第12話 師匠、ヒューマ

 その男は苛立ちをあらわに、家の呼び鈴を見つめていた。庭への来訪者が現れると、チリンと鳴らしてくれる優れものだった。

 しかし、昨日からその呼び鈴は揺れ動くこともなく、静かに壁に吊るされている。

 男はその事実に何度も舌打ちをしていた。領都への来訪は昨日だったはずだ、初日は仕方ないにしても、二日目の既に昼を過ぎた時刻だ。


「なぜ来ない……?」


 思い浮かぶのは締りのない顔だ。ふわふわした喋り方は未だに健在なのだろう。脳内で件の人物がほやほやと喋る映像が再生される。


『ユーハイトといえば漁港だから久しぶりに魚が食べたくてね〜、そしてその後はお師匠殿のところに行く予定だったんだ』

「なぜ来ない!?」


 脳内でのほほんと喋る妄想の男に更に憤る。


『だって君、いつも行く度に「なんで来た!?って怒るだろ? それなのになんで来ないかと怒られても……』

「それでも生活支えてやってる恩人ならいの一番に会いに来いよ……」


 呟きは部屋の中に霧散する。男はその事実にまた舌打ちするのだった。

 やはり呼び鈴は鳴らずに、壁に吊るされているだけだ。






 ユーハイトに来て二日目の昼。少し早めの昼餉に南区で魚の定食を食べたリヒトとシキは満たされたお腹を触りながら、中央区へと戻ってきていた。


「師匠殿のお宅は中央区でも少し北寄りにあるんだ、少し歩きながら行こうか」


 シキはユーハイトの街の石畳の模様や、河川沿いの橋の欄干、街灯のデザインにも目を輝かせ、見るもの全てが珍しいというのが伝わってくる。小さな子どもが目をキラキラさせながら歩いているので、すれ違うご婦人方から「まぁかわいい」と数回ほど声を掛けてもらっていた。

 その度にびくりとしたシキが恥ずかしそうにリヒトの陰に隠れるので、見た目も相まってより幼く見えていた。


「そういえば街道沿い以外の村には行ったことがなかったのかい?」


 リヒトはふと、シキが預けられた祖父母宅以外の暮らしをそこまで深くは聞いていなかったことを思い出した。

 シキはうーんと考える仕草をして、くるりとリヒトの方を振り返る。


「祖父母の家に、赤子だった僕を連れてきたのは母だった、という話、覚えてますか? 行方を探すために一度だけ祖父と王都には行ったことがあります、でも僕はまだ小さかったので……」


 覚えてないです。と、シキの眉が下がった。リヒトはシキの髪の毛をくしゃりと撫でた。そんな顔をさせるために話題に出したのでは無い。


「王都は……そうだね、またこうして一緒に行ってみようか。王都は領主城とは比べ物にならないほど大きな王城があるし、城下もとても賑わっていて、街並みも綺麗だよ」


 シキの顔が上がり、リヒトを見つめた。頼りない眼差しが、どんどん期待のこもった眼差しになるのを、にこりと微笑み返して見つめる。


「あと、アレスティア王国はどうしても人族が主だった種族だから、ロワナ山脈を越えて亜人の多い北側の国に行くのもいいね。かなりの長旅になりそうだけど」


 シンハ樹海の北側に聳えるロワナ山脈は標高のある山脈だが、ずっと西側に回れば国境壁が築かれている部分に辿り着く。山脈は自然の国境壁となっており、その向こうにあるランダイン帝国とは山脈を境に不可侵の条約を結んでいた。国を出るならば山脈が終わる西側を経由すればいいのだが、シンハ樹海一帯からはかなりの距離がある。


「ユーハイトにいる内に地図が見られるといいな。シキは世界地図は見たことある?」


 シキはふるふると首を振った。


「爺様からはこの国の成り立ちと亜人種差別があったことを軽く教わったくらいです」

「そうか、ならまた明日以降に図書館にでも行って世界情勢とかそのあたりを教えておこうね。――と、着いた着いた。ここだよ」


 中央区の整備された通りから何本か細い道に入り、北区に差し掛かるあたり。住宅地が連なる小道沿いに、木々がトンネルを作る道があった。

 丁寧に手入れをされた砂利道がトンネルの奥へと続き、その奥には庭が広がっているようである。周囲はリヒトの背を超える生垣で覆われており、他の家々と比べると異国にでも紛れ込んだような光景だ。


