ウヘヒッパエの赤いげっ歯類
「ルロウさまって聞いたことない? ルロウおろしの儀式ってのが。雑誌とかでもたまにあるんだけど」
わたしはその雑誌がどういう雑誌か想像もつかないとは言わず「知らない」とこたえた。
「『ルロウ』……『ウヘヒッパエの赤い
友人Sはまるであらかじめ用意してあったかのように説明しだした。
その説明はだいたい次のようになる。
* * *
ルロウが過去に現れた例はキングスポートとロンドラとツァイタマーで起きた事件として知られている。
ルロウが現れるといっても手品師が出すハトとは違う。この宇宙に物理的な生物が現れるわけではない。
ルロウは情報思念体だ。
この世に現れるときは何かの思念としてだけ、現れる。
ルロウはある種の「鍵」がこちらの宇宙で起こったときにのみこちらの宇宙に来ることがある。
「鍵」は偶然起こることがある。
それが起きて出てきたルロウの情報の一部はたいていすぐに消滅してしまう。
しかし思念にぶつかって影響をおよぼすことがある。
それがツァイタマーで道を歩いていたメアリー・ゴードンが発狂した原因になった。
あわれなメアリーは別の宇宙のイメージと別の宇宙の扉を知った。
彼女は「赤いネズミが空に、横に伸びる黒い線をかじっている、たくさんいる……赤い、すごい大量の赤いネズミが一つながりになって黒い線をかじりながら……黒い線は扉だわ! 赤いやつらはそれをかじって広げて開けようとしている」
これだけならなんともないのだが、ツァイタマーと同時にロンドラの全く別の人間にも同じイメージが幻視されていたことからメアリーの見ているものがテキトーな想像力を超えたものだといえそうだった。
ロンドラのエルベリオン・ウヘヒッパエ一世が記した日記の一部がそれだ。
「そのとき三時間の記憶がない、ふと気が付いたら北の空に横に伸びる黒い線が一瞬見えていたと思った。
(中略)
赤いネズミは爆発的に増えてついに彼らの宇宙の限界を超えたためついにあふれてこちらにまで押し寄せたのだ――私は自分が三時間の間に紙に殴り書きした『私の記憶にはない落書き』を見てそれを知った。ネズミが好んで寄って来る鍵、あるいはチーズなのかもしれない、そこに書かれた言葉のうち最後のものはチーズだ、断じて声に出してはならない、声に出したら血まみれのネズミの大群を呼び寄せるだろう扉を開き――」
キングスポートでは、全く正気だと噂の農家のサゴットが赤いネズミに指をかじられた事件があった。サゴットは正気さにかけては右に出るもののいない正気さ加減で正気であることが唯一の自慢で誇りであるほどの人物だったので、彼が指をかじられたふりをしているなどということはありえなかった。サゴットの指はそこにあるし脳にも全く異常がないにもかかわらず、サゴットは右手の小指が突如全く使い物にならなくなり、彼は赤い齧歯類に襲われてかじられたとだけ言った。ゆびに関連する思念が齧りとられたとも言った。
これらはツァイタマーとロンドラとキングスポートで全く同じ日に起きた出来事の記録だ。
「鍵」がその日に起こったのは間違いない。
だが、何が鍵だったのかは、特定しようと挑戦するものの中では、誰にもわからなかった。
* * *
「だけどあたしは特定したの。資料の文書のいくつかに、共通する「鍵の言葉」が入っていて……ある音声がそれなの。それが雑誌とかとも一致するところがあって……」
友人Sはおもむろにカバンから紙を取り出した。
わたしはとりあえず否定的な意見を言わないほうがいいと思った。わたしは彼女がどんな変な人でも、彼女との友情がなにより重要だとも思っていた。
友人Sは友達のいないわたしに普通の友達のように接してくれていた唯一の、そう、友達だった。
「へぇー……見てもいいの?」
「どうぞどうぞ」
カタカナの異常に読みにくい何かが書かれている。
「ユール ケン シアシク…… ワッツ=ア……?」
意味はわからない。
「なに? これが呪文なの?」
「そう。召喚の呪文」
友人Sは召喚の儀式の説明を始めた。
* * *
わたしがそのハムスターを刺したのは確かだ。認めよう。
わたしが、隣近所に響くような大声で「ユールケン! シアショック! ンワッツ=アッシガ! トイアマコー=イッチ=ダール! ショックン! コノクニ! ハサイ=アクダ!」
そのようなことを朗々と読み上げていたのも確かだ。大勢が聞いているし認めるしかない。
それから彼女の指の一部をマチ針でつついて傷つけたのも確かだ。
* * *
友人Sは泣きじゃくった。
「あの子が……ほんとうに召喚の魔法をするんだとか言いだして、あたしはそんな……でも普通のただの遊びだと思ってたんだけど……急に変なこと叫んで……丸ハムを、丸ハムってのはハムスターのなまえなんだけど思いっきり包丁で刺して……本当に刺すなんて思ってなかった……! それからあたしの手をつかんで『血がもっといる』って……(えぐっえぐっ)」
* * *
わたしがハムスターを刺したのは本当だ。ただし、ハムスターの死体の尻尾を。
わたしが「血がもっといる」と言った、というのは友人Sの巧妙な罠だ。
まず友人Sが「血がもっと要る!」と言い、わたしは「血がもっといる……?」と言ったのだ。
友人Sは「私の指を刺して!」と言った。
わたしは友人Sにさそわれてやった。もちろんそううったえたが、友達がいなくていつもオカルトの本を読んでばかりいたわたしは「ついにやったか」とだけ思われた。オカルトの研究を巧妙に隠していた友人Sは、巻き添えになっただけのまったくの被害者だということになった。
だがわたしは、友人Sがわたしを破滅させるためだけにこんなことをしたのではなく、本当にルロウ――ウヘヒッパエの赤い齧歯類を期待していたのかもという考えをふりはらえずにいた。
友人Sは、ルロウ実験に成功すればよし、失敗ならわたしにすべての責任がいく、そういうつもりだったのかもしれない。
[了]
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