第34話

「将来のこととか、考えたことないですけど……ただ、ステージに立ちたくて」

 言葉にして、それが自分の正直な気持ちなんだって、自覚する。

 私はステージに立ちたいの。あの熱気の中で、思いきり歌って、踊りたい。

「単純ね。でもみんな、そういうところから始まるのよ。あははっ、割と子どもよね」

 玲美子さんは陽気に笑い飛ばすと、私を撫でてくれた。

 そこにふたり組のランナーが駆け寄ってくる。まさか玲美子さんに気付いて、と思ったけど、ふたりの視線は私のほうに向いた。

「ほら、やっぱり結依じゃない」

「ぜえっ、ぜえ……杏、早いってばぁ」

 練習着の杏さんとリカちゃんだ。私は驚いて、目を瞬かせる。

「ふたりとも、どうして?」

「こっちの台詞よ。いきなり追い抜かれちゃうから、びっくりして……って、そちらは観音さんだったんですか? こんばんは。お世話になってます」

 杏さんが挨拶する傍らで、リカちゃんはごろんと寝っ転がった。

「ギブ~! はあっ、ちょっとだけ休ませてぇ」

「あなたが言い出したことでしょう? 観音さんに挨拶しなさいったら」

 ここでランニングしてたみたい。私は頭に血が昇っちゃってたから、何人か追い抜いた中にふたりがいたなんて、気付かなかった。

 それ以前に、体力作りのトレーニングなら、いつも三人で一緒にやってるのに。

「れみこさん、ぜぇ……いつもおせわ、なってまぁ~す」

「しっかりしなさいよ、まったく」

 疲労困憊のリカちゃんに呆れつつ、杏さんが明かす。

「ほらね、わたしたち、結依のダンスについていけないことがあって。あなたには物足りないメニューでしょうから、ふたりでやってたの」

「そうだったんですか? でも『湖の瑠璃』にダンスなんて、そんなに……」

「もう一曲あるじゃないの、結依ちゃんには」

 怜美子さんがマスクをつけなおし、不審者の身なりに戻った。

「結依ちゃんったらさっき、あなたたちに着いてく自信ない~って、いじけてたのよ」

「れ、怜美子さんっ!」

 慌てる私には、タイヤキの残りが押しつけられちゃう。

「ほんとのことじゃない。あと、これテキトーに片づけといて。わたし、カスタードとか抹茶って、あんまり好きじゃないし」

 玲美子さんは投げやりに手を振って、街頭テレビのほうに歩いていった。

 タイヤキの香りにつられ、リカちゃんが復活する。

「抹茶! 抹茶味、あるの?」

「え? うん、同じ味も何個かずつ……」

「そんなの、あとにしなさい。結依?」

 杏さんはタイヤキに目もくれず、私の頬をぎゅうっと抓った。

「いひゃっ! あんじゅひゃん?」

「相談してって言ったでしょう。リカだって心配してたんだから、ねえ?」

 リカちゃんはもうタイヤキを頬張ってる。

「ふぉーよ、ふぉーよ。キャリアの差とか気にしたって、しょうがないじゃん。あたしだって歌は杏に敵わないんだし」

「ええ。わたしもリカの演技には、逆立ちしたって届かないもの」

 ふたりの視線が私の顔で合流した。

「わたしもリカも、NOAHのリーダーはあなただって、認めてるんだから」

「ちゃんと頼りにしてんのよ? リーダー」

 俄かに目頭が熱くなる。

 杏さんも、リカちゃんも、私のことを認めてくれてた。それくらい、わかっていたはずなのに、私ってば耳を塞いで、目を閉じて。

 杏さんに抓られた頬を押さえつつ、私は決意を込めた。

「ごめんなさい、杏さん、リカちゃん。まだ始まってもないんだよね」

 私の武器は、バカみたいな体力と、行き当たりばったりの度胸、そして、杏さんやリカちゃんとの、かけがえのない繋がり。

「ところで結依、さっき観音さんが『もう一曲ある』って……」 

「そ、そうです! NOAHの曲なんです、井上さんに聞きに行きましょう!」

「これ食べるまで待って~。結依と杏は食べないのぉ?」

 ぐうっとお腹を鳴らしたのは、杏さんだった。露骨に顔を赤らめちゃうのが可愛い。

「ち……ちがっ、今のはね?」

