第315話

 聡子さんはむしろ自分に言い聞かせるように呟いた。

「安心してください。実は昨日のうちに連絡があって、リカさんがロケ地を発つことは、想定してたんです。空港へは矢内先輩が迎えに行ってくれるはずですから」

 リカが帰ってきた時のプランBは、すでに動き出してるんだわ。

 不安そうに結依が声を震わせる。

「リカちゃん……間に合いますか?」

 今度こそ聡子さんは気休めを口にしなかった。

「厳しいですね。とりあえず明日は、リカさんは間に合わないものとして進めます」

 その言葉がわたしの、メンバーの胸を締めつける。

 奏は無念そうに唇を噛んだ。

「あと一日……ううん、あと半日でも早ければ……もうっ」

「着替えやメイクだってあるもの。残念だけど、とても間に合わないわ……」

 咲哉の声も沈む。

 わたしだって何度も時計を見て、計算したけど、望み通りの結果は出なかった。明日のコンサートにリカは間に合わない。早かったとしても、開演の一時間後なのよ。

 それがわかってるから、奏も咲哉も、聡子さんも押し黙る。

「――提案があるんです。聡子さん」

 重苦しい空気の中、不意に結依が声をあげた。

 結依なら――と、わたしたちは期待を胸に、その言葉の続きを待つ。

「リカちゃんが歌える曲を、なるべく後ろにまわしてもらえませんか? 『ハヤシタテマツリ』は後半にして欲しいんです」

 苦肉の策だった。

 リカが不在でも歌う予定だった『ハヤシタテマツリ』を、あとまわしにするのよ。それなら一時間ほど遅刻しても、リカはステージへ飛び込める。

「じゃあ『Rising・Dance』も……」

「あれはNOAHの代表曲でしょ。出し惜しみするわけにいかないわ」

 わたしの脳裏に閃きが走った。

「聡子さん! わたしの『蒼き海のストラトス』を前に持ってきませんか?」

 あの曲を歌うのはわたし、明松屋杏だけ。それで時間を稼ぐことはできるはず。

 けれども聡子さんはかぶりを振って、難色を示した。

「お気持ちは嬉しいのですが……あの曲は明日の目玉なんですよ。先に歌ってしまって、さらにリカさんも間に合わなかったら、ジリ貧に陥りますので」

 名案だと思っただけに歯痒い。

 気落ちするわたしの肩に、咲哉が優しく触れた。

「検討の価値はあるわよ。あとは聡子さんに任せて、わたしたちは休みましょう」

「……そうね」

 NOAHの全国ツアーは波乱の幕開けとなってしまった。

 リカ……今、どこにいるの?

 間に合うんなら、早く帰ってきて!

 

                  ☆


 ついに全国ツアー、第一コンサートの朝がやってきた。

 依然としてリカからの連絡はなく、わたしたちは時計ばかり気にしてる。聡子さんも腕時計に目を遣りつつ、マネージャーとして決断した。

「気持ちを切り替えていきましょう、みなさん。リカさんがいても、いなくても、ライブはライブです。ファンは最高のステージを期待してくれてるんですから」

「……はい!」

 聡子さんの言葉は正しいわ。

 リカが間に合わない以上、4人でステージに立つしかないんだもの。これで『リカが遅れたから失敗』なんて醜態を晒したら、リカの頑張りだって無駄になる。

「あと、今日のプログラムですが……プランをふたつ用意しました」

 聡子さんはファイルを開けると、最新のプリントをバインダーから外した。

「ライブの最後には予定通り、杏さんに『蒼き海のストラトス』を歌ってもらいます。ですが、リカさんの飛び込みが発生したら、下のプログラムに変更となりますので」

 奏はなるほどと頷いた。

「リカの合流をサプライズ的に盛りあげようってわけね」

 予定表は上下に枝分かれして、下のほうでは『蒼き海のストラトス』が省かれてる。

「杏さんの出番は次回以降のコンサートとなりますが……よろしいですか?」

「え、ええ……わかりました」

 リカが間に合えば、ママの歌は持ち越し……?

 明松屋杏としては苦渋の展開、そのはずだった。けど、わたしは心のどこかで『安心』してしまい、そんな自分に慄然とする。

 ホラネ? アナタ、覚悟ナンテ全然、デキテナイジャナイ――。

 迷いを振りきるように、わたしはメンバーに発破を掛けた。

「わたしたちは練習よ。結依、奏、咲哉」

「はいっ!」

 午後から会場となるコンサートホールは、幸いにして午前のうちから使えるわ。わたしたちはリハーサルを兼ね、足場の広さや、間合いの感覚を掴んでおく。

 お昼ご飯はお弁当屋さんからの配達ね。

 控え室でそれを食べてると、聡子さんが駆け込んできた。

「矢内先輩から続報が来ました! リカさんと今から新幹線に乗るそうです!」

 結依ががたっと立ちあがる。

「間に合いますかっ?」

 それはわたしや奏、咲哉の願望でもあった。

 しかし聡子さんは目を伏せる。

「……この時間ではもう無理でしょう。遅刻は避けられません……」

 どうして? やっぱり?

 諦めきれない疑問が湧いては、現実に打ちのめされた。奏は悪態をつく。

「ほんっと、遅刻の常習犯なんだから……リカのやつ」

「ライブに飛び込むにしても、リカちゃんのコンディションは大丈夫なの?」

 咲哉の冷静な言葉に、わたしははっとした。

 リカのことだから、何が何でも滑り込むつもりで、飛行機に乗ったのよ。そのフライトが十時間で、さらに新幹線でも数時間――ちゃんと寝てるのかしら?

「みなさんは食事が終わったら、着替えて、待機してください。じきにお客さんが会場入りしますので、もう出歩いたりしてはだめですよ」

 聡子さんは念を押すと、慌ただしい足取りで戻っていった。

 わたしたちはステージ衣装に着替えつつ、開演よりもむしろリカの到着を待つ。

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