第447話

 五日間の合宿と、二泊三日の遠征を経て、久しぶりに我が家へ帰ってくる。

「お疲れ様でした、響希さん。ゆっくり休んでくださいね」

「ありがとうございます。月島さんもお疲れ様でした」

 月島さんの車から旅行鞄とキーボードを引き取り、ふうと一息。

 夏の陽もとうに暮れ、夜空には月がぽっかりと浮かんでた。それでも蒸し暑さを感じ、数分のうちに汗ばむ。

 パパとも一週間ぶりなんだっけ……。

 玄関の扉をくぐろうとしたところで、わたしはささやかな悪戯を思いついちゃった。

「そぉーだ! えへへ」

 含み笑いを最後に声を潜めつつ、音もなしに扉を開ける。

 一週間ぶりのパパを、驚かせてあげようと思ったの。抜き足、差し足、忍び足……住み慣れた家だから、こっそり廊下を抜けるのも簡単。

 リビングは照明がついてて、そっちからエアコンの冷風も感じた。

 パパは居間にいる。いつものオーケストラが流れてないのは、もう遅いから。

 わたしは薄暗い廊下で荷物を降ろし、ドアの隙間から、明るい部屋の中を覗き込む。

「パパ~っ! たーだ……」

 そのつもりが、『ただいま』の途中で絶句してしまった。

 てっきりソファーで寛いでるものと予想してたパパは、リビングの片隅にいて。ど、どういうわけか……すっごい大きなぬいぐるみに抱きついてたんだもん。

「むふふふ。やっぱり最高だよ、君は……」

 む、娘がいないのをいいことに――。

「……パパ?」

 後ろから呼びかけると、パパはびくっと身体を震えあがらせた。それでもぬいぐるみから離れず、錆びついた歯車のように首だけで振り返る。

「ひ、響希……? あれ? 帰ってくるのって、明日じゃ……」

「今日だってば」

 父と娘の間で一瞬、時間が凍りついた。

 ぬいぐるみはエンタメランドのマスコット、タメにゃん。その愛くるしい瞳が、わたしに『おかえりなさい』と囁きかける。

 無意識のうちにわたしはケータイを手に取り、律夏ちゃんに掛けていた。

「……あ、律夏ちゃん? お家に帰ったらね、その……家族が増えてたんだけど……」

『ええっ? まさかパパさん、再婚相手でも連れ込んでた?』

「まっまま、待ってくれ、響希! 律夏ちゃんも鵜呑みにしないでくれ~っ!」

 パパは慌てふためき、両手をパーで突き出す。

 それから十分ほど事情聴取。聞けば、パパはひとりぼっちに耐えきれず、大人げない買い物で寂しさを紛らわせていた、と。

「本当に寂しかったんだよ? 一週間も響希がいなくて」

「その割にわたしが帰ってくる日は、間違えて憶えてたんだね」

 写真の中のお母さんも呆れてるかも。

 こうしてビッグサイズのタメにゃんも我が家の一員に。

 もちろんわたしだって、このモフモフの魅力には抗えないわけで……。むしろパパが暴走してくれたことに、心の中では感謝さえしてた。

「もう夕飯は食べたのかい?」

「新幹線の中でね。パパも済ませたんでしょ?」

 わたしはお土産を披露しつつ、一週間ぶりのソファーに腰を降ろす。

 パパが冷たい麦茶を淹れてくれた。

「フェスタはどうだったのかな」

「うん、えっとね――」

 お風呂が沸くのを待ちながら、ミュージック・フェスタのあれこれを報告する。

「――で、パパは大学、休みなんでしょ?」

「そうだけど、今年も母校でねえ」

 パパのほうも夏は大忙しみたいだった。母校のオーケストラ部で教えてるんだとか。

 確か一昨年は一年を通して、顧問を務めてたんじゃないかな? パパの母校、ケイウォルス学院のオーケストラ部は、たびたび全国に出場してるほどの強豪なの。

 パパが顧問を担当した一昨年はもちろん、全国に駒を進めたものだから、ケイウォルス学院からのオファーも再三に渡ってた。

 パパも麦茶で息をつき、ぼんやりとカレンダーを眺める。

「それはそうと、夏休みはまだまだあることだし。みんなで練習もするんだろう?」

 わたしは照れ笑いを自覚しつつ、とっておきのニュースを伝えた。

「うん。……そうそう、ANGEでCDを出すことになっちゃって……」

 優しいパパの声が弾む。

「すごいじゃないか!」

「えへへ。どうなるか、想像もできないんだけど」

 そうやってパパに報告するうち、帰ってきたんだなあって実感が湧いてきた。一週間も空けてたはずの我が家に、昨日もいたような気がする。

 今頃、栞ちゃんも詠ちゃんに同じこと報告してるのかも……あっ、詠ちゃんもフェスタには来てたんだっけ。麗奈ちゃんは多分、前野さんと口裏を合わせてるはず。

「でね、メインボーカルとして新メンバーが――」

 その後も話題は尽きず、いつの間にかお風呂が沸いてた。

「続きはまた明日にでも聞くよ。響希、先にお風呂に入っておいで」

「そうだね。もうこんな時間だし」

 夏休みだからって遅くならないうちに、わたしは席を立つ。

 でも、その前に一回だけ。

「ねえ、パパ。わたしもタメにゃんに……」

「いいとも。癖になるぞ~?」

 新しい家族をぎゅうっと抱き締め、モフモフを満喫。

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