第418話

 娘のわたしとしても、未だにパパが『天才音楽家』っていうの、ピンとこない。確かにナナノナナの曲は、プロの底力を感じさせる名曲だと思ったけどね。

「パパって、音大でも生徒さんにそういう話してるの?」

「いいや。音楽史とか、楽器の成り立ちとか……。講演の時くらいじゃないかな? 体験談を語ったりするのは」

「それをこんなふうに聞けるなんて、贅沢な話よ? 響希」

 みんなして音楽家のパパを持ちあげる中、律夏ちゃんがブレーキを掛ける。

「パパさんのお話はまたの機会にするとして……夏のこと、話しておきたいんだけど」

 麦茶でも涼みながら、今後のスケジュールを相談することに。

 ミュージック・フェスタは八月の上旬。今は六月の下旬だから、練習できるのも、あと一ヶ月ほどしかないんだっけ。

 その一ヶ月しても、余所のライブハウスで実演の予定が入ってた。

「衣装は余裕で間に合うみたいよ? 来月、合わせに来て欲しいってさ」

「やった! 咲哉さんに任せておけば、ばっちりだね」

 とりあえずフェスタ用の衣装はクリアできてる。

 麗奈ちゃんはケータイでカレンダーを確認しつつ、呟いた。

「夏休みの最初の一週間が、勝負になりそうね」

 学校は試験が終わり次第、夏季休暇に突入する。その時間を丸ごと練習につぎ込めば、かなりのクオリティアップが見込めた。

「じゃあ、ずっとここで?」

 わたしが誰にでもなく尋ねると、天城邸の主としてパパが口を挟む。

「練習する分には構わないけど、さすがに夜間はちょっとねえ」

 ピアノのお部屋の防音設備は、決して完璧じゃなかった。多少は音が漏れるのを、ご近所さんの厚意で許してもらってるの。音楽一家のやることだから、ってふうにね。

 だから、夜中まで練習するわけにはいかなかった。

「そうそう! それで思い出したよ」

 律夏ちゃんが手をぽんと打つ。

「響希チャンも前に言ってたじゃない? 合宿。夏休みは合宿しよーよ」

「が、合宿するのっ?」

 と唐突に大声をあげたのは、環ちゃん。

「先輩とお泊まりだなんて……」

「落ち着いて、篠宮さん」

 それをどうどうと鎮めながら、麗奈ちゃんは異論を口にした。

「響希の家に迷惑は掛けられないって話じゃなかったの? 確かに強化合宿は悪くないと思うけど……栞さんはどう?」

「麗奈さんの言う通りでしょう。一度、ライブハウスに掛けあってみますか?」

 栞ちゃんは叔父さんのライブハウスで練習を考えてる。

 しかし律夏ちゃんは合宿の案を引っ込めなかった。

「場所ならあるじゃん。VCプロのスタジオが」

 わたしたちは一様に目を見開く。

「……あっ!」

 VCプロの井上さんがね、練習場所として融通してくれたスタジオがあったの。そっちは交通の便が悪いから、敬遠してたんだけど……合宿にはもってこいかも。

「泊まれるかどーか、わかんないけどさ。そこで一週間、みっちり練習すれば、フェスタのステージもイケるんじゃない?」

「賛成っ!」

 ミュージック・フェスタの大舞台に向け、俄かに光明が見えてきた。

 栞ちゃんが早速、ケータイでスケジュールを書き込む。

「曲の打ち合わせついでに、私のほうから井上さんにお話しておきますよ」

 幹事気質の先輩だなあ。

「……あと、フェスタのメイン曲が決定しました。これです」

 そのついでのように、栞ちゃんは鞄から楽譜のコピーを取り出した。全員に配り、環ちゃんは麗奈ちゃんの分を横から覗き込む。

「へえ……ジャズ調なのね。響希のピアノと相性がよさそうだわ」

「さすがですね、麗奈さん。この曲の主役は響希さんのキーボードなんです」

 主役の二文字にわたしは少し気後れしちゃった。

「い、いいのかな? わたしで」

「ANGEのリーダーは響希チャンだよ? アハハ……」

 律夏ちゃんは応援してくれるも、妙な空笑い。

「篠宮さんも読んでみて。栞さんはボキャロPだから、あなたの趣味に通じるところもあるんじゃないかしら」

「エッ?」

 麗奈ちゃんに楽譜をトスされるや、環ちゃんは剽軽な声をあげた。

「で、でも……メンバーでもないわたしが、未発表の楽譜を見るわけには……もごもご」

「気にしないでください。篠宮さんなら問題ありませんので」

 さっきから、なんだかズレがあるような……。

「ほ、ほんといい曲だと思うよ? うん」

「速見坂先輩のギターは、その、ちゃんと出番があるんですよね?」

 律夏ちゃんといい、環ちゃんといい、どうも歯切れが悪いの。

 すっかり蚊帳の外だったパパが苦笑した。

「律夏ちゃんと、そっちの……環ちゃん? は、楽譜が読めないんだね」

 わたしや栞ちゃんは目を白黒させる。

「……あれ? じゃあ、律夏ちゃんって今まで……」

「読めてなかったんですか?」

 ぐさりと図星を突かれ、さしもの律夏ちゃんも荒れた。

「だ、だってさ! アイドルにも楽譜が読めない子は、フツーにいたしっ?」

 環ちゃんは恥ずかしそうに白状する。

「わたしも読めないんです。ごめんなさい、速見坂先輩……」

「い、いいのよ。篠宮さんは全然……さすがに律夏はちょっと、どうかと思うけど」

 またも律夏ちゃんと麗奈ちゃんの間で、不協和音が生じそうに。

「何よぉ、それ? あたしは読めなきゃいけないわけ?」

「あなた、助っ人ドラマーで八面六臂の活躍してたんじゃなかったの?」

 はちめんろっぴ……L女の優等生は難しい言葉を使うなあ。

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