第280話
梅雨も明け、いよいよ夏本番!
NOAHは全国ツアーを控え、夏休みの前にはほとんどの準備を終えていた。歌はもちろん、夏樹ちゃんのおかげで、ダンスの練習もばっちりだよ。
ただ、リカちゃんからの連絡が途絶えてるのが、気掛かりだった。
レッスンのあと、夏樹ちゃんは言ってのける。
「心配いらねえって。映画の撮影に全力投球してんだろ」
そう……だよね?
リカちゃんから最後の連絡が届いたのは、半月も前のこと。
『ごめん。残りの二週間はマジだから。ツアーの初日はアタシの衣装も用意してて』
今までにない『本気』の気持ちが伝わってきた。
ファンもリカちゃんの海外遠征を好意的に受け止め、応援してくれてる。しかしVCプロは全国ツアーの第一コンサートを、『玄武リカは欠場』とアナウンスしてた。合流するはずのリカちゃんがいなかったら、みんな、がっかりするでしょ。
井上さんは、リカちゃんは初日に間に合わないものとして、舵を取ってる。これがリスクマネジメントなんだって、杏さんが教えてくれた。
「確かにリカが合流するなら、コンサートの宣伝にはなるんでしょうけど……」
「ひとりの都合のために、危ない橋を渡るわけにはいかないものね」
奏ちゃんも楽観視はせず、状況を冷静に読む。
「わたしの復帰も、もう過去の話になっちゃったみたいね」
「ライバルが手強いから、しょうがないわよ」
咲哉ちゃんの電撃復帰は大きな話題になったものの、玲美子さんの声優復帰にすっかり取って代わられてた。半分くらいは玲美子さんの意地悪が成せる業だよ、これ。
さらにリカちゃんの一時離脱……NOAHの勢いは失速しつつあった。リカちゃんが春に撮影した映画の公開も近づいてるからこそ、リカちゃんの不在は響く。
「あのバカの存在感を思い知らされたわ……ほんと」
「バカって、あなたね……」
私と、杏さんと、奏ちゃんと、咲哉ちゃんと。
四人じゃNOAHは百パーセントにならないんだ。
助っ人の夏樹ちゃんがぼやく。
「まっ、ツアーは一日じゃねえんだし。アイフェスまで、まだ一ヶ月以上もあるんだからよ? ちょっと遅れるくらいが、スタミナも持つんじゃねえの?」
奏ちゃんも口を揃えた。
「確かにね。余所のアイドルが息切れする可能性も……」
「だろ? 焦って、カードを全部切っちまったら、もうあとがないんだぜ」
余所の企画会議でも、よくこんな話になるんだって。
特にNOAHチャンネルのような動画配信で、それは顕著だった。
アクセス数ってね、更新がないことには増えないんだよ。だから、とにかく一回でも多く更新しなくちゃって、躍起になる。
しかし形だけの更新を乱発しても、こっちが消耗するだけで、せいぜい一時的に数字を誤魔化すことしかできないの。
全国ツアーの開始からアイドルフェスティバルまで、およそ一ヶ月。途中で息を切らさないためにも、あえてタイミングを遅らせるという作戦は、理に適ってた。
杏さんがやきもきする。
「とにもかくにもリカ次第よ。んもう……連絡のひとつくらい、寄越してくれれば……」
「リカちゃんは自分のやるべきことを果たしたいのよ」
咲哉ちゃんは遠征中のリカちゃんをフォロー。
私は奏ちゃんと目配せして、口を噤む。
(杏の様子もおかしいし……どっちも心配ね)
(うん……)
夏を目前にして、NOAHはいくつかの不安要素を抱えていた。
センターの私にできるのは、レッスンと、メンバーを信じることだけ。
「あと少しでツアーだもん。頑張ろ!」
「おーっ!」
早く帰ってきて、リカちゃん。
やっぱりフルメンバーでステージに立ちたいから。
☆
ええっと……日付変更線の東と西、どっちが先に明日になるんだっけ?
結依たちのほうは夏休みに入ったはず。一方、アタシもついに最後の撮影を終えようとしていた。サキの役も板について、自然と身体が動く。
「時間がないからって、こっちは妥協しないぞ。一発で決めろ」
大野監督の言葉通り、撮影は一回で済んだ。
「お、終わった……!」
まだロケは続くものの、これでアタシの出番は片付いたわ。
長かった三週間の出来事が、胸をいっぱいにする。
「ぼやぼやしてていいのか? 玄武。お前はよくやった。次の仕事へ行け」
「は、はい! お世話に……いえっ、ありがとうございました!」
大野監督は最後までぶっきらぼうだった。
でも、このひとはアタシの我侭を聞き、スケジュールを調整してくれたのよ。それに――散々叱られた分、アタシは女優として新たな一歩を踏み出せた。
もう『天才子役』だなんて昔の肩書きで、呼ばせないわよ。
アタシは一端の女優。そしてNOAHのアイドル、玄武リカなんだからっ!
「柏木、玄武に車を――」
「空港までは私が送るわ。任せてちょうだい」
大型のバイクがエンジンを噴かせた。
ライダースーツの英梨香さんが、スペアのヘルメットをアタシに寄越す。
「大きな荷物はあとで届けてもらえばいいでしょう? 早く乗って」
「う、うんっ!」
スタッフにお別れの挨拶もできそうにないわね。
「パスポートを忘れるなよ。ケータイは?」
「ん……大丈夫。ちゃんと入ってるわ」
この三週間でボロボロになっちゃった台本は、蓮華さんが預かってくれることに。
「いってらっしゃい、リカちゃん」
「ほんとーにありがとう! 蓮華さん!」
蓮華さんがいなかったら、アタシはこの場所で立ちなおれなかった。
同じく大野監督がいなかったら、成長できなかった。
スタッフのみんなだってそうよ。みんながアタシを精一杯に支えてくれたの。
「さよぉーならー!」
そして今、アタシは英梨香さんのバイクで、お城を飛び出す。
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