「あははっ! 杏さん、カスタードでいいですか?」

 三人で軽く腹ごしらえをしてから戻ることに。


 VCプロの事務所に戻ると、社長のデスクで、井上さんが口元を指さした。

「ついてるわよ、クリーム。あと私の分は?」

「えっ? あ、すみません」

 私の頬にカスタードのクリームが残ってたみたい。さっきから杏さんとリカちゃんが笑いを堪えてたのは、これだったのね。

「で、どうしたの? 今日の練習は終わったんでしょう?」

「えぇと……『Rising Dance』のこと、教えてください」

「あら、怜美子にでも聞いたのかしら?」

 井上さんが最新の資料を広げる。そこには藤堂さんの曲と、歌詞のコピーがあった。

 その詞はさっき玲美子さんが歌っていたもの。

「あなたたちのメイン曲として、『Rising Dance』を使いたいのよ。オーダーしてた歌詞も、やっと仕上がってね」

 杏さんは歌詞に目を通し、それをリカちゃんにもまわした。

「作詞は……MiMi? 聞かない名前ですね」

「ふぅん。いいじゃん、これ」

 楽曲全般に詳しい杏さんでも、作詞家の名前を知らない。その正体を知ってるのは、おそらく私と井上さんだけ。

 ほかにもダンスの振りつけ資料があった。これならすぐに練習できそうね。

「曲は前から聴かせてるから、憶えてるでしょう。一ヶ月で仕上げてちょうだい」

「相変わらず無茶言うよね、社長……まっ、あたしは賛成かな」

 リカちゃんは乗り気だし、私もすごくわくわくしてる。

 ただ、杏さんは反対こそしないものの、井上さんに確認を取った。

「どうして『湖の瑠璃』をメインにしないんですか? 完成度を取るなら、今から新曲を練習するより、『湖の瑠璃』のほうが賢明でしょう」

 と言いつつ、私にこっそりウインクする。

 私たちはすでに『湖の瑠璃』の舞台アレンジを練習し、それなりに歌えるようになっていた。今から曲を追加しても、『湖の瑠璃』以上の完成度になる保証もない。

 井上さんはしたり顔で私を見据えた。

「確かに『湖の瑠璃』は話題性が高いし、曲自体も悪くないわ。だけど、『湖の瑠璃』だと明松屋杏の個性ばかり強調されて、結依とリカがオマケになっちゃうのよ。私としては、NOAHは、御前結依をセンターにして売りたいし……」

「わ、私がセンター?」

 社長の言葉に動揺して、私は声を上擦らせる。

 けど杏さんもリカちゃんも、それほど驚いてなかった。

「なるほどねー。無名の新人があたしたちを連れてるほうが、面白いってこと?」

「期待してるわよ、結依。わたしとリカで、とことんサポートするから」

 ふたりが両サイドから私の手を取り、発破を掛けてくれる。

「やってみせます。ねっ、結依」

「やってやろ、結依!」

 まだ実感がなくて、私の返事だけ遅れちゃった。

「うっ、うん!」

 NOAHの三人で音頭を取るみたいに、繋いだ手に力を込める。

 井上さんは満足そうに頷くと、ほかの作業を再開した。

「ダンス自体は、結依なら問題ないレベルだと思うわ。杏とリカは、結依の歌唱力と表現力を念入りに見てやって。じゃあ、今日は解散」

 私たちはエレベーターのあたりまで戻りつつ、歌詞を読み込む。杏さんもリカちゃんも気に入ってくれたみたい。

「これって、誰が書いたのかしら。藤堂さんなら、もっと詩的な表現にするでしょうし。かなりストレートな言いまわしよね」

「こんくらいわかりやすいのが、いいんだって。パートはどうするぅ?」

 心当たりはあったけど、私は黙ってやり過ごしちゃった。

 ふつふつと意欲が沸いてくる。

「今からもっかいスタジオ行きませんか? 早く歌詞入ってるの、聴きたくって」

「そうね。まずは曲に当ててみないと」

「めんどくさいなぁ……ま、いっか。面白そうだし?」

 今日のうちに私たちはスタジオに飛び込み、新曲の編集を始めた。

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