわい」


 邸から灯りを持って現れたヒューマに、黒装束に身を包んだヤツヒサが頭巾を取り去る。男たちが逃げて行った方向を眺めながら返事をした。


「引退した身ですからね、無闇な殺生はしませんよ。何より後片付けに骨が折れます」

「本音は後半じゃろうて。まぁ良い、リヒトやシキにたかる蝿が煩わしかったところじゃ、灸を据えられて良かったわい」

「自警団の皆様や騎士団の皆様もこれで一先ずは安心でございますね……と、こんな時間にいらっしゃいませ」


 ざくざくと砂利道を進んできたのは思わぬ来客だったが、ヤツヒサはとっくに気づいていたようだった。

 銀髪を夜風に流して、ランプを持ったその人は苛立った顔立ちのままやって来た。


「レイセル、どうしたのじゃ、こんな夜分に」

「これ、おっさんに扱いは任せる。領主にでもなんでも、とりあえずお偉いさんに突きつけろ」


 どさりと布袋をヒューマに手渡すと、用は済んだとばかりにレイセルは踵を返そうとした。


「これ、待たんかい。いつまで拗ねておるんじゃ?」

「誰が――!」

「稽古に通う子どもたちの方がよっぽど素直じゃて。シキに妬かずとも、お主がリヒトの一番の友なのは変わらんぞ」


 ふぉふぉふぉ、と朗らかに笑うヒューマをレイセルは睨みつける。これが昼間であったならば、彼の耳が染まっていることに気づけて指摘できただろうに。

 蛇をおびき寄せる真似は辞めておこう、とヒューマは去り行くレイセルに声を掛けた。


「お主も暫くは手隙になるじゃろう。昼餉でも夕餉でもどちらでも食べに寄りなさい」


 聞こえているのかいないのか、レイセルはそのままヒューマ邸を後にした。ヤツヒサがふふ、と微笑みながらヒューマへと声を掛ける。


「アレは、嫉妬だったのですね。かわいい方です」

「これ、お主まで揶揄うんじゃない。人の世で一五〇年も付き合いがあれば色々とあるんじゃよ」


 ヒューマはやれやれと首を振る。


「私よりも三倍以上も長く生きていらっしゃる御二方ですが、私よりも幼くていらっしゃるので、時々感覚がおかしくなります」

「人族と比べると長寿なだけであって、儂からするとまだ子どもよ、あやつらも」

「ヒューマ様と比べると皆が子どもになります」

「そうじゃったのう」


 かかか、と愉快そうにヒューマは笑う。今日は分厚い雲に覆われており、刺すような冷たさの夜だ。切り上げて邸内に入ろうとする二人に、空からちらちらと今年初めての雪が舞い降りてきた。

 ユーハイトは本格的な寒期を迎えた。

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