第279話
でも玲美子さんも、そうなんだっけ。大人気の声優になるはずが、理不尽な形で夢を奪われて――だからこそ、あの強さがある。
「じゃあ、蓮華さんも……?」
「わたしはちょっと違うのよ。実業団に入って、マーベラスプロへ移籍して……女優としては順風満帆でスタートできたほうだと思うわ」
そして蓮華さんも、成功だけを経験してきたひとじゃなかった。
上擦った声が自嘲を孕む。
「高校の演劇部で賞を獲って……わたしは後輩たちに部を託して、卒業したの。でも翌年の文化祭に行っても、演劇部の公演はなかった……」
蓮華さんの横顔に寂しげな笑みがよぎった。
「下級生のみんなはさほどやる気がなかったのよ。わたしたちの代が卒業した途端、演劇部は過去の実績と名前だけのものになって……悔しかったの、今でも憶えてるわ」
プロの世界でも通用する卒業生と、あくまでクラブ活動のつもりだった在校生、か。
牽引力を失った演劇部は、活動を疎かにした末に自然消滅。蓮華さんの熱意は、お客さんには伝わっても、同じ舞台に立つ仲間には伝わらなかったんだ。
「誰が悪い話でもないんだけど、ね」
確かにそうかもしれない。卒業生の偉業を大きな壁のように感じ、在校生が委縮した部分もあったのよ、きっと。
「はっきり言われちゃったわ。私たちは先輩がたの期待に応えられるほど、演技が上手くないんです、って。……そんなつもりはなかったのに」
結果が出せないのなら、頑張っても無駄――そう考えちゃったのね。
実際、専門学校にはそんな空気が蔓延してた。最初から結果だけを求め、見込みがないようなら、体よく投げ出す。
そこまで過激でないにしても、演劇部の後輩たちは蓮華さんを追うことを、満場一致で諦めたワケ。それに対し、蓮華さんは『失敗を恐れずに頑張れ』とは言えなかった。
だって、蓮華さんは努力が報われて、成功したんだもの。
「だから……わたし、後輩らしい後輩がいなくって。リカちゃんなら、わたしの期待に応えてくれると思ったの」
稀代の女優とは思えない、素朴な願いだった。
「それに、あなたには一流の映画を経験して欲しかったのよ。興収を目的としない、映画好きが集まって作る、映画好きのための作品を……ね」
このひとはアタシを認めてくれてる。
アタシを天才子役の玄武リカじゃない、ひとりの女優として。
「ごめんなさいね。NOAHも大事な時期なのに、リカちゃんに無理強いして。今も本当は寂しくって、たまらないんでしょう?」
蓮華さんに手を差し伸べてもらって、やっとアタシは自覚した。
子役時代は知らない大人たちに囲まれても、どうってことなかったのよ。それがアタシにとっては普通のことで、仲間や友達って発想自体がなかったんだもん。
でも、アタシはNOAHのみんなと出会った。
結依と一緒に演るのが楽しくって。
杏をからかうのは面白くて。
奏とダベるのが気楽で。
咲哉とファッション誌を広げるのも、気に入ってた。
それが全部なくなって、ひとりぼっち。みんなと一緒に頑張れないから、こんなにも調子が狂って、満足な演技ひとつできないの。
その気持ちが裸になるや、猛烈な寂しさが込みあげてきた。
「会いたい……みんなに、早く……ぐすっ、あたひもツアーに出たいよぉ……!」
両方の瞳から大粒の涙が溢れ、せっかくの星空が滲む。
いつしかアタシは蓮華さんの胸にしがみついて、泣きじゃくってた。
「うわああああんっ!」
結依たちと会えないまま、時間だけが過ぎていく。
あと二週間で再会できるってわかってるのに、胸が苦しい。
「知らなかったの……ひぐぅ、アタシ、ひとりで頑張るのが……こんなっ、こんなにつらいなんてぇ! うええっ、全然……何も!」
蓮華さんはアタシを抱き締め、優しく撫でてくれた。
