第441話

 どうやって控え室まで戻ってきたのか、憶えてない。

 沈痛な空気が立ち込める中、律夏ちゃんはやれやれと溜息をついた。

「まさか響希チャンがアガっちゃうなんてね……あっ、責めてるんじゃないよ?」

 マネージャーの月島さんも残念そうに表情を曇らせる。

「メンタル面をフォローできなかった私にも、責任はあります。栞さんのことばかり気に掛けてましたから」

「それを言うなら、私のせいです。私が必要以上に緊張しなければ……」

 もちろん月島さんや栞ちゃんのせいじゃなかった。

 気落ちする一方のわたしを、麗奈ちゃんが励ましてくれる。

「あの人数だもの、無理もないわよ。まだ明日もあるんだし……ね? 響希」

「麗奈の言う通りだよ、響希チャン。今日のことは犬に噛まれたとでも思って、さ」

 でも、わたしは相槌を打つ気になれない。

 詠ちゃんと環ちゃんも控え室に駆けつけていた。

「響希っち、元気出しなって。響希っちが歌をド忘れしなくっても、どうせお姉ちゃんがトチってたはずなんだし」

「フォローになってないわよ、詠」

 麗奈ちゃんが環ちゃんの頭を優しく撫でる。

「あなたのおかげで最悪の事態は免れたわ。ありがとう、篠宮さん」

「そんな……わたしはただ、何とかしなきゃって思って……」

 その気持ちひとつで、環ちゃんはANGEの窮地を救ってくれたんだよね。

 なのに、わたしは……リーダーのわたしは……。

 月島さんがまとめに入る。

「じきにフェスタの一日目も終了です。反省会はほどほどにして、引きあげましょうか」

 一番に腰をあげたのは、栞ちゃん。

「そうですね。出るのが遅くなっては、混みそうですし」

「帰ったら先にお風呂、行かない?」

 律夏ちゃんに続いて、麗奈ちゃんや環ちゃんも立ちあがった。

 でも、わたしはまだ椅子に座ったまま。今日の失敗を思い出すだけで、足が竦むの。

「……ごめんね、みんな……」

 麗奈ちゃんが肩を竦めた。

「あなたらしくないわよ? 響希」

「そーそー。あたしより元気が取り柄なのが、響希チャンじゃん」

 律夏ちゃんの言葉も優しさに溢れてる。

 だからこそ、わたしは責任を感じずにいられなかった。

 たくさん練習したのは、みんなも同じ。フェスタには栞ちゃんや麗奈ちゃんの今後が懸かってたのに。わたしひとりの未熟さが、全部を台無しに――。

 罪悪感と悔しさとがない交ぜになって、わたしの胸を締めつける。

「ほんとに……ご、ごめんなひゃい……!」

 それ以上はもう何も言えなかった。みっともない嗚咽に遮られ、言葉にならないの。

 大粒の涙が零れ、視界を滲ませる。

 そんなわたしを、誰かが柔らかく抱き締めてくれた。

「まったくもう。あの頃と変わってないんだから、あなたは」

 耳元で麗奈ちゃんが囁く。

 かくしてANGEのライブは大失敗。お客さんは結局、半数が余所のステージへ移ってしまい、わたしたちの演奏は空振りに終わる。

 こうしてフェスタの一日目は――わたしの悔し涙とともに幕を閉じた。


                  ☆


 夜になっても寝付けず、旅館の中庭で悶々と過ごす。

 わたしは金色のお月様を見上げ、誰に聞かせるでもなく呟いた。

「なんで……あんなに緊張しちゃったのかな」

 ライブハウスでも多少硬くなったりした経験はあるものの、今日ほどじゃなかった。

 お客さんの数が違ったから? それだけじゃない。

 ミュージック・フェスタの空気に飲まれて、気後れしちゃったんだよ、わたし。

 出場するバンドはどこも、わたしたちと同等以上の演奏ができる。ううん……結成から間もないANGEより、ずっと上手だった。

 もちろんコンクールじゃないんだから、技術面だけで評価は決まらないよ。わたしたちのANGEだって唯一無二の個性を輝かせようと、チャンスを窺ってた。

 栞ちゃんの作曲を始め、律夏ちゃんのドラム捌き、そして麗奈ちゃんの安定したギターテク。わたしのキーボードだって多分、活躍できるはずだったの。

 だけど、わたしは土壇場でプレッシャーに屈してしまった。

 ほかのバンドに圧倒されて。

それに今日のステージには、大切なものがいくつも懸かってたから。

 ただ楽しいから演奏するんじゃない。

 ステージのさらに先を見据えて『挑戦する』ことに、わたしは怖気づいたんだ。

 大きなステージに立つことの意味も、責任も、今日まで考えもせず。その大きさに今さら気付いて、臆病風に吹かれてしまって……。

 これじゃ、麗奈ちゃんにも呆れられちゃうよね。

 いつしかお月様は薄い雲に隠れていた。

 でも北海道は本州より空気が澄んでるみたいで、星々の瞬きが夜空に映える。

「眠れないようね。響希」

 ひとりぼっちのわたしに、誰かが後ろから声を掛けた。

 振り返ると、幼馴染みの優しい笑顔。

「……麗奈ちゃん?」

「いいのよ。何も言わなくて」

 麗奈ちゃんはわたしの隣に並ぶと、物憂げに夏の夜空を眺めた。

 そして、ぽつりと一言。

「ピアノの発表会」

 何のことやらと、わたしは小首を傾げる。

「いきなりどうしたの? 麗奈ちゃん」

「憶えてないの? あなたが大泣きした、あの時の話よ」

 麗奈ちゃんは苦笑しつつ、人差し指でくるくると円を描いた。

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