第349話

 一応、自分用のスポンジやシャンプーは持ってきておいた。しかし水泳パンツはまだ買っておらず、今夜も丸裸になるしかない。

「大丈夫かな? これ……」

 誰に見つかってもまずいが、ひとりでいるのも心細かった。

 しばらくして、女の子の人影がシャワー室へ入ってくる。

「ごめんなさい、Pくん。待った?」

「う、ううん。今来たとこだよ」

 デートの待ち合わせのような会話になってしまった。しかし『僕』のほうはすでに変身を解き、仕切りで下半身を隠してはいるものの、パーフェクトな全裸。

 それを目の当たりにして、菜々留はぎょっとする。

「えええっ? Pくん、ど……どうして裸なんかでいるの?」

「え? だって、シャワーを……あっ!」

 指差しで指摘され、ようやく『僕』も大失敗に気付いた。

 菜々留の目的は『里緒奈たちには内緒で人間の僕に会う』こと。そのための密会場所として、S女のシャワー室を指定している。

 にもかかわらず、『僕』は里緒奈との経験のせいか、シャワーを浴びるものと早とちりしてしまった。当然、菜々留が今夜も一緒してくれる道理はないのに。

「ごっ、ごめん! なんか勘違いしちゃって……その、先に戻っててくれる?」

 菜々留からすれば、『僕』はスケベ目的で待ち構えていたようなもの。

 ところが――菜々留はほのかに頬を染め、はにかんだ。

「……ううん。すぐ戻ってくるから、待ってて」

 それだけ言い残すと、早足でシャワー室を出ていく。

(なんで僕、裸で待ってたんだろ? お風呂セットまで持って……)

 今ほど自分を愚かしいと思ったことはなかった。S女のシャワー室へ侵入することで頭がいっぱいだった、数分前の『僕』に何時間でも説教してやりたい。

「せめて水泳パンツを買っておけば……」

 やがて菜々留が戻ってきた。少しパジャマの着付けが乱れ、ボタンも開いている。

「考えてみれば、Pくん、今の姿じゃ寮のお風呂に入れないものね。だから、いつもこっちのシャワーで済ませてたんでしょ?」

「いや、普通に使って……」

「いいから、ナナルに任せて。頑張ってくれてるプロデューサーに、ご・ほ・う・び」

 そしてパジャマを脱ぎ、水泳部でお馴染みのスクール水着を見せびらかした。

「ナナルがPくんのお背中、流してあげる」

 『僕』は叫びの表情で驚愕する。

(えええっ? なっな、なんでこーなるのぉ?)

果たして菜々留は仕切りを開け、平然と『僕』の傍へにじり寄ってきた。『僕』の背中にぴったりと張りつき、スクール水着越しに柔らかいものを重ねてくる。

「いつものPくんと全然違うのね。ふふっ……おっきい」

 大きいとは背中のこと。

 少しでも感触を遠ざけようと、『僕』は背筋を伸びあがらせた。

「な、菜々留ちゃん? 何もくっつかなくても……」

「あら? 昨日だって抱っこしたのに?」

 しかし菜々留は容赦なしに追いすがり、スクール水着を擦りつけてくる。

「菜々留ちゃんが、みっ、水着だからだよ!」

「プールで抱っこしたこともあるわよ? こんなふうに、ぎゅ~って」

「はっ裸! こっちは裸だから!」

「だから、Pくんはいつも裸でしょ。ヘ・ン・タ・イ・さ・ん」

 すっかり手玉に取られてしまっていた。

 菜々留が大胆なせいもあるが、何より『僕』は裸のうえ、逃げ場がないのが厳しい。パオーンを隠す必要もあり、動くに動けなくなる。

「ほぉら、シャワーに来たんだから。キレイにしなくっちゃ」

 菜々留の手がシャワーのレバーを捻った。

「ひゃっ?」

 出始めはまだ冷たく、『僕』の身体を震わせる。

 それも数秒ほどで温水になり、足元からもうもうと湯気が昇ってきた。菜々留も『僕』と一緒にシャワーにまみれ、スクール水着ごと身体をびしょ濡れにする。

「ナナルね、男の子のPくんとお話したいことがあるの」

「そ、それなら別に……ホットラインでも」

「んもう。今度のデートの約・束! こっちのほうが気分も出るでしょ?」

 スクール水着の女の子とシャワーでイチャイチャなど、まさか。

 今の『僕』は滝に打たれるような心境だった。

(やばいよ、これ! こんなところで菜々留ちゃんと、シャ、シャワーだなんて……)

 さっきも見た、宿直の灯かりを思い出す。

 人間の姿では大半の魔法が使えないため、この窮地は運に任せるほかなかった。スリルとしては満点、男子としては赤点の大ピンチに、ぞっと血の気が引く。

 しかし青ざめたのも一瞬のことで、またも『僕』は赤面した。

「ちょっ、ちょっと? 菜々留ちゃん?」

「ご褒美に手伝ってあげるって、言ったでしょ? Pくんは楽にして」

 菜々留がシャワーを緩め、スポンジを掴み取る。それにシャンプーを混ぜ、軽くほぐすように泡立てたら――『僕』の背中に片手を添えて。

「えぇと……こうかしら?」

 思わず『僕』は感嘆の息を吐いた。

「はあ~っ! そ、そんな優しくされたら、僕……!」

 強すぎず、かといって弱すぎず。泡で滑りをよくして、ごしごしと丹念に磨かれる。

 アイドルに背中を流してもらえるのだから、嬉しくないわけがなかった。次第に『僕』は抵抗を忘れ、鼓動は早いままに、身体をリラックスさせる。

「うふふっ。ねえ、Pくん? 今度のお姫様デートだけど……男の子の恰好のほうで、ナナルとデートしない?」

「え? でも誰かに見られたら……」

 『僕』は里緒奈や恋姫に見つかったら、というつもりで言ったのだが、彼女は別の意味に捉えたらしい。

「認識阻害の魔法があるから、大丈夫でしょ? なんたってPくんと一緒だもの」

 人間の姿では魔法が使えないとはいえ、認識阻害くらいなら多少は維持できる。その効果があれば、アイドルでも気軽に街へ出たり、買い物したりすることが可能だった。

 しかし逆に言うなら、魔法の恩恵があっても、やはりアイドルとしてプレッシャーを感じているのだろう。普段はできないことがしたい、という気持ちもわかる。

「ナナルもデートっていうの、してみたいのよ。……ね?」

 こうなっては期待に応えるほかなかった。

「じ、じゃあ……日曜は僕とデートしようか」

「ええ! 約束よ? Pくん」

 菜々留は柔らかな笑みを綻ばせる。

(そ、そうだよ。これは菜々留ちゃんのためで、里緒奈ちゃんを裏切るわけじゃ……)

 心の中では延々と言い訳が続いていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る