第46話


     <Io・Misono>


 VCプロで知りあった、朱鷺宮奏ちゃんが、バレエスクールに通うことになったの。バレエ教室に友達を連れていくのは初めてだったから、嬉しくて。それに奏ちゃん、身体はまだまだ硬いけど、ミュージシャンだけあってリズム感はさすがだったよ。

 新人さんってね、前後のひとにつられて、ワンテンポ遅れたりするものなの。音楽よりダンスに引っ張られちゃうっていうのかなあ。

 でも奏ちゃんは、ちゃんと自分の耳でメロディを聴いて、合わせようとしてた。まだ一週間ほどだけど、工藤先生も『教え甲斐がある』って褒めてるくらい。

 ただ……予想の通り、奏ちゃん、全身の筋肉痛でガタガタになってた。スタジオのほうに現れた今日の奏ちゃんも、げっそりとしてる。

「お、おはよ……」

「おはよう。大丈夫?」

 身体ができあがるまでは、我慢してもらうしかなかった。

 わたしにできることは、奏ちゃんが怪我しないように、しっかり見守ること。

「無理な時は休んでね。急に痛くなったりもするから」

「参ったわ、ほんと。スポーツって経験ないから、加減がわからなくて……」

 それでもちゃんと自己管理できてるほうだよ。

 新人さんの中には、たまに大怪我するひともいて……。バレエとそれきりになっちゃうのは、わたしとしても悲しい。

「柔軟も慌てないでね。奏ちゃん、そこそこ曲がってるほうだもん」

「気休めでしょ、それ。……まあ、自分のペースでやってくつもりだから」

 奏ちゃんなりに楽しんでくれてるのかな? バレエ。

 奏ちゃんにはバレエを続けて欲しいのはもちろん、観て欲しい公演もいっぱいある。

 わたしのお勧めは『くるみ割り人形』!

 ヒロインのクララが王子様と一緒に、おもちゃとお菓子の国に遊びに行くお話でね。小さな子でも楽しめる、定番の演目なんだ。作曲者も有名なチャイコフスキーだし。

 もちろん王道の『白鳥の湖』も捨てがたいかなあ。ほかにも『コッペリア』とか『眠れる森の美女』とか、面白いバレエはたくさんあるよ。

 それから――『ジゼル』も。

 今年度の劇団候補生オーディション、お題は『ジゼル』に決まったんだって。第一幕と第二幕のヒロイン・ジゼルを演じ分けて、審査してもらうの。

 オーディションは年が明けてからなのに、こんなに早く情報が出てくるなんて……。まだ九月の上旬だよ?

