第468話
でも、響希さんはとことん前向き。
「絶対楽しいよ、麗奈ちゃん! ライブに、イベントに、文化祭でしょ? 衣装も新しいの作ってもらったりして……」
「コスプレがなかったら、もっと素直になれるのよ? 私も」
「そんなこと言って、ほんとは楽しみなくせにー」
ほかのメンバーも秋からの活動に概ね同意したみたいね。
私も……コスプレはもう観念したわ。イベントの当日は死のう……。
「当然、音楽のほうでも頑張ってもらうわよ」
「はいっ!」
井上さんとのお話を済ませて、私たちは社長室を出る。
その矢先、井上さんが私だけ呼び止めた。
「栞は待って。少しだけ」
「……?」
みんなを先に行かせつつ、私は社長のほうへ向きなおる。
「なんでしょうか」
「あなたにはベースのほかに、作曲やら進行管理やら、色々と任せちゃってるから。雲雀が大雑把な分、皺寄せはあなたに来てるでしょうし」
井上さんは左のてのひらに右の指を二本添えると、含み笑いを浮かべた。
「少ないけど、報酬は弾んでおくわ」
「いえ、そんな……私だけもらうわけには」
「いいのよ。こういうものは素直に受け取っておきなさい」
こっちは戸惑うものの、ギャラの上乗せを確約される。
それだけ雲雀Pの素行に問題が……じゃなくって、井上社長は私を認め、期待してくれてるということ。でも私にとって、それは過大評価にしか思えないのよ。
ANGEを牽引してるのは響希さんや律夏さんであって、大羽栞はせいぜい脇を固める程度のベース担当、なのだから。
「また素敵な曲を期待してるわよ。栞」
その一方で私は、自分が作曲家として尊重されていることに、安堵もしてる。
「あ、ありがとうございます。では、今日はこれで……失礼します」
「ええ。頑張ってちょうだい」
メンバーに後ろめたくも思いながら、今度こそ私は社長室を出た。エレベーターの前で響希さんたちと合流し、適当にはぐらかす。
「井上さん、なんて?」
「雲雀さんが無理難題を押しつけてるんじゃないか、と」
「あのひとは、もう……本当に大丈夫なのかしら」
エレベーターで降りながら、響希さんはケータイでスケジュールを確かめた。
「えぇと、環ちゃんたちのオーディションは明後日だから――あっ、どうしよう? 詠ちゃんの約束と被っちゃったよ?」
妹の詠もANGEとはすっかり友達感覚だわ。
「キャンセルで構いませんよ、そっちは」
「冷たいお姉ちゃんだね。カラオケで代理に使ったりするくせに~」
「それとこれとは話が別ですので」
妹のことならダブルスタンダードも辞さない、それが姉の特権よ。
そもそも今回は詠の思惑が読めなかった。朝っぱらからアキバへ来てくれ、とだけ言われても……ね。何があるのかは一切、話そうとしないし。
環ちゃんは無念そうにしょげる。
「私も速見坂先輩とご一緒したかったんですけど」
そんな可愛い後輩のため、律夏さんが助け舟を出した。
「オーディションは午前中だけでしょ? お昼から合流しちゃいなよ、栞チャンも」
「秋葉原ですか……。でしたら私も、買出しのついでにお付き合いします」
明後日は午後から街へ繰り出すことに。
響希さんが無邪気にはしゃぐ。
「じゃあ、あれ行こうよ、あれ! メイド喫茶」
「……え? 執事喫茶じゃなくて?」
そう呟く麗奈さんを、私たちは生温かい視線で取り囲んだ。
「麗奈、もしかして……ホントはそーいうのに興味津々なんじゃ……」
ギタリストの顔が真っ赤に染まる。
「ちちっ、違うったら! メイド喫茶は男の子が行くものだから、女の子は……って、ほら? なっ、何もおかしくないでしょ?」
「執事喫茶そのものはご存知だったんですね」
おっと、私まで突っ込んでしまった。
環さんはフォローに奮闘するも、苦しい。
「は、速見坂先輩は男の子目当てで言ったんじゃないわよ! ちょ……ちょっと、執事の制服が気になったとか、そう、知的好奇心に駆られて……」
「あの……篠宮さん?」
「環チャンはどっちの味方なの?」
夏休みはまだ半分以上が残ってる。ますます賑やかになりそうね。
「それはそうと、響希さん。宿題は進んでますか?」
「こ、怖いこと言わないでよー? 栞チャン」
最後の週あたりで修羅場が来るのは、確定した。
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