第453話
わたしも、麗奈ちゃんも、有栖川さんの言葉の意味を理解できなかった。
「どうして私がピアノを弾くと思ったのかしら……」
「そ、そうだよね。わたしに言ったようには聞こえなかったし」
今しがた有栖川さんは、天城響希じゃなくて、速見坂麗奈に言ったの。
『あなたはきっと成功すると思うわ。ピアニストさん』
律夏ちゃんは首筋を按摩しつつ、SPIRALの一行を見送る。
「インネンつけたみたいになったから、フォローしたんじゃない? 応援してくれたわけだし、気にすることないよ、麗奈」
「トップアイドルに一目で才能を見抜かれたと思えば、いいんです」
「栞先輩、その強気はどこから……」
突っ込もうとしたのに、環ちゃんに先を越されちゃったよ。
麗奈ちゃんは釈然としない表情を浮かべながらも、わたしたちとともに歩き出す。
「目的を忘れてんなよ、お前ら。今日はアイドル見物に来たんじゃないだろ」
「は~い」
第3スタジオでは、すでにスタッフさんが着々と準備を進めてた。
部屋の一部が仕切られてて、収録用のスペースになってる。役者はあの中に入って、ボイスを録るんだね。
「収録って、ひとりずつ?」
「おう。順番はお前らで適当に決めていいぞ」
ANGEのメンバーは輪になり、うち過半数が息を飲んだ。
「えっと……じゃあ、誰からにする?」
早くも栞ちゃんが青ざめる。
「わ、私はその、できれば後ろのほうで……先陣を切る度胸はありませんので」
それに便乗する形で、環ちゃんも。
「わたしも収録なんて初めてだもん。響希が先にやりなさいよ、リーダーなんだし」
「ええ? リーダーって、今は関係ないような……」
わたしはふたりほど抵抗はないものの、一番手はちょっと……ね。
代わって、一番手には律夏ちゃんが名乗りをあげる。
「まっ、あたしから録るのが妥当でしょ」
「本命は篠宮さんだから、先に律夏がお手本を見せるほうがいいものね」
麗奈ちゃんの意見も参考にして、間もなく順番が決まった。
経験者の律夏ちゃんが先鋒を務め、次鋒は麗奈ちゃん。わたしは中堅で、栞ちゃんが副将、環ちゃんが大将で挑む。
……いや、団体戦じゃないんだけどね。
「収録始めまーす! ANGEのみなさん、用意はいいですか?」
「はい! よろしくお願いします!」
プロデューサーの雲雀さんは壁にもたれ、腕を組む。その隣で、月島さんがスタジオのスタッフに失礼がないように姿勢を正してるのが、印象的だった。
「緊張することありませんよ、律夏さん。頑張ってください」
「月島さんこそ。もう少し肩の力を抜いてさあ」
まずは律夏ちゃんが防音壁をくぐり、マイクを前に佇む。
「それじゃあ1番の台詞から。アドリブはどんどん入れて構わないからね」
『了解ー』
いよいよ収録スタート。
葛葉律夏は声優じゃない――とはいえ、その演技力は明らかに素人離れしてた。麗奈ちゃんが目を見張り、環ちゃんもきょとんとする。
「うそ……律夏って、こんなに上手いの?」
スタッフさんも感心してた。
「発声とか、しっかり訓練してますねぇ。これなら仕上げも楽そうです」
「CLOVERの葛葉律夏だからな。これくらい朝飯前だろ」
評価は上々。さすがベテランの律夏ちゃんだよね。
続いて、麗奈ちゃんが収録に臨む。
するとスタッフさんの評価も一転した。
「う~ん……ブレスが入りまくりで使いもんにならねえぞ、こりゃ」
『す、すみません……』
「いや、いいんだよ。経験ないって聞いてるから」
麗奈ちゃんは奮闘するも、どうしても音声に『呼吸』というノイズが混じるの。
当然のように、三番手のわたしも同じ落とし穴に嵌まってしまった。
「演技は悪くないんだが……基本ができてないことには、なあ」
ぐうの音も出ないとは、このことだよ……とほほ。
成果のない収録を終え、ふらふらと出てきたわたしを、雲雀さんが労ってくれる。
「そう気を落とすな。一朝一夕の付け焼刃で、プロと同じ真似ができるわけねえだろ。井上社長が無茶を言いやがったんだ」
「は、はあ……」
団体戦だと一勝二敗。ANGEは追い込まれつつあった。
お次は栞ちゃん、安定の負け戦で戦線を離脱。
「ひ、響希さん……詠には、姉は最後まで勇敢に戦い抜いた、と……」
「ちょ、栞ちゃん? わたしと麗奈ちゃんもできなかったから! しっかり!」
こうして負け越しが決まる。
うぅ、少しでも環ちゃんのプレッシャーを和らげるつもりが……不甲斐ないやら、情けないやら。先輩としての威厳もリーダーとしての貫禄もへし折られるなんて。
麗奈ちゃんも決まりが悪そうに唇を噛む。
「ごめんなさい、篠宮さん。いい流れにできなくて……」
それを受け、環ちゃんは熱弁した。
「そ、そんな! 速見坂先輩も栞先輩も悪くありませんっ!」
……あれ、わたしは?
響希先輩へのフォローがないのはともかくとして、環ちゃんはむしろ仇討ちでもするかのような顔つきで、ボイス収録へ挑む。
「それじゃ、ええと……篠宮環さんだね。台詞の1番から喋ってみてー」
わたしたちの連敗を見たあとだから、スタッフさんも期待はしてない様子だった。
ところが――たったの一言で空気が変わる。
『いつまで寝てるのよ、もうっ。毎朝起こしに来る、わたしの苦労も考えてってば』
こ、これって……本当に環ちゃんが喋ってるの……?
律夏ちゃんも麗奈ちゃんも呆気に取られてる。
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