 でも工藤先生に言わせれば、あと三ヶ月なんてすぐ、半年なんてすぐ、だって。

 クリスマスシーズンにはバレエ劇団の公演『白鳥の湖』が控えてる。すでに配役も決まって、もう練習が始まってるけど、決して『早すぎる』ことはなかった。

 ぼやぼやしてたら、今年もまた逃すぞってこと。また……。

 だけど、お題の『ジゼル』はちょっと難しいな。第一幕は自信があっても、問題は第二幕……あれはどう踊ったら……。

「ちょっと、伊緒? 聞いてんの?」

「あ。ごめんなさい」

「いいってば。あんた、ゲームには興味なさそうだしね」

 今日の奏ちゃんとのミーティングは、テレビゲームのBGM製作について。

 奏ちゃんはVCプロで音響のお仕事を受けてるそうなの。そして今回、井上さんの『頼んだわよ』の一言で始まったのが、これ。

 『カルテットサーガ2』っていうテレビゲームがBGMを追加で発注してるんだよ。

 なんでもメインのBGMは一通りプロに作ってもらったんだけど、今になって『もうちょっと数が欲しい』ってことになったんだとか。

 奏ちゃんは辟易としてる。

「これってつまり、当初の企画にない曲を、あとからゲームに乗っけるってことよね。そんなんで、プロジェクトがまともに進むのかしら」

「ほんとにプロみたいな台詞だね」

 その口ぶりに感心しつつ、わたしは首を傾げた。

「……で、どーゆうこと?」

 奏ちゃんの表情がちょっぴり苦くなる。

「バレエとピアノは大した腕前なのに、ぼんやりしてるわね」

「ごめんなさ」

「謝らなくていいから。そうね……例えばバレエで、急にシーンを一幕追加って言われたら、色々と無理が生じるものでしょ?」

 バレエの喩えになると、すんなりイメージできた。

 公演まではダンサーの全員が一日単位でスケジュールを組まれているんだよ。練習量もあらかじめ予定されてて、『今週中に第二幕を完成』ってふうに監督されるの。だから急にシーンを追加したり、演者が替わったりすると、全体の進行に影響を及ぼしちゃう。

