第348話

 にもかかわらず、菜々留は愉快そうに微笑んだ。

「だ・い・じょ・う・ぶ。Pくんが男の子ってことは、内緒にしておいてあげるわ」

 藁にも縋る思いで『僕』は問い返す。

「ほ、ほんとに? 美玖に突き出したりしない?」

「美玖ちゃんと警察は同列なの? うふふ、美玖ちゃんが怒るわよ」

 その間も菜々留は人差し指で『僕』の背中をなぞっていた。

 里緒奈とのお風呂デートとはまた違った、際どい背徳感に身震いする。

(どっ、どうしよう? 逃げないと……)

 とにかく今は股間を隠すので精一杯だった。少しでも彼女の気を逸らそうと、『僕』は思いついた限りの質問をぶつける。

「えぇと、その……なんでまだプールに残ってたの?」

「今日はナナルがPくんと買い出しに行く当番でしょう? あと、ぬいぐるみの身体じゃシャワーに届かないだろうから、手伝ってあげようと思って……」

「そっ、そうだ! 変身――」

 ぬいぐるみの姿に戻ろうとするも、菜々留には許してもらえなかった。

「だめよ? ナナル、今のPくんとお喋りしたいんだから」

「お喋りなら……べ、別にいつもの姿でも……」

「だからぁ、男の子と! 秘密にしてあげるんだから、ナナルに付き合って、ね?」

 残念ながら今、主導権は彼女にある。

 菜々留がシャワーを止めると、水滴が滴るだけになった。

「美玖ちゃんは知ってるんでしょ? Pくんが男の子だってこと」

「そ、そりゃあ……妹だし」

 『僕』にとっては尋問も同然で、回答するのが怖い。

「じゃあ、恋姫ちゃんや里緒奈ちゃんは?」

 さらには里緒奈のことを思い出し、今までにない罪悪感に駆られた。

(こんなとこ、里緒奈ちゃんに見られでもしたら……!) 

 『僕』と里緒奈は交際しているわけではない。先日のデートも、兄妹のような関係の範疇に収まっている。ただ、あの夜のお風呂デートは明らかに一線を超えていた。

 ならばこそ、ここで菜々留との関係を進めることはできない。

 一方で、菜々留とまでそう上手く行くわけがない、と冷静に考えもした。

 菜々留は『僕』の正体が人間の男子だったことを知り、珍しがっているだけ。適当に話を合わせれば、やり過ごすことはできる。

 幸いにして今はS女の下校時間が迫っていた。

「そ、それより買い出しに行かないと……ふたりも心配するかも、だし」

 苦し紛れになってしまったものの、菜々留は渋々と頷く。

「そうねぇ……じゃあ続きは今度、またここでね」

「え? また?」

 ところが、次の機会を約束させられてしまった。

「プールのあとで合流……じゃ、確かに時間がないわね。寮じゃ里緒奈ちゃんたちに見つかっちゃって、ふたりだけの秘密じゃなくなるし……うん。やっぱりここがいいわ」

「それってつまり……忍び込め、と?」

「だから、みんなには内緒。……ワクワクしてこない? Pくん」

 里緒奈は唇に人差し指を添え、ウインクを決める。

 この提案は口止めも兼ねていた。夜中の学校へ忍び込む共犯者となっては、自分だけでなく彼女のためにも、『僕』は黙るほかない。

(意外に強引なんだよなあ、菜々留ちゃんって……)

 素っ裸では逆らう気にもなれず、『僕』は素直に頷いた。

「わかったよ。言う通りにするから」

「よくできましたっ! そうだわ、内緒話用に新しいホットラインを……」

 アイドルたちとのトラブルは終わらない。



 そして金曜の夜――約束の時がやってきた。

 夕飯の間も『僕』はそわそわするばかりで、里緒奈が訝しむ。

「どうしたのぉ? Pクン。お仕事が終わってから、ずっとそんな調子じゃない?」

「そ、そう? お仕事のこと考えてるだけだよ?」

 実際、SHINYの活動で気掛かりなことは多かった。五月に入れば、いよいよ企画群も一斉に本格化する。その準備で今日も『僕』は奔走していた。

 その一方で、昨日の木曜はちゃっかり里緒奈とお風呂デート。先日のようなソーププレイに至らずとも、アイドルに背中を流してもらえるのだから、たまらなかった。

 ところが今夜は菜々留との約束が予定に入っている。

(ええと……僕がお風呂に入る番になったら、ホットラインで報せて……)

 もちろん里緒奈を裏切るつもりはなかった。しかし今夜の約束は浮気も同然で、これから悪いことをする、という罪悪感が肺を圧迫する。

 やがてお風呂の頃合いとなり、恋姫、菜々留、里緒奈の順に入浴を済ませた。お風呂上がりの里緒奈が『僕』にノックで報せてくれる。

「Pクン、お風呂空いたよ~」

「あ、ありがとう? すぐ入るから」

 また声が裏返ってしまった。『僕』は嘘をつくのが下手らしい。

 認識阻害で誤魔化す手もあるにはあるが、里緒奈たちは常時『僕』の魔法の影響下にいるため、認識阻害が効きづらくもある。

 里緒奈の気配が充分に遠のいてから、『僕』はこそこそと部屋を出た。

 寮の裏手へまわり、抜け道からS女のプールへ直行する。

(学校との連絡用に作っておいて、よかったよ。……ん? よかったのかな?)

 SHINYがいつでもプールで撮影できるように、S女の許可を得て作った、秘密の通路だった。水泳部の活動に直行する時も使っている。

 夜中の学校は静まり返っていた。一部にだけ灯かりが点いているのは、宿直のもの。

(誰もいないってわけじゃないもんな……)

 細心の注意を払いつつ、『僕』はプールのシャワー室へ忍び込む。

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