「わぁ……」


 白い砂利が丁寧に敷き詰められ、岩が所々に点在している。背の高い細い筒のような植物の葉がそよそよと揺れ、岩で囲われたこじんまりとした池の水面が風で凪いでいる。

 その砂利と岩で整えられた広い庭を包むように大きな家屋が建っていた。家の造りがこれまでユーハイトで見てきたものとはまったく違い、シキは開いた口をそのままにただ眺めていた。

 庭を拝める場所に板張りの通路があり、通路の向こうは部屋があるのだろう、格子状の木材に白い紙が張り巡らされているのか、変わった戸が何枚も板張りの通路に沿って並んでいる。

 その板張りの通路、午後の日差しが柔らかく降り注ぐ場所に腰掛ける者がいた。


「ヒューマ殿、ご無沙汰しております」

「おお、リヒト。お前は変わりないな」


 茶色いごつごつとした皮膚、鋭利な歯の並ぶ大きな口。

 蜥蜴人族であるヒューマは濃灰色の長着に羽織を合わせ、腰元を緩く帯で締めた出で立ちをしている。

 大きな口から渋みのある声で流暢な大陸語が紡がれる様に惚けていたシキは、リヒトにとんと背中を押されて前に一歩進んだ。


「おお、そなたが竜人族の。なに、驚くのは仕方なかろう。蜥蜴人族は初めてじゃろ?」

「は、はじめまして。シキといいます」

「うむうむ、リヒトから聞いておるぞ。よくやってきた、儂はヒューマという。この都で道場を開いて体術を教えたり、対話師として異種族の会話を取り持ったりしておる」


 すすす、とヒューマに近づいたシキは、ヒューマがすっと三本指の右手を差し出したので、つられてシキも右手を差し出しその手を握った。


「そなた、歳は十と言っとったかな?」

「はい」

「そうかそうか、見た目がこんなにも愛らしいのは魔力が燻っておるからじゃな。そなたの成長を膨大な魔力が阻害しておる」

「……えっ!?」


 ぎゅっとシキの手を握ったまま話すヒューマは、ぽう、と白い光で体を淡く発光させると、手を繋いでいるシキもその光で包まれて行った。


「まずはお主の中の魔力を巡らせることからじゃな」

「わ、わわわ」


 シキの体は淡く発光している。ヒューマと手を繋いだままの格好で、不思議そうに手や足や胴体を見つめ、そしてまたヒューマを見上げた。


「今は強制的に儂の魔力を流したが、常に自分で自身の体内を魔力が流れているイメージをすることじゃな。指先から肘へ、肘から肩へ、肩から鳩尾へ、鳩尾から足の付け根へ、付け根から膝へ、膝から足先へ。そしてまた逆に上へと。体の隅々まで行き渡らせてみよ」

「は、はい」


 暫くしてヒューマはシキの手を離した。発光は消えてしまったが、シキは目を瞑り、その内に溢れる魔力とやらと向き合っているのだろう。

 静かにシキを眺めて思案しているヒューマにリヒトが訊ねた。


「ヒューマ殿、シキの見た目が幼いのは魔力のせいなんですか……?」

「そうじゃろうな。もともと竜人の民が長寿であったとしても、もう少し大きくなっていてもおかしくはなかろう。ただ――」


 ヒューマは体内の魔力を感じ取りながら体中に巡らせているシキを見ながら続ける。


「魔力について学ばないままであったら、魔力暴走をおこし兼ねん、危険な状態ではあった。本当によく来てくれた」

「ヒューマ殿……。助かります、私が魔法に疎いばかりに……」


 リヒトは魔法については全く未知の領域だった。己の中に微々たりとも魔力が無いのだ。わかりようもなかった。


「気にする事はない。儂もまさか生きとる間に竜人の民と会えるとは思わなんだ。長生きはしてみるものじゃの」


 優しい声音で囁くヒューマは、肩を落としていたリヒトに、目を細めて笑いかけた。

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