「まっ、あたしもSEの仕事を経験して、意識するようになったんだけど」

「じゃあ、このお仕事は突貫工事かもってこと?」

「その通り。さて……と」

 こんなお仕事がまわってきたのはもちろん、VCプロに所属してるからこそ。

 当初は奏ちゃんがひとりで引き受けるはずだったのが、井上さんから『パートナーと一緒にやりなさい』と指示があって、わたしも参加することに。

「悪いわね。地味な仕事に付き合わせて」

「ううん。奏ちゃんと一緒に何かやるの、初めてだし」

 企画書を眺めてた奏ちゃんが、ちらっとわたしに視線を寄越した。

「あんた、芸能活動のほうはどうなってんの?」

 わたしは苦笑い。

「特に進展ないよ。着ぐるみのバイトも、その……面接で落ちちゃって」

 VCプロはれっきとした芸能事務所で、そこに所属してるわたし、美園伊緒はアイドル候補生ってことになるの。

 社長の井上さんはわたしをアイドルとして起用する気みたいで、これまでにも何度か、お仕事や芸能オーディションを薦めてくれた。

 もっとも、結果は言わずもがな。引っ込み思案のわたしが面接でちゃんと話せるはずもなくって、不戦敗が続いてた。

 それに比べたら、こうして曲作りするほうが楽だよ。

「サンプルのBGMは聴いてきた? ゲームの」

「うん。大体は感じも掴めたと思うよ」

 ところで今回のお仕事、まだ正式に採用が決まったわけじゃなかった。先方からは『出来がよければ使います』くらいのお話でね。不採用に終わる可能性もある。

 そのうえ、わたしも奏ちゃんもあんまりゲームをしなかった。

「ゲームって、あたし、ゲーセンの音ゲーを少し触ったくらいでさあ。あとはアニキがプレイしてるの、ちょっと見かけるだけで……伊緒は?」

「えぇと……変な形のブロックが落ちてくる、パズル? とか」

 お互いゲームミュージックのイロハがわかってないの。奏ちゃんが書いてきた楽譜は淡白な出来栄えで、わたしがピアノで多少なおしても、印象の底上げには程遠い。

 それ以前の問題もあったよ。

 企画書に目を通しつつ、わたしはまたも首を傾げる。

「ねえ、奏ちゃん。教会はわかるんだけど、この……錬金屋ってなぁに?」

「あれでしょ、錬金術ってやつ。ほら、ナントカと賢者って映画、あったじゃない」

「魔法使いのお仲間みたいな感じ?」

「もっと神秘的なやつよ。た、多分……」

 早くも雲行きが怪しくなってきた。

 コンペに提出しても、不採用が濃厚かなあ。わたしのほうは口に出さないものの、奏ちゃんはやりきれない顔つきで、倦怠感を吐露する。

「なんだか、時間を無駄にしてる気がしなくもないわね……はあ」

 落選が確実の楽譜を作ってるだけじゃ、手応えも実感もないよね、やっぱり。

 それでも奏ちゃんは気を取りなおして、楽譜の調整を続ける。

「もっとこう、イントロで掴みを強くすれば……お店って、長々と入り浸る場所でもないと思うのよ。アニキもてきぱき出入りしてたっぽいし」

 だけど曲作りが行き詰まるにつれ、雑談も多くなってきた。

「奏ちゃんってお兄ちゃんがいるんだね。どんなゲームしてるの?」

「……美少女がビキニで水鉄砲振りまわすやつ」

「か、奏ちゃんの前で?」

「目の前で」

 奏ちゃんは音をあげ、溜まってた分の不満を漏らす。

「やっぱりメインの曲の雰囲気を踏襲しなくちゃいけないのが、ネックよね。そいつの曲を代わりに作ってる感じ? こんなの『作曲』じゃないわ」

 このゲームには正式に契約した作曲家がいて、監修にもついてた。それなら、そのひとが追加分のBGMも作曲すればいいはずだもん。

 だけど契約したのは『十五曲』までで、それ以上はスケジュールの都合もあって、断られちゃったんだって。途中でゲームの仕様が変わって、必要になったから追加で欲しい……なんていう後出しの要求は、社外のクリエイターには通用しないんだよ。

「追加の曲も同じひとに作ってもらえたら、一番いいのにね」

「でも追加分も監修はするって話だもの。譲歩はしたんだと思うわ」

 そのBGMの追加にしても、ゲームメーカーの偉いひとが急に言い出したんだって。

 なんだか『作品』を使い捨ての道具にされてるみたいで、釈然としなかった。みんなが遊ぶためのゲームなのに、偉いひとの自己満足が優先だなんて……。

『伊緒ちゃん、もっと回転を入れてくれるかい?』

 ふと、昔の記憶が脳裏をよぎる。

『バレエを知らないひとは、回転くらいしか判断できないからね。得意だろう?』

 あの時も――そうだよ。わたしは工藤先生と一緒に考えたダンスの構成を、無理やり回転だらけのものにすり替えられて……。

 こんなのわたしのバレエじゃない、って。

「あーもう、やめやめっ!」

 とうとう奏ちゃんはへそを曲げ、楽譜を裏返してしまった。

「こういうのは採用されても、勝手に楽譜を弄られたりすんのよ? たまんないわ」

「そこまで無茶苦茶しないとは思うけど……」

「甘いってば、伊緒。立場が強いってだけのド素人がしゃしゃり出てきて、あれこれ口出ししてくるものなんだから。メジャーで音楽やるのと同じ」

 その言葉にわたしはきょとんとする。

「メジャーって大きい事務所ってことでしょ? じゃあ、小さいのはマイナー?」

「あんたと一緒にやるの、不安になってくるわ……」

 音楽業界に造詣の深いパートナーは、わたしのために丁寧に説明してくれた。

「メジャーの反対はインディーズね。簡単にいうと、資金力が違うのよ。メジャーは宣伝もバンバン流せるし、テレビ局との連携も密接だったりするわね。……ただし、タレントにはやたらと注文が多いわけ」

