第286話
「なるほど……趣味はあくまで趣味として大事にしたい、というわけですね」
「そんなとこかな? なあ、タクト」
しかしタクトのほうは納得せず、小難しい表現で反論を続けたがった。
「もっとこう、本質的にはアンデンティティの問題なんだ。オレがあまりに才能に溢れては、神の怒りに触れるかもしれんだろう? だから、完璧にならないように……」
それを恋人の聡子は平然とスルー。
「長くなりますので、放っておいてください」
「お、おう」
この夏もタクトと聡子はあまり進展しそうになかった。
透は頬杖をつき、二組のカップルを見比べる。
「志岐くん、あ~んして」
「ああーん」
片や人目も憚らず、新婚のようにイチャイチャする志岐と綾乃。
「お醤油、そっちにありませんか」
「自分で取るがいい」
「……タクトくんの目の前にありますよね?」
片や熟年の夫婦のようにドライな空気のタクトと聡子。
(俺の焚きつけ方が間違ってたのかもなあ……)
タクトと聡子のペアに関しては望み通りのはずが、肩透かしを食った気分だった。
ふたりに何と吹き込んだのかは透自身、よく憶えている。
聡子には、
『聡子ちゃんが相手してやらねえと、タクトのやつ、一生独身だぜ?』
同じくタクトには、
『聡子ちゃんにしとけって。理想はこれからも二次元で追いかけて、だなあ……現実は妥協できる時に妥協しとくもんだろ』
その後押しが功を奏したようで、ふたりは交際に至ったらしい。しかし今のタクトや聡子の淡白っぷりを見ていると、余計な世話を焼いちまったか、とも思えた。
「ところでさぁ、タクト。お前、いつ結婚すんの?」
何気なしに透は核心に触れてみる。
霧崎タクトは赤ワインの香りを呷りつつ、自慢でもするようにまくし立てた。
「考えているとも。小夜とは近いうちに……テレーズともそろそろ話を進めないとな。明日香も待たせているから、プロポーズは豪勢に行くつもりだ」
「二次元の嫁の話じゃねーよっ!」
堪えきれずに透が突っ込む。
「ほら、聡子ちゃんのカオがまた冷めきってんぞ?」
聡子は呆れ果て、その表情は無我の境地に達していた。
「まあ……NOAHのみなさんが高校を卒業したら、とは……」
「そんなこと言ってたら、さっちゃん、いつになるかわかんないよ?」
志岐の正論も珍しい。
綾乃は聞かれてもいないのに喋りだす。
「こっちはパティシェルの高校卒業なんて待つつもりないわよ。私と志岐くんには関係ないことだし? んふふ……やぁーん、もうっ!」
それでも先を行っているのは聡子のはずで、彼女の左手には指輪があった。前に会った時はなかった銀色の小さな輝きが、透をほっとさせる。
「ふたりで決めてんなら、いいよ。志岐も具体的な話が決まったら、教えてくれ」
「うん。……で、透は? えぇと、メイク担当の女の子とどうこうってやつ」
ぶしつけな質問のせいで酒が苦くなった。
「……ハア~。聞きたいか?」
「やめとく」
聡子が苦笑がてらフォローを挟む。
「焦ることありませんよ、透くん。透くんはちゃんと分別があって、タクトくんほど非常識じゃないんですから。きっと素敵な相手が見つかります」
「いちいちオレを貶めてくれるな」
「生粋の変人と比較されてもなあ……」
霧崎タクトが相手では、今さら嫉妬が燃えるはずもなかった。
やはり自分は身を引いて正解だったと、透は反芻する。
(聡子ちゃんより素敵な相手を見つけねえと、な)
この経験はいずれ次の恋を成功させてくれる――そう信じたかった。
「それで、メイクの担当さんというのは?」
今のところ成果はないのだが。
「そんなに面白い話じゃないって。オカマの彼氏がいて、その彼氏がなんかオレに迫ってきやがって……っと!」
「えええっ? と、透……まさか、僕が知らない間に」
「彼女ができないのは、それが理由か」
「それこそ需要があるのは二次元だけよ? リアルは余所でやってちょうだい」
「ちっげーよ! 勝手に深読みすんな、お前ら!」
次の肴は注文してやるものか、と思った。
ご愛読ありがとうございました。
次回より明松屋杏編『やってらんない』が始まります。
まだまだまだまだ続くけど、よろしくね。
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