第454話

 栞ちゃんはやっと顔をあげ、台詞の主が環ちゃんという事実に目を見開いた。

「す、すごい……素人の耳でもわかりますよ、このクオリティは」

 スタッフさんはヘッドフォンを押さえ、真剣に聴き入ってる。

「6番の台詞、もう一回。別のパターンで行けるかな」

『あ、はい。大丈夫です』

 アドリブも交え、台詞によってはいくつものパターンを収録してた。

 これにはプロデューサーの雲雀さんも舌を巻く。

「面白いボーカルとは思ってたが……月島の眼力も侮れないな」

「ふふっ、でしょう?」

 月島さんは得意満面にやにさがり、眼鏡をきらっと光らせた。

 やがて環ちゃんの収録もつつがなく終わる。

「ありがとうございましたー」

「お疲れ様。井上さんによろしくね」

 ラストの環ちゃんが頑張ってくれたおかげで、後味もよかった。わたしたちは各々の失敗を封印しつつ、年下のMVPを囲む。

「上手だったよ、環ちゃん! ほんとに声優さんみたいで」

「あ、当たり前でしょ? 演劇部だし……」

 環ちゃんは顔を赤らめ、そっぽを向いちゃった。

 麗奈ちゃんもべた褒め。

「井上さんが声優として迎え入れるわけだわ。演技派は律夏だけじゃないのね」

「いやいや、環ちゃんのほうが上だよ。歌にしても、あたしは『普通のやつが訓練した』程度のレベルが限界だからさ」

「ううん、律夏ちゃんもすごかったよ。わたしたちなんて……」

 一方で、わたしや栞ちゃんは無力感に打ちひしがれるのであります。

 それでも立ちあがる栞ちゃん、強くなった。 

「ボイス収録なんて懲り懲りですよ。……そういえば、月島さんは環さんの実力を、前々から知ってたような口ぶりでしたが?」

「はい。環さんは――」

「あっ? 待って、月島さん! それ以上は」

 環ちゃんが慌てて制止するも、月島さんはしれっと暴露する。

「動画で吹き替えをやってて、そこそこ人気があるんですよ。それを見て『これは!』と思ったんです」

 えっと……動画の吹き替えって、どんなだろ?

「映像が著作権を侵害してるのは、とりあえず目を瞑りますけど」

「ぎくっ」

 栞ちゃんは珍しく瞳を輝かせると、環ちゃんの手を取った。

「ソロで同人的な活動をしてる同志が、こんなに近くにいたんですね……!」

「あ、あのぉ……栞先輩?」

 思いもよらないところで、栞ちゃんと環ちゃんの類似性が露になる。

 つまり月島さんは環ちゃんの活動を見て、井上社長に進言したんだね。ボーカルとしても声優としても有力な大型新人だってこと。

 雲雀さんが眉を顰める。

「しっかしまあ、天城と速見坂はちょいと練習が必要だな。歌のパートを担当することもあるんだ。発声くらいはできるようにならねぇと」

「ハイ……」

 わたしと麗奈ちゃんはぐうの音も出ず、一緒に頭を垂れた。

「大羽は別にいいぞ? 今日ので諦めた」

「ありがとうございます」

 栞ちゃんのことがちょっぴり羨ましい。

「声優方面の弾みにできるといいね。環ちゃん」

「あんまり実感はないけど……」

 環ちゃんは肩の荷が降りたように、胸を撫でおろす。

 午後の三時を過ぎても、夏の陽はまだまだ中天にあった。エレベーターで街並みを見下ろしつつ降下し、駐車場へ。

「さーてと。お仕事も終わったことだし……響希チャン、いこっか」

「そうだね」

 わたしは律夏ちゃんと意気投合して、ハイタッチを交わす。

「夏祭り~っ!」

 今夜は毎年恒例のお祭りが催されるの。近所の神社でね。

「人込みは苦手なんですけど、お付き合いしますよ。詠も来ると思います」

「こっちはこのまま響希チャン家へ直行だね」

 みんなで相談してると、雲雀さんに急かされちゃった。

「話はあとにして、早く乗れー」

 帰ったら、お祭りの準備をしないとね。


                  ☆


 VCプロの社長室にて。

 研修中の聡子は緊張しつつ、井上社長がミュージック・フェスタの所見を読み終えるのを待っていた。その傍らで、上司の巽雲雀が気怠そうに欠伸を噛む。

「ふあぁ……社長、とっとと片付けて、飯に行きません?」

 社長の前だというのに信じられなかった。

「シャキっとしてください、巽先輩」

「大丈夫だっての、月島。うちの社長はこのへん、わかってっから」

 しかし後輩に諭されようと、傍若無人な音楽プロデューサーは態度を改めない。

 パソコンのモニター越しに井上社長が嘆息する。

「雲雀に関しては諦めてるのよ。聡子、あなたも諦めることね」

「はあ……」

 社会には色んなひとがいるものね――と、聡子は思わずにいられなかった。

 大学時代の同僚(館林綾乃)も酷かったが、巽雲雀の奇行はさらに上を行く。先月も真夜中のスタジオへ酒を持ち込んだうえ、大音量で演奏していたのだから。

 それでも恋人の霧崎タクトに比べれば、まだ可愛かった。

「聡子。お前、彼氏の手伝いはいいのか? 今年もコミケでなんかやるんだろ」

「絶っ対に行きません。二度と付き合いませんよ、あんな修羅場」

 ソファーの上で聡子はがっくりとうなだれる。

 自分の交際相手は絶世の美形にして大人気アイドルの、霧崎タクト。ただし今や周知の通り、筋金入りのオタクで、非常識かつ桁外れの行動力には呆れるほかない。

 しかし多様な才能に恵まれているのは事実で、イラストから作曲まで、オタクジャンルにおいて大抵のことはそつなくこなせた。今年のコミケでは某ゲームの同人サントラを発売すると意気込んでいる。

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