「例えばどんなの?」

「そうね……曲なら『カラオケで誰でも歌えるようにしろ』とか」

 わたしも少しは作曲するから、俄かには信じられない。だって……。

「そんな指示があったら、曲なんて作れないよ?」

「でしょ?」

 仮にチャイコフスキーが『誰でも弾ける曲にして』と無理強いされて、あの名曲『白鳥の湖』をグレードダウンさせちゃったら? それはもう『白鳥の湖』じゃなかった。

 奏ちゃんはまだまだ毒を吐く。

「インディーズのバンドがメジャーに移ったら劣化するのも、これが原因よ。メジャーでデビューしようとしてたわたしが言える立場じゃないけどね」

「え? デビューの予定だったの?」

 そう被せると、奏ちゃんの顔色が曇った。

「今のは忘れて。はあ……つまんないの」

 つまんないっていう投げやりな言葉が、わたしの耳に残る。

「ねえ、奏ちゃん。面白くないのがわかってるなら、どうして引き受けたの? 断ってもよかったんでしょ」

 わたしのバレエのレッスンと違って、奏ちゃんの今日の曲作りにはずっと苛立ちが滲んでた。嫌なことを我慢してやってるみたいで、余裕がない……っていうのかな。

 奏ちゃんはしれっと言ってのける。

「そんなの決まってるじゃない。プロになるためよ」

「……プロに?」

 わたしはおうむ返しとともに目を点にした。

 そんなわたしの真正面に、奏ちゃんが人差し指を向けてくる。

「聴くひとがいないなら、歌ってても意味ないでしょ? 歌うからには大舞台に立って、みんなに聴いてもらわないと。あんたのバレエだってそうじゃないの」

 わたしの臆病な心に隠れた、密かな欲求――。

 それを奏ちゃんの言葉は鋭く射抜いた。

「ひとりで踊って、上手にできたってだけで、満足?」

 誰に見せるわけでもない、自己満足のバレエ。

 舞台を避け続けてるわたしのことだよ。

 でも、たまに教室のみんなに披露するくらいで、わたしは充分だった。

 バレエを観てもらう分にはいいけど、『評価』されるのは怖い。それにね、舞台に立つとなったら、もうひとつ怖いことがあるんだもん。

 オーディションで友達と競争するなんて、わたしにはできない。

 バレリーナは誰だって自分が踊りたいんだよ。だけど役の数は限られてるから、どうしても衝突するの。勝っても、負けても、もう友達じゃいられなくなりそうで……。

 それでもバレエ教室のみんなはプロを目指し、競争しながらも、次のステップへ進んでいった。工藤先生の娘さんだって、そうやって劇団の団員になってる。

 なのに、わたしは……。

「練習してるだけでも、楽しいよ?」

 わたしは視線を脇に逃がしつつ、声を震わせた。誰かの意見に反対するなんてこと、滅多にしないから、やっぱり怖気づく。

「奏ちゃんがバレエを始めたのだって、プロになるためじゃないでしょ?」

「そりゃあね。最初は社長の指示だったし……でも伊緒の場合は、目の前にチャンスが転がってるじゃない」

 奏ちゃんは多分、工藤先生に頼まれてるんだ。

 バレエ教室のみんなもわたしに『次こそ』って、オーディションを薦めてくる。プロを目指すなら、高校一年生の今年度がまさにラストチャンスだった。

 それがわかってても、意気地なしのわたしは逃げたがる。

「できないよ、わたし」

 受けなかったら後悔、するんだろうけど。

 奏ちゃんは両手で頬杖をついて、やれやれと嘆息した。

「消極的ね……あんただって、このままじゃいけないとは思ってるんでしょ?」

「それは、ええと……」

 オーディションを受けたくないわたしにとっては、苦しい流れになってくる。

 奏ちゃんは知ってるのかな。わたしが小学四年生の時、天才少女と持てはやされて、審査員とマスコミだらけの舞台へ放り込まれたこと。

 足が竦んで、踊るどころじゃなかった。

 プレッシャーに耐えきれず、ついには泣いちゃって。

 みんなが落胆したのも、わたしのせいだって――思い知らされたの。

 それ以来、わたしは舞台を避けるようになった。もともと怖がりだった性分もあって、役をもらっても辞退して、群舞も土壇場で逃げたりして……。

 だけど引っ込み思案のわたしが、それを上手く説明できるはずもなかった。

「ええと……だからね?」

 対する奏ちゃんは早口でまくしたてる。

「観音玲美子のステージ、興奮したでしょ?」

「……う、うん」

「あたしはバレエの公演って、本物はまだ見たことないけどね。本番でなきゃ絶対にできない、最高の舞台ってのは、バレエにもあるんじゃないの?」

 奏ちゃんの言うこと、正論だった。わたしも正しいって思うもん。

 それでもオーディションには出たくないから、頷くわけにはいかなかった。

「舞台に立つだけが全部じゃ……友達と一緒に練習するとか、応援に行くのも……」

「あ~もうっ! じれったいわね」

 奏ちゃんが急に席を立つ。

「決めたわ! あんたに足りてないのは度胸よ、伊緒。こうなったら本物のステージってやつ、あたしが体験させてあげるから」

 その表情は勝気なほどの自信に満ちてた。おどおどして、俯いてばかりのわたしとは対照的。ちゃんと顔に光が当たってるの。

「次の日曜、駅前の公園でね。キーボードは持ってる?」

「え、えぇと……持ってない」

「じゃあ、VCプロの借りに行きましょ」

 すごく嫌な予感がした。

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