第400話

 とりあえず六月はしっかり練習を、とは指示されてるけど。

「ほんとにデビューするのかな? わたしたち」

「さあ? やっぱりなかったことに、ってなる予感はするね」

 だから、わたしも律夏ちゃんも鵜呑みにせず、趣味の範疇で演るつもり。

 でも、麗奈ちゃんだけは真剣な調子で言いきった。

「プロになれるかどうかの瀬戸際なのよ? あなたたち。気を引き締めるべきだわ」

 律夏ちゃんも栞ちゃんも呆気に取られ、アイコンタクトとともに押し黙る。

(こりゃあ本気っぽいね。ガールズバンドでプロデビュー)

(どうしてここまで拘るんでしょうか)

 幼馴染みなのに、わたしには麗奈ちゃんの真意が読めなかった。

 わたしと麗奈ちゃんが離れ離れになってから、もう五年もの月日が流れてる。わたしは仲良しの幼馴染みでいたくても、麗奈ちゃんのほうは違うのかもしれない。

 やがて車は高速を降り、住宅街へ差し掛かった。

 ゲートが自動で開き、ロールスロイスを迎え入れる。

「ご到着~。さあ、降りて」

 車を降りるや、わたしは呆然としちゃった。

 目の前には立派な和風のお屋敷。この駐車場にしたって、車が四台も停まってる。

 栞ちゃんは早くも気後れして、小刻みに震えてた。

「制服で来て正解でしたね……。着物なんて持ってませんから」

「う、うん」

 わたしもまともに返事できず、息を飲む。

「見物はあとにして。こっちよ」

 そんな空気の中、麗奈ちゃんはすたすたと歩きだした。ほんとにお嬢様なんだ……?

 前野さんとは駐車場で別れ、わたしたちもあとに続く。

 お屋敷は古いとはいえ、やんごとない威風をありありと漂わせていた。力強い建築様式は、あたかも神社仏閣のような伝統を感じさせる。

 律夏ちゃんもさっきから余所見ばかり。

「すごいね……こんなとこ住んでたら、迷子になりそう」

 中庭の池には斑模様の鯉が泳いでた。錦鯉ってやつだよね、多分。

「速見坂さんのご実家はお金持ちなんですね」

 栞ちゃんが麗奈ちゃんの背中に問いかけると、意外な回答が返ってきた。

「速見坂はお母さんの旧姓。今は『せいりゅう』が私の苗字なの」

 せいりゅう、せいりゅう……咄嗟に漢字が出てこない。

「どんな字を書くの?」

「青い龍。ブルードラゴンよ」

「ぶっ?」

 わたしたちは一様に目を点にする。

 つまり麗奈ちゃんのフルネームは『青龍麗奈』ってこと?

 お庭沿いの長い廊下を歩きつつ、麗奈ちゃんは淡々とまくし立てた。

「テレビとかで見たことはないかしら。伝統芸能に精通した、四つの家系があるって。玄武、青龍、白虎、朱雀……これをひっくるめて『四門家』と呼ばれてるの」

 麗奈ちゃんの話によれば、四門家の歴史は江戸時代にまで遡るんだって。その威光は今なお健在で、芸能の分野に限らず絶大な影響力を誇ってた。

 中でも青龍家は数々の資本を有し、経済界にも基盤を築いてる。

 博識な栞ちゃんが付け加えた。

「玄武は舞踊で、白虎は格闘技の家系なんですよ。朱雀は華道や茶道の名門で……確か朱雀家以外は、現代でも女人禁制が徹底されてるんじゃありませんか?」

「え? じゃあ、わたしたちが入っちゃまずいんじゃ……」

「練習場にさえ立ち入らなければ、問題ないわ」

 その朱雀家にしても、逆に男子禁制なんだとか……雲の上のお話だなあ。

 思い出したように律夏ちゃんが口を挟む。

「そうそう! あの玄武リカが、その玄武家の長女なんだよ」

「どっかで聞いた名前だと思ったら、リカちゃんかあ」

 かつて天才子役として一躍名を馳せた、玄武リカ。彼女の輝かしい活躍をきっかけに、世間では『小学生タレント』が大ブームになったの。

 律夏ちゃんのCLOVERも、その流れの中で結成された。

「あれも『玄武』の家だったからこそ、娘さんの名が知れ渡ったんでしょうね」

「あとは明松屋杏とか? 大物歌手の娘でさあ」

 玄武リカちゃんも、明松屋杏ちゃんも、今はわたしと同じ高校生なんだろうなあ。

「玄武リカなら会ったことあるよ、あたし」

「え? 確か彼女、マーベラスプロの所属だったと思いますが……」

「仕事先でね。メチャクチャ演技が上手かったな」

 そんな超有名人の玄武リカちゃんと、麗奈ちゃんが、似たような立場に……?

 なんてことを考えてると、廊下の向こうから小さな男の子が駆けてきた。

「お姉様! おはようございます」

「お、おねえさま……?」

 疑惑の視線を背中で流しつつ、麗奈ちゃんは男の子にやんわりと言い聞かせる。

「廊下を走ってはだめよ、一也」

「あ、ごめんなさい。そちらのお客様がたは、お姉様のお友達ですか?」

 なんて礼儀正しい弟さんなんだろ……こっちが緊張しちゃうよ。

「どうぞ、ごゆっくりしてってください。では、僕はこれで」

 一也くんはぺこりと頭を下げると、今度は走らずに廊下を去っていった。

 その小さな後ろ姿を、栞ちゃんがしげしげと見送る。

「利発そうな弟さんですね」

「もとは従弟だったの。それを跡取りとして、青龍の本家が養子に……」

 麗奈ちゃんの言葉はどうも歯切れが悪かった。

 少しずつ麗奈ちゃんの事情が見えてきた気がする。青龍家は女人禁制、でもって麗奈ちゃんはお母さんとふたりで暮らしてた――。

 律夏ちゃんがケータイを耳から離し、仕舞い込む。

「電話してたの?」

「うん、ちょっとね。さっきのは麗奈の弟クン?」

「そうだよ。もう行っちゃったけど」

 律夏ちゃんも挨拶してあげればよかったのに、とは思った。でも元アイドルだけあって美少女の律夏ちゃんに声を掛けられたら、一也くんは平静でいられないかも。

 一目惚れ……なんてこともありそうだし?

 広いお屋敷をぐるぐると歩きまわり、やっと麗奈ちゃんが足を止める。

「この部屋で待っててちょうだい」

「あ……うん」

 それだけを言い残し、麗奈ちゃんはひとりで余所へ。

 代わりに昔ながらの女中さんが出てきて、わたしたちを歓迎してくれた。

「まあまあ、ようこそいらっしゃいました! お嬢様がお友達をお連れになるなんて、初めてのことでございますのよ。さあさ、どうぞ遠慮なさらずに」

 お屋敷の厳めしさとは裏腹に、気さくなおばさんで安心する。女中さんはてきぱきと座布団を並べつつ、わたしたちの風貌を一瞥した。

「あら……? てっきりL女学院のご学友と思ってたのですけれど」

「私たちはS女子学園に通ってます」

「S女子、S女子……ごめんなさいねえ。娘はいないから、女子校には疎くって」

 女中さんのもっともな言い分には、わたしも納得。

 わたしのパパも男性なのに、男の子の生活や娯楽には疎かったりするもん。

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