第417話

 そのタイミングで、麗奈ちゃんと環ちゃんが人数分のドリンクとともに戻ってくる。麗奈ちゃんはトレイからてきぱきとジュースを降ろしつつ、空いたグラスをまとめた。

「律夏はカルピスソーダでよかったのよね」

「サンキュー」

 詠ちゃんが言いかけた、栞ちゃんの昔話は聞きそびれちゃったね。

 詠ちゃんが環ちゃんにマイクを渡す。

「さっき話してたんだけどねー、タマちゃん、もっと好きなの歌ってよ」

「タ、タマちゃん……ですか」

 わたしはタンバリン、律夏ちゃんはマラカスを持って、応援にまわることに。

「聴きたい、聴きたい!」

「ナナノナナってほら、あのアニメ……なんだっけ? あれ」

 律夏ちゃんのリクエストは当てずっぽうもいいところ。だけど、環ちゃんは一度歌ったことで緊張が解けたのか、その気になってくれた。

「しょ、しょうがないわね……。速見坂先輩の前で歌わないわけにも、いかないし?」

 あとは麗奈ちゃんが押せば、完璧。

「順番はもう気にしなくていいから。篠宮さん、頑張って」

「は、はいっ!」

 環ちゃんのステージが始まる。


 二時間に及ぶカラオケを終え、帰路につく。

 お昼からはわたしの家で練習だもんね。パパが張りきってるみたいだから、お昼ご飯も家で一緒に済ませることになったよ。

 栞ちゃんは詠ちゃんとしれっと入れ替わり、涼しげな顔してた。

「どうでしたか? カラオケは」

 わたしと律夏ちゃんには『私は参加してませんけど、どうでしたか』と聞こえる。それを麗奈ちゃんは多分、『みんなで一緒に歌って、どうでしたか』と誤解した。

「カラオケは海外で行ったきりだったから……響希と一緒なのも初めてだし、思った以上に戸惑っちゃったかしら」

「実家がアレでL女学院じゃ、なかなか行きづらいか」

「L女はそこまでお硬くないのよ?」

 わたしも麗奈ちゃんと一緒に歌えて、大満足。

 麗奈ちゃんが栞ちゃん(本物)を見詰め、溜息をつく。

「さっきは驚いたわ。栞さんってマイクを握ったら、ひとが変わるタイプなのね」

「はい」

 栞ちゃんは罪悪感をおくびにも出さず、断言しちゃった。

「それにヒーローソングだなんて……特撮が好きだったなんて、意外」

「……あれは、その……篠宮さんがどんな曲でも歌いやすくなるように、と」

 嘘がさらなる嘘で膨らむ。

「今朝はベースなんて、持ってた?」

「え、ええ。麗奈さんが気付かなかっただけです」

 でも面白いから、わたしも律夏ちゃんも替え玉の件は黙ってた。

 環ちゃんは困惑しながらも、あとを追ってくる。

「ね、ねえ? なんでわたしも行くわけ?」

「寂しいこと言わないでよ、環チャン。途中でひとりだけハブるなんて薄情な真似、できるわけないじゃん。それに麗奈チャンもいるんだから」

 詠ちゃんは帰っちゃったけどね……。

「ナナノナナの歌を作曲した、長瀬宗太郎にも会えるんだしさ」

「ながせそーたろーは知らないけど、まあ……」

 パパの名声も今時のJC(女子中学生)には通用しないみたい。

 ぞろぞろとお家へ入ると、エプロン姿のパパが迎えてくれた。天才音楽家の貫禄なんてどこへやら、休日の暇そうなお父さんでしかないなあ。

「いらっしゃい! さぁあがって、あがって」

「お邪魔しまぁーす」

 お昼ご飯は冷やし中華だった。わたしの友達が来るからって、パパはいつもの三割増しくらいでメニューを豪勢にしてる。

「おや? 君は初めてだね」

「あ……初めまして。こちらの速見坂先輩の後輩で、篠宮環といいます」

「ご丁寧にどうも。僕は天城宗太郎。響希の父だよ」

 パパが天城でも長瀬でも、環ちゃんは関心がない様子で席についた。

 栞ちゃんが扇風機に気付く。

「日中は暑くなってきましたね……」

「だからお昼は冷たいものを、と思ってね」

 まだ梅雨明けは宣言されてないものの、だんだん気温が高くなってきた。学校でも朝礼のたび、先生が熱中症に注意するようにって。

「エアコンの掃除もしとかないとなあ」

「業者のかたにやってもらうほうが安全ですよ。宗太郎さん」

「そうだねえ」

 パパ手製の冷やし中華を食べながら、わたしたちは当の本人に聞いてみた。

「ねえ、パパ、声優のナナノナナに曲を作ったことあるんでしょ?」

「あれ? 聴いてくれたのかい?」

 ここで『聴いたのかい?』じゃなく『聴いてくれたのかい?』と返せる慎ましやかなところが、パパの美徳だね。

 カラオケには参加してなかった栞ちゃんが、口を滑らせる。

「あのナナノナナさんの曲を?」

 作曲を担当したのは長瀬宗太郎だってこと、カラオケで栞ちゃん(本当は詠ちゃん)もしっかり聞いてたんだけど。

 麗奈ちゃんも環ちゃんもその不整合には気付かず、パパの話に耳を傾けた。

「まあね。彼女、綺麗な歌声をしてるだろう? あの歌声を限界まで引き出せる曲を書いてくれないかって、オファーがあったんだ。あと……ナナノナナさん自身、歌ってみたい歌のビジョンがあってねえ」

「ほ、ほんとーに……作曲家なの?」

 さっきまで反応の薄かった環ちゃんが、瞳をきらきらさせ始める。

 もう『ながせそーたろー? 誰それ?』なんて言わせないよ。

 栞ちゃんが舌を巻く。

「こういう話を聞いてると、やっぱり長瀬宗太郎さんですね」

「そうかい? 響希の父親ってだけだよ、僕は」

 パパはいつもの爽やかな笑顔で謙遜した。

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