第435話

 八月二日、ついにミュージック・フェスタが開幕!

 といっても、昨日のうちに北海道の旅館へ移ってたんだけどね。そうでもしないと、朝一で現地入りできないから。

 本州では厳しい猛暑も、北海道ではなりを潜めてた。

 栞ちゃんが深呼吸で美味しい空気を満喫する。

「この気候でしたら、野外のフェスタも苦になりませんね」

「むしろ肌寒いくらいだよ?」

 栞ちゃんの言う通り、長袖の上着も持ってきておいて正解だったよ。

 北海道へは昨夜、新幹線に乗ってきたの。律夏ちゃん以外は自分の楽器を背負ってね。ドラムは別にして、矢内さんに車で運んでもらった。

 結構な距離だったなあ……。

 全国のアーティストが一堂に会するには、交通の便がよくない。ただ、これは参加者の数が膨らむのを、抑える狙いもあるんだとか。

 もちろん東北のアーティストが有利で、九州は不利、なんて不公平感は拭いきれないけど。このフェスタのため、沖縄から遠征してくるようなグループもいた。

 それだけ、みんなミュージック・フェスタに懸けてるんだね。

 メンバー候補の環ちゃんも『見学』の体で参加してる。

「ほんとにいいんでしょうか? 速見坂先輩。わたしまで一緒に……」

「井上さんがそう判断したんだから、気にすることないわよ」

 ちなみに旅館では、わたしと環ちゃんが一緒のお部屋なんだよ。あと月島さんも。わたしと律夏ちゃんが同室だと夜更かしするって、合宿のうちにバレちゃったせいで。

わたしたちは朝一に現地入りして、運営本部にご挨拶。自然公園の中にある会館が、ミュージック・フェスタの本部として用いられていた。

「おはようございまぁーす! VCプロのANGEですっ!」

「ああ、おはよう。よく来たね」

 ひとりずつスタッフ用の名札を受け取り、首から下げておく。

「館内で各ステージの中継もやるんだね」 

「人気のバンドはこっちで妥協するのも、一手かもしれないわよ」

 律夏ちゃんや麗奈ちゃんにさほど緊張した素振りは見られなかった。ANGEに割り当てられた控え室へ赴き、手持ちの衣装や楽器を降ろす。

「控え室を確保できたの、運がよかったね」

 フェスタに参加するバンドの総数は、この会館の部屋数を上まわってた。確かに律夏ちゃんの言う通り、わたしたちは運がいいのかも。

「バンドによっては車の中が控え室、だそうですよ。基準とかあるんでしょうか」

「部屋割りは女子が優先。野郎はどこでも着替えられるだろ」

 あぁ……レディーファーストなんだね。

 ANGEの現場監督でもある月島さんが、きびきびと言い放った。

「本日のスケジュールは頭に入ってますね? ANGEはCステージで、午後4時からとなっています。遅くとも一時間前の3時には、この控え室へ戻ってきてください」

 さらに2リットルサイズのスポーツドリンクを何本も取り出し、続けるの。

「それから各自、水分はしっかり取っておくように。今日の気温は二十度ほどですが、湿度はそれなりに高いですし、開催中は熱気も生じますので」

「はい!」

 わたしたちは横一列で姿勢を正し、マネージャーと約束した。

「そーいう月島さんこそ、日焼け止め忘れないでよ? 彼氏に嫌われても知らないから」

「誰から聞いたんですか……まさか社長が?」

 律夏ちゃんのアドバイスに従い、わたしも日焼け止めクリームを肌に馴染ませる。

 ANGEの出番が来るまでは自由行動だよ。栞ちゃんと麗奈ちゃんはプログラム表を広げ、どのステージを見てまわるか、確認を始めた。

「昨夜も言った気はしますけど、聞き慣れないアーティストが多いですね」

「ほかの参加者からしたら、ANGEだって似たようなものよ」

 同じプログラム表を後ろから、年下の環ちゃんが背伸びで覗き込む。

「もう決めてあるんですか?」

「昨夜のうちにね」

ミュージック・フェスタでは規模ごとにAからCまでの舞台が用意されていた。

 Aステージは数がひとつだけで、動員数は6千人。

 次にBステージはみっつあって、3千人ずつ。

 これだけでも、お客さんの総数は1万5千に達するわけだから、すごく広いよね。ちゃんと観る順番を決めておかないと、立ち往生する羽目になりそう。

 そしてCステージはよっつ、動員数は千人ほどだった。わたしたちのANGEはこのCステージのひとつで、午後4時から演奏する予定なの。

 Cステージの場合はどのバンドも持ち時間が20分で、入れ替わりが激しい。

 準備や撤収も込みで、一時間に2グループでしょ? 午前は三時間、午後は四時間あるから、ひとつのステージで一日に14のバンドが演奏するわけで……。

 そのCステージがよっつだから、実に56ものバンドが、わたしたちと同じラインに並んでるんだね。それもCステージだけで。

 プログラム表にはバンド名がずらっと綴られてた。

「一日目と二日目で何割か面子も変わりますから、総数は百に迫りますね」

「ひゃ、百かあ……」

 お客さんは途中の入場や退場も含めて、二万人以上の動員を想定してるんだってね。改めてミュージック・フェスタのスケールを思い知らされ、ぞっとする。

 こんなところで、わたしたちも演奏を……?

 間もなく開演の九時。

会場の全体にアナウンスが流れた。

「お待たせしました。これより第16回ミュージック・フェスタを開催致します!」

 鳥の群れが一斉に羽ばたくような拍手が巻き起こる。

 フェスタの会場は早くも大勢の客でごった返しになってた。じわじわと気温も上がってきて、ひとの数に比例した熱気を濃くする。

 わたしたちも会館の外に出て、びっくり。律夏ちゃんが夏の太陽に目を眩ませた。

「思ったより暑いね……! 日差しが強いせいかな」

「ひと酔いしそうです。はぐれないようにも注意しませんと」

 人間の多さに栞ちゃんはたじろぐ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る