第415話

 律夏ちゃんが不可解そうに眉根を寄せた。

(遠慮しちゃってるのかな? もしくは、麗奈とふたりがよかったとか……)

(ちょっとわからないね)

 こうなったら、やはりその筋のプロに聞いてみるしかない。

「わたし、パパに電話してくるね」

 ケータイを手にわたしは一旦、部屋を出た。そして階段の踊り場で電話を掛ける。

「もしもし、栞ちゃん?」

『詠が何かやらかしたんですか?』

「ううん。実は今、環ちゃんも一緒なんだけど……」

 事情を説明すると、栞ちゃんは模範回答を読みあげるようにまくし立てた。

『おそらく、ただでさえ少ない持ち歌を先に歌われ、歌える曲がなくなったんでしょう。メジャーなポップスはあまり聴かないタイプと推測できます』

「なるほど……でも、そんなに少ないことってある?」

『可能性として考えられるのは……』

 ふと躊躇いのような間が空く。

『アニソンです』

 わたしの頭じゃ、その断片的な一言で理解できるはずもなかった。

「つまり? どゆこと?」

『持ち歌のほとんどがアニソンなんですよ。で……カラオケのムードを壊さないため、何曲か無難なレパートリーも持ってるとすれば、どうでしょうか』

 栞ちゃんは真剣な声でもうひとつ付け加える。

『そもそも前提として、アニソンは勝ち組の前では非常に歌いづらいものなんです』

「勝つも負けるもないと思うけど……アニソンなんだね? 環ちゃんのレパートリーは」

『あくまで可能性の話ですが』

 その情報をもとにして、わたしは環ちゃんに揺さぶりを掛けてみることに。

「ただいま~」

「おかえり。次は響希チャンの番だよ」

「うん。それじゃ、詠……栞ちゃんに倣って、わたしはアニソンで!」

 子どもの頃によく麗奈ちゃんと観てた、女の子向けアニメのオープニングを選ぶ。

 詠ちゃんが瞳を輝かせた。

「そうそう! 今日は私がいるんだからさあ~」

「懐かしいわね。今でも歌えるかしら……」

 麗奈ちゃんもまんざらではなさそうにイントロを口ずさんだ。

「麗奈ちゃんと律夏ちゃんも、ここからはアニソン縛りで歌おうよ。ねっ」

「オッケー。アニメ、アニメ……と」 

 アニソンが流れ出すと、環ちゃんの顔つきが少し緩む。

 これは……栞ちゃんの推測通り? わたしと麗奈ちゃんで立て続けに魔法少女モノを熱唱したあと、いよいよ環ちゃんがマイクを手に取る。

「じ、じゃあ……わたしも」

 ところが――次に流れたのは日アサに不似合いな、スタイリッシュな一曲だったの。

 歌手の名前はナナノナナで、作曲者は……長瀬宗太郎~っ?

 でも微妙な空気になる暇なんてなかった。マイクに頼らない環ちゃんの声量、巧みなブレス、そして伸びのよさ――まさかの『美声』に誰もが驚く。

「環チャンも上手いじゃん! いい声出てるよ」

「ノッてきたね!」

 詠ちゃんはタンバリンを叩き、わたしたちは手拍子を取りながら、環ちゃんの魅惑の歌声に聴き入った。期待通り……ううん、期待以上のボーカル候補だよ。

 環ちゃんは安心したように胸を撫でおろす。

「ふう……。ど、どうでしたか? 速見坂先輩。わたしの歌……」

「びっくりしたわ。演劇部で声を張ってるだけあるわね」

 そっかあ、演劇部なんだ。

 しかし麗奈ちゃんは小首を傾げる。

「それで……えぇと、今のもアニメの曲なの?」

 環ちゃんは真中のテーブルにぐでーんと突っ伏した。

「うぅ、やっぱりご存知なかったんですね、ナナノナナ……アニメってゆーか、超有名な声優さん、なんですけど……」

 詠ちゃんが声をあげる。

「声優! 声優のナンバーかあ、うんうん。それじゃあ、響希ちゃんや麗奈ちゃんが知らないのも無理ないよね。えーと、ナナノナナってのはさあ」

 作曲家のほうはよく知ってるんだけど。

 長瀬宗太郎がわたしのパパだってことは、ひとまず伏せておく。

 詠ちゃんのお話によれば、ナナノナナはアニメ業界の第一線で活躍を続けてる、大人気の声優さんなんだって。演技力の高さは当然のこと、歌唱力でも群を抜いてた。

「ほら、あの霧崎タクトがファンっていう……」

「ナナノナナさんってRED・EYEが好きなんだ? 面食いなんだね」

「逆、逆。霧崎タクトがナナノナナにぞっこんなの、有名な話」

 声優のあれこれに疎いわたしは、何度も瞳を瞬かせる。

 律夏ちゃんも不思議そうに頷いてた。

「年末の歌合戦にも出場してなかった? アルバムもばんばん出してんでしょ、確か」

「日アサの魔法少女も演ったことあるんだよ。一昨年の……だったかな?」

 それほどの声優さんだから、詠ちゃんも知ってるんだね。

 でも結局のところ、わたしたちはさっきの曲を『知らなかった』わけで……。環ちゃんはがっくりとうなだれた。

「これもアニソンですから、その……アニソン縛りってことで……うぅ」

 律夏ちゃんはあっけらかんと笑い飛ばす。

「この面子でカラオケの空気なんか気にしなくていいってば。詠……栞チャンなんて、さっきから好き放題に歌ってんじゃん」

「歌いたいのを歌っていいんだよ。こっちも新しい発見になるから、ね?」

「でも……恥ずかしくて……」

 環ちゃんは俯き、ぎゅっとスカートを握り締めた。

「わたし、そのぉ……せ、声優にちょっとだけ、興味があって……」

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