第105話
お夕飯は聡子さん手製のホイコーロー。なんでも作れちゃうから、すごい。
「しっかり食べてくださいね。おかわりもありますよー」
「いただきまーす!」
レッスンのおかげでお腹も減ってた。嬉々として私はお箸を動かす。
一方で、杏さんとリカちゃんはまだダウン気味だった。
「元気ね、結依は……あれだけ動いたあとなのに」
「ほんと、ほんと。新曲がダンス重視でないことを祈るわ……」
奏ちゃんはてきぱきとお夕飯を平らげる。
「あの曲も詰めとかないと……学校が面倒に思えてくるわね」
「授業中に作曲しちゃだめよ? 奏。ちゃんとL女の生徒として、模範的に……」
「そんな意地悪言う杏さん、キライですよ?」
「エッ?」
実は私も授業の半分くらいは睡眠学習になりそうで……。でもリカちゃんは怒られないんだろーなあ、不公平だなぁー。
「何よぉ? 結依。こっち睨んだりして」
「べっつにー。リカちゃんは勉強するのかなって、思っただけ」
「するわけないじゃん」
人気者のうえ気楽でいられるリカちゃんが羨ましい。
とはいえ、学校はそれなりに妥協してくれた。出席日数が足らなくなるほど休むことはなさそうだし、あとは試験で赤点さえ取らなければ、オーケー。
それに、私には心強い味方もいた。
「社会科でしたら多分、教えられますよ」
「わたしも古典とか、文系の範囲なら数学も……」
「聡子さんも杏さんも愛してます!」
食事中じゃなかったら、どっちも抱き締めてるとこ。
でも奏ちゃんに容赦はない。
「結依って何の教科が苦手なの? 五教科?」
「奏ちゃん……それは『全部でしょ』って、言いたいわけ?」
とりあえず英語は嫌いじゃなかった。社会は暗記科目だからって、あとまわしにしがちで、間に合わないパターンが多いかな。
「文系? 理系?」
「一応、文系ですよ。社会は去年が日本史で、今年は世界史なんです」
高校生らしい会話の中、リカちゃんはひとり首を傾げる。
「ブンケイとかリケイって、なぁに?」
やっぱり勉強のない世界から来たんだね……。
杏さんが淡々と説明する。
「卒業後の進路を見据えて、文系なら英語・国語・社会、理系なら英語・数学・理科をメインに勉強するのよ。英語はどっちにもあるわね」
「理系だと数学はⅢやCになるけど、文系はⅡとBまででいいのよ」
「……?」
リカちゃん、あまりわかってないご様子。
でも高校の数学については、私も言いたいことが山ほどあった。
「それですよ。AとかBとか、ⅠとかⅡとか……分類からして意味がわからないんです。どれも難しいし……ほんと、誰が数学なんて考えたの?」
「わ、わたしに言われても……」
杏さんは目を逸らし、聡子さんに丸投げする。
聡子さんは学者風に眼鏡を調えた。
「数学は論理的思考を養うために学ぶんです。かつて古代ギリシャでは、政治家を志す若者はみんなして数学を学んだほどで、プラトンの大学でも幾何学を……」
「まっ、待ってください! 私の頭じゃ追いつけませんってば」
奏ちゃんが図星を突く。
「要するに数学が嫌で、文系を選んだのね。あんた」
「……ハイ」
卒業後の進路云々じゃなくって。私にとっては数学を回避、これが最優先だった。
そんな私にリカちゃんが人差し指を突きつける。
「今のはだめ。結依、やりなおし」
「何を?」
「数学が苦手ってこと。アイドルなんだから、もっと可愛く言わなきゃさあ」
私も奏ちゃんも杏さんも一様に唖然とした。
リカちゃんがお手本を見せてくれる。
「結依、数学はちょっぴり苦手なの~。えへへっ! ……って感じ?」
その発想はなかったなあ……。今のは私のキャラクターじゃなかったけど。
聡子さんもリカちゃんと口を揃えるの。
「確かに結依さんにはMCの練習が必要ですね」
ステージでは毎回、ファンのみんなに挨拶する場面があった。
MCはモーニングコールじゃないよ(そう言ったら井上さんに笑われた)? マスターオブセレモニーの略で、司会進行って意味なんだって。
デビューコンサートの時は混乱もあって、場馴れしてるリカちゃんに頼っちゃった。
前回のライブでは台本通りに……けど掴みは弱かったかも。
「ブログや配信のほうも、どんどん企画を立てて実践あるのみですよ。この間のお花見も好評でしたから、あの路線でほかにありませんか?」
メンバーは口々に意見を交わす。
「なるほど……服装がいつもと違うのは、見映えがよさそうね」
「用意できれば、ね。全員で着ぐるみなんてのも、面白そうだけど……」
「奏って割とぬいぐるみとか好きよねー」
NOAHで昔、そういうお仕事も経験したような。
「杏さんは着てましたよね? 怪獣のやつ」
明松屋ザウルスはげんなりとした。
「重いし、暑いし、大変よ?」
「はい、そん時の映像ー」
リカちゃんがケータイで爆弾を投下する。
明松屋ザウルスの雄姿には、あの奏ちゃんさえ笑い転げた。
「あはははっ! 何よこれ? 杏が中に入ってんの?」
杏さんは一息に赤面する。
「わ、笑わないでったら! これは仕事で……リカ! なんで持ってるのよ?」
「アタシの杏コレクションを舐めないでよね」
明松屋杏の一番のファンって、リカちゃんなのかもしれなかった。
聡子さんが微笑む。
「こういうメンバー間のやりとりを配信したり、さっきの怪獣を載せるだけでも、きっと反応はありますよ。例えば怪獣なら、中身はだーれだ、みたいにやるとか」
「怪獣の写真は版権の都合もあるんじゃない?」
「それくらいなら、すぐに取れますから」
ブログにMCかあ……こっちの勉強もしなくっちゃ。
ファンが来てくれて、初めてステージは成り立つんだもん。
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