第287話 『やってらんない』

 私立L女学院。

 この伝統と由緒ある学び舎に、わたし、明松屋杏はかれこれ五年も通ってるの。

 小学校の卒業と同時に、中等部へ入学したのが最初ね。ママの母校でもあって、女学院の理事や学院長からも『ぜひ』とご招待いただいて。

 その頃には芸能関係のお仕事に携わってたから、娘のわたしにも知名度はあったわ。

 明松屋千夜(かがりやせんや)の娘、明松屋杏ってふうに。

「せんや? ちやじゃなくって?」

 そんな質問を、まさか大人気アイドルの有栖川刹那に振られるとは思わなかった。お昼休み、わたしは彼女と向かい合わせでランチを食べるのが、恒例になってる。

 刹那が登校してきた日に限るけど、ね。

「あなた、マーベラスプロのタレントなんでしょう? ママと同じ」

「わたしが芸能界に入ったのなんて、割と最近よ。昔のことは知らないわ」

「まあ……もう二十年くらい前のことでしょうけど」

 この春にわたしは高校三年生となった。

 誕生日は三月だから、まだ当分は十七歳よ? ほんの一ヶ月の差で、結依やリカたちと学年がずれちゃったのが悔やまれる。

「お母さんを『ママ』と呼ぶってことは、お父さんは『パパ』なの?」

「そ、そうよ。別にいいじゃない、それくらい……」

 ママの話になったのは、さる雑誌に明松屋千夜のインタビュー記事が載ったから。

 刹那ったら、わたしが明松屋千夜の娘だって、知らなかったのよ。

『珍しい苗字よね。親戚のひと?』

 食事中なのに、開いた口が塞がらなかったわ。

 ママが有名になった理由の一割くらいは、この奇抜な名前のおかげ。松明(たいまつ)のお店で明松屋(かがりや)だなんて、普通は読めないもの。

 御前や九櫛、朱鷺宮といい勝負でしょ。

「あなたの名前も割と珍しいほうよね。有栖川刹那って」

「そうかしら?」

 今日も窓の外は生憎の雨。

 梅雨に入ってからというもの、お日様もめっきり顔を出さなくなっていた。

「はあ……」

 お箸を休め、わたしはアンニュイな溜息をつく。

 決してお弁当のブロッコリーが苦手ってわけじゃないわよ? ピーマン嫌いの誰かさんじゃあるまいし。リカのようにマヨネーズが欲しいわけでもなかった。

「どうしたの? 思わせぶりな顔しちゃって」

「ちょっと……ね。決着をつけたいことがあるの」

 相手が刹那なら、話しても大丈夫かしら。

 NOAHのメンバーには内緒に、と釘を刺したうえで、今回の悩みを打ち明ける。

「そろそろ結依に敬語をやめて、普通に話して欲しいのよ」

 刹那は頬杖をつき、気怠げに雨模様を眺めた。目を逸らしたともいうわね。

「もう諦めたら? それだけ、慕われてるってことでしょうし」

「でもわたしは三月生まれで、結依は四月生まれよ? 一緒にアイドルやってるんだし、もう少し距離を縮めたって……ねえ?」

 何が何でも同意が欲しくて、こっちは躍起になる。

「咲哉もひとつ上なのに、同じ高二だからって、結依ったら敬語を使わないの。じゃあ、わたしのことも気楽に……わかるでしょう? 刹那ぁ~」

「はいはい。聞いてるってば」

 音を上げるように刹那はわたしに向きなおり、嘆息した。

「まあ杏の場合は、仮に同い年でも、敬語で喋られそうな気がするけど」

「どうして?」

「あなた、いかにも優等生ってイメージで、お堅いんだもの」

 その一言がぐさっとわたしの胸に突き刺さる。

 わたしは両手で顔を押さえ、青ざめた。

「そんな……『ちゃんと』してるだけなのに……」

「だから、その『ちゃんと』の部分がマイナスになってるわけよ」

 リカの発想でしょ? それは。

 真面目だとか、品行方正だとか、本来は誉め言葉のはずなのよ。L女学院の生徒も淑女として、気品のある振る舞いを旨としてるわ。

 ところが一部の女の子(リカや奏)は、美徳であるべきものを反転させたがるの。

 融通が利かないだの、頭でっかちだの。

 あの子たちはほんとにもうっ!

「わたしが言いたいのは、年功序列なんていう封建的で時代錯誤な悪習は、メンバー間の柔軟な人間関係に、支障をもたらしかねないってことで……くどくど」

 勢い任せにまくし立てると、刹那にオデコを小突かれた。

「だーかーらー、そこが頭でっかちなのよ、杏は」

「くっ」

 今度は刹那のほうが流暢にまくし立てる。

「そーやって正当化に固執しちゃうのが、あなたの悪い癖ね。自分の価値観を他人に押しつけるわけだから、反感も買うのよ。玄武リカとも、それで衝突したんでしょ?」

 まさに図星であって、その件はわたしも反省してた。

 ぐうの音も出ず、わたしは刹那の的を射たアドバイスを反芻する。

「結依ちゃんに理解して欲しいなら、まずはあなたが結依ちゃんを理解しないと。頭ごなしに言ってばかりじゃ、いずれこうなるわよ?」

 刹那は薄ら笑いを浮かべたうえで、結依の声色を真似た。

「杏さんってぇ……ウザイ、ですよね」

「ひいっ!」

 あまりの冷たさに、悲鳴が口をついて出る。

「お食事中でしてよ? 明松屋さん」

「ご、ごめんなさい……」

 んもう、クラスメートのレディーに叱られちゃったじゃないの。

 しかし刹那の悪ふざけとはいえ、心臓に悪かった。あの可愛い結依に『ウザイ』なんて言われたら、立ちなおれる気がしないわ……。

「それこそ封建的で時代錯誤な悪習が、ええと、そうそう、柔軟な人間関係に支障をもたらすパターンだと、思わない?」

「く……参りました」

 わたしは刹那先生の教えに平伏する。 

「じゃあ、どうすればいいの? 敬語の壁を取り除くには」

「そーねえ。お堅いイメージを改めて、親しみやすさをアピールするとか?」

 幸いにして光明は見えつつあった。まだ絶望するには早いわ。

「要するに『理想の先輩』から『気心の知れた友達』になれってことね」

「理想のって、あなた……その自信はどこから来るわけ」

 色々と試してみる価値はありそうね。

 春のうちは忙しかったけど、楽曲も大体はマスターして、余裕が出てきたもの。できることなら全国ツアーまでに、結依との関係を進展させておきたかった。

「結依ちゃん以外のメンバーにも相談してみたら?」

「わかったわ。ありがとう、刹那」

 明松屋杏のイメージアップ大作戦、スタートよ。

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