ベネトナシュ

煩いセミの声がいよいよ真夏になってしまった事に現実味を帯びさせる。

どうしよう。本当に時間も日付も決めずに夏休みを迎えてしまった。

僕はあの日のことを思い出しながら思考を巡らせる。


『夏休みに入って学校で会える日なんかどうだ?』

『会ってくれるだろう?私のストーカー。』


「私の、か……」


声に漏らせば恥ずかしさがじわじわと襲う。

星奈ちゃんはこういうことを簡単に言うから気が抜けない。

愛してる、とか。私の、とか。

僕が告げたい言葉をスラスラと言葉にするからずるい。

いや、ずるくはないか……。

僕が弱虫で情けないから言えないだけだし……。

はあ、と声を漏らし何となくベットから立ち上がる。

なんだか会いたいな。会えるかもな。なんて考えて僕は制服に袖を通す。

無理なら適当に勉強して帰るか……。

そうして僕は、扉のそばに置いてあった鞄を拾い上げ、部屋を出た。

――――――――。

――――――。

―――。


これだけ晴れてれば綺麗な星空を見せてあげれそうだな、なんて。

叶うかさえ分からない期待に胸を躍らせてみる。

そんな無駄な時間さえ彼女が絡めば無駄じゃなくなるのだから、やっぱり星奈ちゃんは凄いよな。なんて考えてしまう。

こんなに恥ずかしい事を平然と思えてしまうのは、夏の暑さのせいだと言い張ってやるつもりだ。

色々なことに思考を巡らせながら下駄箱で靴を履き替える。

汗でじっとり貼りつき少しうざったい服をパタパタとし、中に風を送り込みながら歩みを進めてみる。

やっぱり、図書室かなぁー。


「あ……た、ねえ、」


その声は保健室の前に差し掛かった時に不意に聞こえた。

いつもなら何も気にしない先生の声に今日は何故だか心臓が大きく跳ねた。

思わず立ち止まり聞き耳を立ててしまう。


「毎日毎日。一体どうしてこんなに怪我をする事ができるの?進藤さん」


その聞き覚えのありすぎる名前に僕は鈍器で殴られたかの様な衝撃が走る。

あれほど好きだとストーカーまでしておいて、怪我のことなど僕は何も知らなかった。


「あなた、家にも帰ってないんでしょう?」

「こ、こけちゃうんです。私。運動音痴で鈍臭くって……。い、家は鍵が閉まってて入れないんです……。」


はは、なんて乾いた笑いを漏らす彼女。

いつもとは違うか細い力の弱い声に胸が痛む。


「……就職考えているならもう少し態度を改めた方がいいわよ。頭だけよくってヘラヘラ鈍臭いようじゃあなたに需要なんてないわ。」


感情の読めない冷たい淡々とした声。

指先に力が籠る。掌に刺さる尖った感触に何とか理性を保ち短く息を吐く。

これ以上言わせてたまる物かと扉に手を伸ばせば、それは開くと言う形で視界から消えた。


「あ、駆。変な所を見られてしまったな。」


ふふ、と恥ずかしそうに笑う姿に少し苛立ってしまう。

星奈ちゃんは悪くないのに。

でも、だって。あれだけ言われて、どうして笑っていられるの?

落ち着くんだ僕。ここで怒って仕舞えば彼女を傷つけるだけだろう。

なら、一体自分に何ができる?

取り敢えず話を聞こうと考え彼女の腕を掴み引いて歩く。

人気のない静かな所……。

足りない頭で必死に考え浮かんだのはそこだった。

蝉の声と無機質な足音だけが廊下に響く。

僕と彼女の間にかつてこんなに気まずい空気が流れたことはあっただろうか。

そんな沈黙を切り裂くように星奈ちゃんは口を開く。


「こ、これは本当に何でもないんだ……。」


聞いてもないことを人間が口走るのは嘘を吐く時だ。

しかも、何でもないなんて言う始末。

頭の良い人でも墓穴って掘るんだなぁ、何てボーッと考えてしまう。

図書室に入りカチャンと鍵を閉める。


「その傷は何?僕には本当のこと話して。」

「いや、だから、こr……」

「それなし!」


いつもの表情で僕まで欺こうとする彼女に思わず声を荒げてしまう。

その声に驚いた様に肩を大きく揺らし、次第に瞳に雫を溜め始める。

一杯一杯だったんだな、と彼女が口を開くのを少し待つ。


「お、親にやられた……。」

「私が笑うと腹が立つって……。」


声にも水分が孕む。

僕はただ黙って彼女の目を見つめ続けた。


「私は必要ないのか?賢くなれば、愛され方も幸せになりかたも分かると思ってた。」


『わたしな!賢くなってママに世界一あいされたいんだ!』


セピア色の小さな少女が重なる。


「でも、分かったのは分からないことばかりだと言うことだけだ。」


蹲り頭を抱える彼女に今度こそと手を伸ばし頭に手を添え優しく撫でつける。


「星奈ちゃんは孤独なんだね。いいよ、泣いて。」

「その話で今、確証が着いたよ。君は……」


せーちゃんだね?

と、懐かしい名を呼び涙を拭えば彼女は真直ぐに僕を見つめた。


「君は知らないかも知れないけど、君が僕にこんなに世界は輝いている事を教えてくれたんだ。」

「それは、紛れもない進藤 星奈。君がこの世に生まれてきてくれたからなんだ。」

「君は出会ってから今まで、これからだって僕のスピカなんだよ。」


こんなに恥ずかしい事を恥ずかしげもなく目を見つめて語る。

一世一代の一生を賭けた台詞に彼女は


「遅いんだよ、ばか。」


と泣き笑った。

それだけ’で‘良かった。それだけ‘が’心地良かった。

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