熱い涙で頬が濡れる。嗚咽が言葉を妨げる。
それから――どれだけの時間、泣いたのかな。潤みきった夜空の果てで、一筋の流れ星が落ちていった。
「好きなだけ泣くといいわ。内緒にしててあげるから。そして泣くだけ泣いたら、一緒に行きましょう。監督のもとへ」
「ど、どぉして……?」
大先輩の檄が勇気を与えてくれる。
「NOAHのみんなが待ってるんでしょう? ステージで」
その十分後、アタシは蓮華さんとともに深々と頭を下げていた。
「お願いしますっ!」
大野監督は渋い顔で聞いてる。
「わたしからもお願いします。サキのシーンを先に撮ってもらえませんか」
我ながら無茶な要求してるって、頭ではわかってた。
玄武リカがNOAHの全国ツアーに間に合うように、撮影のスケジュールを今から変更してくれって話よ? 蓮華さんが言いだした時は、アタシも耳を疑ったわ。
ただでさえ連日の雨で撮影は遅れてるのに。
「お……お願いします!」
それでもアタシは誠心誠意、頭を下げるしかなかった。
大野監督が溜息を漏らす。
「……まあ、玄武の夏の予定に割り込んだのは、こっちだからな。鳳まで一緒に来られちゃあ、考えないわけにもいかん」
「じゃあ、監督……!」
アタシが顔を上げたところへ、びしっと人差し指が突きつけられた。
「ただし条件がある。腑抜けた演技は二度とするなよ」
我侭が通ったんだわ。
アタシは背筋を伸ばし、はきはきと宣言する。
「は、はいっ! 必ず最高のサキを演じてみせますから!」
「わかったなら、もう行け」
監督の了承を得てから、アタシはケータイでNOAHのみんなに伝えた。
『ごめん。残りの二週間はマジだから。ツアーの初日はアタシの衣装も用意してて』
向こうはじきにお昼かな? でも返信は待たず、ケータイを閉じる。
次にメッセージを送るのは、撮影が終わってからよ。
そしてマラソンのような撮影が始まった。
時間の許す限り、アタシは蓮華さんに付き合ってもらって、稽古に没頭する。芸達者な蓮華さんが役を全部こなしてくれるから、読み合わせは捗った。
「まだ演技中に頭で考えてるわね。もう一回よ」
「はい!」
蓮華さんの指導は口ぶりこそ穏やかなものの、大野監督ばりに厳しい。秒の半分でも遅れたら、すかさず『やりなおし!』の喝が飛んできた。
英梨香さんの差し入れで喉の渇きを癒したら、すぐに台本を手に取る。
「ありがと、英梨香さん」
「ええ」
サキのシーンはもちろん一発オーケー。現場のモチベーションも上がってきた。
「監督、もうワンシーンお願いします! 陽が出てるうちに……」
「そうだな。3カメ、位置の変更だ! 急げよ」
太陽が傾いたら、絵面も変わるわ。分刻みで全員が動き、準備を整える。
蓮華さんの平手打ちがアタシの頬に決まった。
「――カーット!」
今のは演技よ。でも、本当にぶたれたくらいの緊迫感は出せたわ。
「蓮華さんってば、力入れすぎ……」
「うふふ、ごめんなさい。リカちゃんの迫真の演技につられちゃって、ついね」
まだ痛い頬を押さえてると、大野監督が氷を分けてくれた。
「横っ面が赤くては、撮影できんぞ。冷やしてろ」
「あ……ありがとうございます」
「もう『天才子役』などと呼ばせるなよ」
今のって……もしかして?
その頃にはケータイの電池が切れちゃってた。
もうちょっとだけ待っててね、結依。杏と、奏と、咲哉も。
約束したんだもん。最高の映画を撮ってくるって。その約束を破ったら、アタシにNOAHのメンバーを名乗る資格はないの。
結依たちとこれからも肩を並べるために。
一緒に夢を追いかけるために。
玄武リカ、一世一代の大一番よ!
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