第399話
律夏ちゃんは少し不愉快そうに口を尖らせる。
「スカウトの話には食いついてきたよね。もう水に流したことだし、響希チャンの幼馴染みを悪く言うつもりはないんだけどさ」
「そう……かな」
否定できなかった。確かに律夏ちゃんの言う通り、麗奈ちゃんは井上さんのスカウトに興味津々って面持ちだったもん。
そこに疑問を呈するのは栞ちゃん。
「待ってください。速見坂さん……麗奈さんは律夏さんと同じで、有力なバンドから勧誘もあったはずですよ。それをずっと蹴ってたのが、急に……」
「だから、芸能事務所の社長じきじきの話は見逃せなかったんでしょ」
一匹狼のギタリストもあやかりたくなるほどの――確かにその線はあるかも。それだけ井上さんのお話は、プロ志望のアーティストには魅力的なチャンスのはずだから。
律夏ちゃんは肩を竦める。
「……まっ、週末にはわかることだし。本人の口から聞かせてもらおうじゃないの」
「そうだね。きっと……」
信じていいんだよね? 麗奈ちゃん。
あの曲、『WHITE』のことも……嘘をついてるだけだって。
☆
そして週末、麗奈ちゃんと約束の日がやってきた。
わたしと律夏ちゃん、栞ちゃんは指示の通り、朝からライブハウスの前で待つ。
やがて麗奈ちゃんが現れた。
「お待たせ、響希。それから……葛葉さんと大羽さんも」
「名前でいいって。こっちも『麗奈』って呼ぶし」
律夏ちゃんと麗奈ちゃん、まだ少しぎこちない雰囲気かも……。麗奈ちゃんの挑発を律夏ちゃんが買ったことが、尾を引いてる。
栞ちゃんは首を傾げた。
「どうして『制服』で集合なんですか? 麗奈さん」
わたしたちは休日にもかかわらず、学校の制服を着てるの。
麗奈ちゃんもL女学院の制服(スカートがやたら長い)で奥ゆかしく決めてた。
「じきにわかるわ。こっちに来て」
今朝は麗奈ちゃんの背中にギターも見当たらない。
わたしたちは目配せしつつ、麗奈ちゃんのあとを追いかけた。
小学五年の時、麗奈ちゃんが姿を消した理由――消さなくちゃいけなかった理由が、今日こそ判明する。それだけに、わたしの胸の中では漠とした不安が広がってた。
「これよ。乗って」
と麗奈ちゃんが見せたのは、一台の車。栞ちゃんは目を丸くする。
「ロールスロイスですよ? これ……」
わたしでも名前くらい知ってた。高級車ってやつだよ。
ますます麗奈ちゃんの事情が読めなくなる。
五人乗りらしいから、運転手さんを含めて頭数はぴったりだった。麗奈ちゃんは手前の助手席へ、わたしたちは後ろの席へ。
「どこに行くの?」
「こっちのお屋敷。一時間くらいで着くから」
……こっち、の? お屋敷?
真中のわたしを挟んで、律夏ちゃんと栞ちゃんはひそひそと声を潜める。
「これはまさか……お嬢様ってこと?」
「でも箱入り娘だったら、ライブハウスに出入りするでしょうか」
その間にも車が動き始めた。思いのほか駆動音は静かで、車体の揺れも少ない。
助手席の麗奈ちゃんは黙々と前だけを見詰めてた。
その緊張感を、運転手のお兄さんが気さくな調子で和らげてくれる。
「お嬢様が友達を連れてくるなんて初めてだよ」
後ろのわたしたちは揃って声をあげそうになっちゃった。
お……お嬢様ぁ?
こっちの驚きを意に介さず、お兄さんは続ける。
「申し遅れたね、僕は前野。こんなふうにお嬢様のお世話を担当してるんだ」
「『お嬢様』は止めて、前野さん。実家じゃないんだから」
「そうかい? じゃあ『麗奈ちゃん』で」
この前野さんは麗奈ちゃんのお父さんの部下なんだって。本来は学校までの送り迎えを担当する予定だったけど、麗奈ちゃんがL女の寮に入ったことで、なしに。
でも今日は実家へ帰るため、朝一で車をまわしてくれたの。
「L女って全寮制だったっけ?」
「希望者は寮に入れるのよ。通うには遠い場合なんかはね」
なるほど……高速を経由しても車で一時間ってことは、電車だと一時間半くらい掛かりそうだもん。通学で往復三時間は厳しいか。
それに本物の『お嬢様』なら、ご実家が電車通学させたがらない気もする。
高速道路に入ってからは前野さんの口数も少なくなった。わたしと麗奈ちゃんの微妙な空気を察し、律夏ちゃんや栞ちゃんは遠慮がちに口を噤む。
途切れがちな会話を繋ぎたくて、わたしは麗奈ちゃんに問いかけた。
「ね、ねえっ。……おばさんは元気?」
「ええ。響希が来るって教えたら、喜んでたわ。会えるかどうかはわからないけど」
麗奈ちゃんのお母さんは健在なんだね。
でも実家とやらまで車で一時間なら、どうして『あの日』は飛行機に乗ったんだろ。行き先は北海道や九州……もしくは海外だった可能性もあった。
律夏ちゃんが急に声をあげる。
「ところでさあ、栞チャン? 選曲のほうは進んでるの?」
じっとしてられないように足を組み替えながら、中央のわたし越しに栞ちゃんへ。
「未公開の分も全部、井上さんに提出済みですよ」
「それって何曲くらい?」
「48曲です」
さらりと言ってのけられ、わたしも律夏ちゃんも目を白黒させた。
「えええっ? そんなにたくさんあるの?」
「小学生の時に作ったような、使いようのない曲もありますから」
「へえ~、筋金入りの職人なんだね。真似できないよ」
驚くとともに感心して、栞ちゃんの横顔をまじまじと見詰める。すると、栞ちゃんは照れくさそうにそっぽを向いた。
「井上さんが、その、『ありったけの曲を聴かせて』と仰るので……」
律夏ちゃんは納得気味に頷く。
「社長サンはボキャロPってとこに注目したんだろーね。栞チャンにとっては作曲家デビューなんて線もあるし、期待しちゃっていいんじゃない?」
引っ込み思案の栞ちゃんは、当然のように謙遜。
「そんなこと……私は趣味でやってるだけで」
「まっ、そんくらいのスタンスが気楽かもね。響希チャンもそうでしょ」
わたしもプロデビューなんて頭になかった。
「うん。夏はフェスタに出るとして……それだけだよ」
実際のところ、井上さんもANGEのデビューを仄めかすのみだった。夏のミュージックフェスタに参加こそ決まったものの、その後のことは何も聞いてないの。
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