アネモネ

はらりはらり、と葉が舞いピンクだった木は気がつけば緑色に色付いていた。

季節はもう出会った四月から幾分か過ぎ、六月になっていた。

静かな部屋に風の音だけが響く。

こんなに静かな時間が訪れるようになってから、一月が過ぎた。

慣れてしまった自分に少し呆れて嗤ってしまう。

あんなに。

楽しくて、賑やかで、幸福で、満たされて、輝かしくて、生きていることが嬉しくて。

失うことが怖かったはずなのに。

これだけ考えたって一滴も涙が出ない。

僕の心はもう彼女に会えなくなった事で、冷え切って死んでしまった事を悟った。

ガラリ、と音が響き条件反射でぱっと扉を凝視する。

そこには静かに佇む母の姿が視界に映った。


「母さん……」


僕が静かに呟けばゆっくりと側によってくる

母は眉を下げ哀しげに微笑う。


「朔、最近笑わなくなったね」

「そんな事ないよ母さん。昨日だってテレビ観ながらお腹が痛くなる程笑ったんだ」


僕が視線を上げ笑いかけると母さんは更に顔をしかめた。

どうしてそんな顔をするの?

僕はこんなに笑顔なのに。

そこまで考えて自分の頬に伝う温かいものに気付いた。

違う。悲しく。何て。ないのに。


‘言い聞かせてるみたいだな‘


僕の中の何かがそう告げる。


言い聞かせる?どうして?


”悲しくないって思ってないと辛いからだろ?“


僕はもう涙なんて出ないんだ。冷たい人間だから


”違う。お前は冷たいから泣かないんじゃないんだ。“

”それはお前が弱くてズルイ人間だから、辛い、という感情に蓋をしただけだ“


違う。違う。違う。


”お前はずっと弱くて冷たくて狡猾な人間だ“


何かの言葉に耳を貸さない、聞かない、やめてくれ、と願えば願うほど声はどんどん僕の側に、中に入ってくる。


会いたい、声が聞きたい、あのキラキラとした笑顔のそばにいたい。

認めてしまえばポロポロと色んな感情が滴となって瞳を通り過ぎる。


「朔どうしたの?」


母の声に呼び戻される感覚を覚える。

考え込んでしまっていた思考を止め、母さんを見上げる。

不安と心配の入り混じったその表情に僕は出来るだけ優しく笑い掛ける。


「大丈夫。もう本当に心配要らないよ、母さん」


そう伝えた僕の頭を胸元に押し付け後頭部を撫でる母。

’懐かしい‘香りが鼻腔を満たす。

なつ……かしい?どうしてそう感じるんだ?

ツキン、ツキン……ズキン。

柔らかい痛みが頭を包む。その中に一際強い痛みを感じる。

あ、これは良くない痛みだ。僕はこの痛みを知っている。


「大丈夫だけどまだ少し辛いから横になるね。」


僕が笑いかければ母も優しく微笑う。

そんな母さんを尻目に僕は布団に潜った。

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